平和の問題、戦争の有効性、覇権の可能性
2003年07月10日 00:00 : Comments (0) : Trackback (0) : このエントリーを含むはてなブックマーク

片桐範之(ペンシルベニア大学博士課程;PRANJ)


戦争は 愛に似ている。 常に手段を見つける。 ‐ベルトルト・ブレヒト

国際関係で戦争の有効性を否定する平和主義は、コスタリカなどの少数国を除いては見られない、戦後日本の特徴の一つである。最近の変化はあるが、平和主義は日本の一般社会、憲法、論壇、外交政策、そして教育の骨格を成してきた。例えば私の知る日本人学生の多くは開発発展、紛争予防などの授業に代表される平和主義の絶対的価値を信じ込む。戦争、平和に関してより客観的な、他の視点があるのにも関わらずである。

本稿では戦争、平和を費用効果分析し戦争の有効性を考えるべきであると説く。前半では平和一辺倒の姿勢の問題を指摘し、国際関係の中で戦争も時には有効な手段になると論じる。そして後半では覇権という概念を例に取り、日本の国益達成の為に戦争という手段が、費用対効果上重要になりえる事を指摘する。

単に絶対的な価値として戦争と平和を好むなら、後者を選ばない者は殺人鬼を除いてはいない。平和は富を築き成長を促す一方、戦争は破壊と混乱を招き、悲劇を象徴する。ただ日本の場合は、敗戦の経験から平和を当然の状態、戦争を絶対悪として決め付ける白黒イデオロギーが強い。

しかし戦後60年近く経ち、大量破壊兵器拡散問題など、戦争、平和を取り巻く国際環境は複雑化し、それらの相対的価値は必ずしも善悪の価値観のみでは決められない。実際、最近の北朝鮮問題の様に現実が戦争と平和の不明瞭な狭間に置かれるし、平和を絶対視する事は難しくなってきた。

戦争が政治目的を完遂する為に用いられる大規模な組織的暴力であるのに対して、平和とは機能的に限られた状態であり、しばしば理想主義的な誤解を生み出す。例えば、通常思われているのとは逆に、平和は必ずしも貧困の改善や経済発展を直接導かず、その逆でもない。だからカメルーンやベラルーシの様に貧しい国々でも平和が維持される一方、先進国であるスペインはバスク地方で独立紛争が続くのである。

もう一つの誤解としては、平和は安定を意味せず、時には不安定化と同時に進行する。例えば今年3月に中央アフリカ共和国で起きたクーデターは無血に終わったが政権を交代させたし、現行のEUの東方拡大は平和を保つ傍ら欧州の地政学を揺るがしている。平和とは現実を複雑に構成する一時的な状態に過ぎず、必ずしも善を意味しないのである。

確かに平和主義は戦後日本の経済発展や東アジアの安定に貢献したが、その負のコストは見落とせない。第一に、平和主義は戦後60年の日本国内において安全保障面でのアメリカへの属国状態とその精神を作り出した。その結果として平和ボケや日本人としての自覚や誇りの欠如は戦後世代の日本人に氾濫している。

第二に、国際関係における日本の平和主義は、戦争を有効手段と見る「国外」の現実と不一致する。だから最近のコンゴにしろパレスチナにしろ、国際社会で戦争が続く一方、日本の平和主義一辺倒の外交は事実上無力なのである。又、コロンビア大のリチャード・ベッツ教授が「戦争に興味を覚えぬ者は多いが、戦争はいつも我々に興味がある」と警告する通り、冒頭のブレヒトの一文が外部の力によって日本で実現する時も同様である。

一方で、戦争の有効性は歴史をもって証明されてきた。時には戦争によって他国からの脅威は消され、又国務の一つである国民の安全は多くの場合軍事力、もしくはその抑止力によって保障されてきた。第二次世界大戦、フォークランド、最近のイラクでは前者が証明されたし、パクス・アトミカと呼ばれた冷戦中の平和も、核戦争を理性的とした相互確証破懐に基づき日本に安全を齎した。冷戦後の世界も日本が主に頼る予防外交、経済協力、もしくはアメリカへの自発的な政治服従が日本国民の安全を保障するわけではなく、戦争を現実化する為の軍事力に頼る所が大きい。

もちろん戦争のコストは大きく、敗者には特にそうである。だが、少なくとも勝者にとっては現在の軍事技術の発展によって犠牲は制限でき、逆に戦中、後の軍事、エネルギー産業の発展は経済効果さえ齎す。最近のイラク戦争は、米英率いる30の連合国が比較的小さい費用で、自らの手によって中東の大々的な地政学を変えた好例である。しかしその一方で、イラク戦争は、戦後の平和維持に莫大な費用がかかるかを示す好例でもある。

戦争も平和も両刃の剣であり、それらの価値は相対分析で測られる。そして日本の歴史でもあるように、平和の費用の刃が利益よりも鋭い場合、最悪の状況下でも戦争が最善の選択肢になり得るのである。概して、戦争、平和は国益としてではなく、国益を最大にする努力の中にある状態の一つとして考えるべきである。費用効果分析をし、最後の手段としての戦争が必要なら実行し、その時はプロイセンの戦略家クラウゼウィッツが著書「戦争論」で言うように、決定的な勝利を治めるのである。

戦争と平和の間で揺れる国際関係の中で、国家は大戦略と呼ばれる概念を用いてその国益を伸ばそうとする。大戦略とは集団的安全保障、協調的安全保障、勢力均衡、覇権の4つの選択肢から成るいわゆる長期的な国家目標を指すのだが、ここでは戦争の有効性を述べる過程として覇権を例に取ってみる。 覇権とは一国がその階級的な力の分配と履行によって他国全ての行動を抑制し国際社会を統治する一極支配体制であり、しばし冷戦後のアメリカを例えるのに使われる。挑戦国は生き残りを常に心がけ、戦争も覇権奪取の為に必要ならば行使される。国際関係論の中では、シカゴ大のジョン・ミアシャイマー教授の様に、強国は己の安全の為に戦争を通して地域的覇権を狙うと説する者もいる。

戦争、平和と同じく覇権も両刃の剣であり、そのリスクは高い。例えば、覇権に対する嫌悪やテロの危険性の増加などは冷戦後のアメリカへの世界からの反応が示している。更に、エール大のポール・ケネディ教授が著書「大国の興亡」で述べた様に、覇権国はいずれはその国家政策が失敗し敗者になるものである。そして日本が覇権を目指す際に直面する最も高いリスクは、歴史問題の再燃化と過去のイメージの中、最小のコストでどう東アジアでのアメリカの覇権を扱い、どうそれに取って替わるかである。

しかしリスクにも関わらず、覇権の利益も大きい。例えば、覇権にはかつてのローマ帝国や大英帝国のように歴史に名を残す名誉がある。日本の場合は、東アジア全体の軍事、経済を支配できるのと同時に、アメリカ依存の減少、平和ボケ解消などの利益もある。これらの点をふまえて、実際に覇権が日本の大戦略としてふさわしいか、費用効果分析を使い考慮する事が望ましい。

本稿の目的は、日本の軍国主義の再来を促す事でも、今すぐ戦争を奨励する事でもない。ただ名誉の為の戦争が日本の国益を満たすとは言い難いが、負のコストの大きい平和主義が絶対で、国家目標としての覇権が間違いだとは言えないはずである。日本の将来を考える上で、戦争と平和の問題を費用効果分析を用いてより客観的に議論するべきである。 (yaponorry@hotmail.com)

参考 PRANJ:政策海外ネットワーク http://pranj.org

*William Pennフェローとしてペンシルベニア大学政治学部博士課程在籍。東京都私立城北高校卒、コロンビア大学院修士課程終了。これまで国連本部、ワシントンのヘリテージ財団、防衛情報センター、ブルッキングス研究所などに勤め、現在はJapan Today紙の編集委員でもある。専攻は国際関係論と安全保障。