博士の末路―ポスドク問題をどうするか―

2007年05月14日 00:00 : Trackback (0) : このエントリーを含むはてなブックマーク

◎大西健介(衆議院議員馬淵澄夫 政策担当秘書)

友人のケース

私には、ワシントンDCの在米日本大使館勤務時代に知り合った同世代のかけがえのない友人たちがいる。先日、Iさん(私大教員)、K君(ポスドク)、T君(官僚)の3人と久しぶりに会って旧交を深めた。近況を報告しあう中で、次のような会話が交わされた。

K:Iさんは「安全圏」に入ってよかったね。僕は3年後どうなるか、その時は40歳直前やし…。
I:ほっとしたよ。1年間は大学教員への応募書類を書きまくって研究どころじゃなかった。目先の生活のことでアタマ一杯。これって君らには分からないだろうなぁ。
T:でも、好きなことやってメシを食うという研究者の道を選んだときからそれは分かっていたことやないの。
K:3年ごとに人に評価され、リストラの恐怖におびえる生活にもう疲れた。たしかに自分で選んだ道だけど、政策的に大量のポスドクを生み出した政府の責任もあると思うよ。

ポスドクの問題の背景

ポスドクとは、ポスト・ドクトラル・フェローの略称。博士号を取得後、特定の企業や大学に就職するのではなく、研究者としてある組織と任期付の契約を結び、研究を続ける働き方をさす。

ポスドクは日本学術振興会(学振)や理化学研究所等の特別研究員となる特別研究員型とプロジェクト雇用型の2つに大別される。

学振の年齢制限が34歳未満となっていること、また、民間企業も35歳を境に中途採用の枠を狭める傾向があるために、35歳が一つの壁になると言われている。一方で、35歳以上のポスドクは全体の4分の1、40歳以上も1割とポスドクの高齢化が進み、40歳手前になっても定職につけない博士号取得者が大量漂流する時代を迎えている。

なぜ、このようなことが起こってしまったのだろうか。90年代初頭、文科省が教育研究の高度化を目指し、大学院重点化計画を進めた結果、大学院の学生定員が大幅に増加した。本来は、この時点で、将来、博士号取得者とアカデミックポストの需給ギャップが生じることは予想できたはずである。

その後、1996年に第一期科学技術基本計画において「ポストドクター等1万人支援計画」が策定された。博士号取得者に武者修行の場を与えることで競争原理を持ち込み、科学技術の向上につなげようという狙いがあったが、その実、大量の博士の短期的雇用の受け皿であったことが指摘されている。
また、当時、国立大学や公的研究機関は、行政改革の流れの中で厳しい定員削減を強いられており、定員外の研究の手足としてポスドク受け入れに積極的に動いた。

しかし、最大の問題は、最終的に博士をどう活用するか出口戦略がなかったことである。

ポスドク問題の解決策

「優れた研究者なら。ポスドクを2期やれば実績とコネで就職が見つかるはず」という厳しい意見もあるが、これを「研究を志すということはそういうことだ」と簡単に片付けてしまってよいのだろうか。

ある試算では、一人のポスドクを育成するのに約1億円の税金が投入されているという。高度な専門能力を持つ博士の育成に公的資金をつぎ込んできた以上、その人材をどう有効活用するかを考える責任が政府にもあるはずである。

まず、現状のポスドクをどうするのかについては、アカデミックポストの劇的な増加が期待できない以上は、出口としての進路を開拓するより他に方策はないだろう。

もともと、米国では博士の34%が企業に進がが、日本では半分の17%しか企業には進まない。

即戦力を求める企業の人事担当者は「年齢に見合う価値がない」、「社会性に欠ける」として、即戦力として期待できない博士の採用には

しかし、「使えない」人材はどこの世界にもいるはずであり、企業側に「ポスドクは研究バカ」という先入観を捨ててもらうことも重要である。

一方で、大学に固執するポスドクの方でもマインドセットの修正が不可欠である。

人材のマッチングやキャリアカウンセリングに対する公的な支援を行うべきである。

中小企業やベンチャー企業の中には、ポスドクを有力な採用候補者と見ている企業も現れており、1つでも多くの成功例を作ることで、ポスドク、企業双方の意識を変え、進路の開拓につなげていくべきである。

博士課程教育の見直し

博士課程については、量と質の両面からの見直しが必要だと考える。問題の発端に安易な定員枠の拡大があったことは間違いない。まず、博士課程への進学者の数は絞る必要がある。現状は「とりあえず博士課程に進学しておく」という人もいるのが現状で質の低下にもつながっている。  

質の点で言えば、民間企業が研究人材として求める、マネジメント能力、企画力、高いプレゼン能力といった資質が博士課程での教育の中で育成されるのかという疑問がある。この点は、博士のプレゼン能力は高いという評価もあり、ニーズのギャップがどこにあるのかの検証が必要である。

周辺の問題点

最後に、あまり指摘されていないポイントを2点付け加えておきたい。

1つは、ポスドク問題をポスドクの立場に立って議論する場所がないということである。大学は、学生でも正規職員でもないポスドクの進路について真剣に考えてはくれない。また、科学技術政策を議論する政府の会議等でも委員の多くは高名な学者たちであり、ポスドクから見れば「安全圏」にいる人たちである。残念ながら、彼らが「安全圏」に入ろうと必死でもがきながら挫折に苦しんでいるポスドクの身になって問題解決を議論してくれるかどうかはあやしい部分がある。ポスドク問題解決に向けた議論の場の設定には工夫が必要だと感じている。

もう一つは、アカデミックポストへの選考過程の問題である。誰が見ても顕著な実績をあげている場合は別にしてポストを得るには研究者としての能力や資質よりもコネや政治力がものを言う場面が多くあると聞いている。

別の見方をすれば、一つのポストに応募が殺到し100倍を超える倍率はざらという中で、優秀な人材が複数いて、そこから無理して一人を選んでいる状況と言えるかもしれない。
 
ヒトへの投資

実際には、ポスドクは研究活動のかなりの部分を支えており、数を減らせば研究の停滞につながるということも指摘されている。

さらに、アカデミックポストの需給の深刻な不均衡に追い討ちをかけるように、国公立大学の法人化により、多くのポストが期限付きとなってきている。研究者は常に失業の恐怖におびえながら、研究を続けなければならないという状況が進行している。

このような現状が続き、また、その認識が定着すれば、優秀な人材は研究者の道に進むことを躊躇するということも危惧される。

国家政策が生み出した大量の「無業者」であるポスドクをどうするのか、コンクリートへの投資からヒトへの投資にシフトしていこうとするわが国の将来ビジョンが問われていると言っても過言ではない。

私自身、まだ問題を十分に理解しきれていない部分があるが、政府内及び国会において真剣にこの問題を議論する必要を感じている。