◎大串正樹 (北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科 助手)
◎北村奈緒子(北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科博士前期課程)
最近「病院ランキング」と名の付く本をよく見かけるようになった。自らの命を預ける病院に対する国民の関心は高く、この種の本の売れ行きは好調のようである。その背景には、より高度な医療に対するニーズの高まりがある。しかし国の医療政策は、単に高度な医療の提供だけを目指してきたわけではない。近年の医療政策は「インフォームド・コンセント(患者に十分に説明して同意を得ること)」に代表されるように、情報公開に基づく安心や信頼を重視している。加えて病院自体も「電子カルテ」の導入など先進的取り組みをPRする時代になった。このように近年の医療現場をめぐって、特に患者と病院の関係には劇的な変化があった。現代の「医療の質」とは高度な技術も含めて、患者の多様なニーズにいかに応えられるかが問われている。
しかし「医療の質」と同じく重要である「看護の質」についての議論は十分にされてきたのであろうか。入院した場合、医師よりも看護師と触れ合う機会の方がはるかに多く、看護の質は患者にとっても重要である。しかし、従来の看護政策といえば、常にマンパワーの不足をどのように補うか、あるいは人員確保のための看護教育制度の改革に終始していた。確かに著しく看護師が不足していた時代では、マンパワーの確保が先決であったことは否めない。しかし、そろそろ看護の質そのものについて、本格的な議論を始めてはどうだろうか。本稿ではこれを知識という視点から考察してみる。
看護の質を向上させるためには、前提として個々の看護師の知識レベルを高める必要がある。ここでいう知識とは、看護学校で教わる教科書的な言語化された知識(形式知)と、患者との関係性の中で実践的に学んでいく身体的な知識(暗黙知)の両方を意味している。しかし看護の質にかかわる知識の多くは、後者の暗黙知が主体であり、ここに看護的知識の特異性がある。
褥瘡(じょくそう)対策を例に挙げて考えてみよう。褥瘡(いわゆる「床ずれ」)とは、自分で体を動かせない患者に多く発生する創傷で、長時間・局所的に圧迫を受けた際に、その部位への血流が途絶えて生じる皮膚の潰瘍をいう。したがって高齢者や麻痺を持つ患者に対しては、頻繁に体位を変換しつつ、患部を清潔に保つなど、様々な付加的看護が必要になる。さらに入院時に褥瘡の可能性を見極め、どのような対策を取るべきかという判断も重要である。圧力を分散するマットの選択から、患部を清潔に保つ方法、さらには患者の栄養状態・食事内容に至るまで様々な視点が欠かせない。
しかし、これらの知識を全て教科書から学ぶことは難しい。実践の中で感覚的に身につけるものであるばかりか、患者毎に状況が異なるからである。直接目視による観察と経験的な知識、既存の知識を組み合わせて、看護計画などの総合的な判断を下すのである。これはアリストテレスがいう「観照的な知識」といえる。職人の知識よりも棟梁の知識がより高次の知識として位置付けられるように、看護にも対処療法的な知識を越えた高次の知識が求められる。しかし、これらの知識は獲得、共有、伝達が極めて難しい。「習うより慣れろ」的な発想で片付けられがちであるが、これらの知識を効果的にマネジメントしていくことが「看護のナレッジマネジメント」の本質的課題といえる。
ここで挙げた褥瘡対策には、少し補足すべきポイントがある。すなわち、この褥瘡という症状は放置しておくと、死に至るにもかかわらず「褥瘡科」という診療科は存在しない。褥瘡を専門にしている医師や看護師も皆無ではないが、全ての病院に常駐しているわけでもない。一方で、いかなる病気で入院しても自由に体を動かせない場合、誰でも褥瘡になる危険性がある。危険性はどこにでもあるのに、専門家が圧倒的に不足しているのである。したがって、必然的に看護の責任が大きくなり「褥瘡は看護の恥」といわれるゆえんとなっている。
褥瘡対策が抱える問題は、医療が抱える問題の縮図でもある。その葛藤は、近年、盛んに取り組みが進められている「チーム医療」という形態にも表れている。チーム医療とは、縦割りの医療を排除して、それぞれの職種が患者のニーズに応じて複数でチームを組んで総合的に医療を提供することである。それぞれの専門性を活かしながら、同時に合理化も進められる。その根底には、医師中心の「病気をみる」医療から、患者中心の「人をみる」医療への転換がある。冒頭でも触れたように、安心と信頼を重視した医療サービスへの転換でもある。
具体的なチーム医療の一つとしては、NST(Nutrition Support Team:栄養サポートチーム)の導入が始まりつつある。職種の枠を越えて、医師・看護師・薬剤師・栄養士など多職種のメンバーで組織されたチームで、患者を栄養管理の視点から捉え直すものである。先の褥瘡対策も栄養状態が重要であることから、NSTのサブグループとして含まれる場合もある。
このNSTは患者の栄養状態を組織横断的に捉えることで効果的に機能するが、同様に、他のチーム医療でも診療科横断的な活動が必要になる。そこでは、本来、診療科横断的な存在であり、常に患者をみてきた看護師を軸にすることが効果的になるのではないだろうか。つまり、これからの新しい医療の展開には、欠かせない看護の役割があるはずで、これを機能させる上でも看護のナレッジマネジメントが有効になる。
それでは看護のナレッジマネジメントとは何だろうか。ナレッジマネジメントとは知識を組織内で積極的に共有・活用・創造しようという考え方である。医療現場でもチーム内で知識を創造・活用するためには、前提として知識の共有が欠かせない。しかし知識とは「正当化された真なる信念」と定義されるように個人の信念に基づく。すなわち知識は常に人間がベースとなって共有・創造されるものである。
しかも、先述のように看護的知識の特異性として、その多くが共有・伝達が困難な暗黙知である。電子カルテを導入しても、カルテに記入された内容だけでは、暗黙知は共有できない。実践的な対話の「場」が欠かせないのである。つまり病院としての明確なビジョンを提示しつつ、知を共有する「場」を積極的に創り出す必要がある。もちろん患者中心の医療であることには変わりない。したがって、患者や医師、さらには薬剤師や栄養士を巻き込んだチームの「場」が欠かせない。そのような「場」をコーディネートすることこそ、院長や看護師長などリーダーシップの役割である。すなわち、看護における知識資産の活用、ビジョンの提示、対話の「場」の創造など、様々な促進要因を高い次元で綜合することが看護のナレッジマネジメントといえる。
もちろん看護のナレッジマネジメントを積極的に導入するためには、インセンティブを与える必要がある。現実的には診療報酬が病院経営の大きなインセンティブとなっているため、新たな診療報酬改定時に、知の視点を盛り込んでこそ「看護の質」を意識した看護政策といえるのではないだろうか。
<参考文献>
(1) アリストテレス・出隆訳『形而上学』岩波書店、1968年
(2) 井部俊子・中西睦子監修『看護マネジメント論』日本看護協会出版会、2004年
(3) 細田満和子「『チーム医療』の理念と現実―社会学からのアプローチ―(3)」『Nursing TODAy』, 17(3), pp.46-49, 2002年.
(4) 東口高志「Nutrition Support Teamについて」『臨牀看護』, 30(1), pp92-99, 2004年.
*大串正樹(北陸先端科学技術大学院大学 知識科学研究科 助手)
1966年兵庫県生まれ。東北大院卒。石川島播磨重工業、松下政経塾を経て、北陸先端科学技術大学院大学にてPh.D.を取得後、現職。専門はナレッジマネジメント、郵政事業、教育政策など。主な著書に『知識国家論序説(共著)』がある。(http://www.mskj.or.jp/profile/ogushi.html)
*北村奈緒子(北陸先端科学技術大学院大学 知識科学研究科 博士前期課程)
1973年石川県生まれ。東京経済大卒。国立身体障害者リハビリテーションセンター病院看護師、帝京高等看護学院基礎看護学教員を経て、現在に至る。専門は基礎看護学、ナレッジマネジメント。
