親/反/脱の政治学
2003年10月10日 00:00 : Comments (0) : Trackback (0) : このエントリーを含むはてなブックマーク

佐々木孝明(東京財団リサーチフェロー)


さあ、総選挙だ。自民党総裁選や民主党・自由党合併などは、言ってみれば永田町というコップのなかの「小事」にすぎない。総選挙ともなれば、社会全体を巻き込んだ「大事」であろう。しかし、果たしてそうなるだろうか。

そもそも、人々(社会)の政治に対する態度(スタンス)には三つある。

一つ目は、既存の政治に対して好意的・親和的・ポジティブに関わっていこうとする態度である。これを「親」政治(的態度)と呼ぼう。「親」政治的な人々は、既存の政策立案・形成・決定プロセスに直接あるいは間接に加わることによって、自らの価値・利害・欲望を実現していこうとする。たとえば、与党(議員)への支持・後援活動、政治家への陳情・要望、立法府・行政府の審議会や研究会への参加などが挙げられる。

二つ目は、既存の政治に対して反対的・対抗的・ネガティブに関わっていこうとする態度である。「反」政治(的態度)と呼ぶ。「反」政治的な人々は、既存の政策立案・形成・決定プロセスを破壊し、新たな体制を構築することによって、自らの政治的要求・欲求を実現していこうとする。たとえば、野党(議員)への支持、反政府デモ活動(反グローバリズム運動など)、落選運動などがある。
以上の二つの態度は、好意的か対抗的かの違いはあっても、政治に関わっていこうとしているという点では、「政治的」である。

三つ目は、既存の政治領域(空間)そのものからの離脱・脱出を図ろうとする態度である。「脱」政治(的態度)と呼ぶ。既存の政治への関心が「薄く」、ほとんど投票には行かない。1990年代に入り顕著になってきた無党派層などは、「脱」政治の前期的状態である。

かつて、例えば1960年代のように学生運動や社会主義運動が活発であった頃は、「親」政治と「反」政治の間で激しいぶつかり合いがあった。55年体制下で一部なれ合い政治も見られたが、一定の緊張感のある「大変な」時代であった。

しかし、「脱」政治化傾向が強まった1990年代以降は、人々の政治的意思が分からず「不透明」な社会になったという意味で、「厄介な」時代である。「脱」政治化がさまざまな様相を呈していることも、「厄介さ」を強めている。たとえば、

「無」政治−いっさいの政治的行為から離脱すること。棄権どころか、政治的関心をまったく示さない「政治的一人ひきこもり」。「退」政治ともいえる。
「新」政治−既存の政治から脱出した者たちが集まり、自分たちだけで「新たな」「別の」政治空間を形成する「政治的集団ひきこもり」。カルト化した一部の新興宗教団体などが当てはまる(かつてのオウム事件を見よ!)。
「祭」政治−単なる気まぐれ、ノリ、冗談、いたずらなど、「お祭り騒ぎ」的に政治にちょっかいを出すこと。世界中で起こっている「フラッシュ・モブ」や、インターネット巨大掲示板「2ちゃんねる」で活発な「大規模オフ」「突発オフ」などが、現実の政治に「戯れ」的に交差するかもしれない。

こうした「脱」政治化した人々の「群れ」、いわば「ディポリティカル・モブズ(de-political mobs)」の動向をいかに読み解くか。まだ、そのための材料は少ない(最近邦訳が出たハワード・ラインゴールド『スマート・モブズ』NTT出版、を見よ!)。しかし、もしかしたら、今回の総選挙で、なんらかのヒントが得られるかもしれない。見てやろうじゃないか。
(sasaki@tkfd.or.jp)

*1964年生。東京大学経済学部卒業。第一勧業銀行(現みずほ銀行)、日本総合研究所、通商産業省(現経済産業省)、衆議院議員政策秘書、大臣秘書官などを経て、2001年より現職。目白大学大学院非常勤講師。専門は、政治システム論。政治・政策批評活動を展開中。