◎山田文章(特定非営利活動法人政策過程研究機構 理事)
本作品は05年川崎市議会補欠選挙における自民党公認候補者の選挙活動を追ったドキュメンタリー映画である。注意が必要なのは本映画で取り上げられている選挙は補欠選挙であり、なおかつ、この選挙時には参議院議員選挙も同時に施行されており、その参議院選の応援に首相が来るという珍しい事例である。よって地方選挙の典型例ではなく、あくまで特殊な選挙事例として鑑賞すべきだろう。
ナレーションや説明、音楽を一切排し、撮った絵と現場の音だけで映画を構成するという手法の斬新さには凄さを感じた。ただし、本作品の趣旨については疑問点がある。
通常、ドキュメンタリーには作者のメッセージが込められている。この観点からすれば、選挙を通じて日本の民主主義のあり方やメンタリティをあぶり出す作品とも見なせる。日本特有の地縁・血縁の泥臭い部分を見ることができるのは地方選挙の魅力の一つであり、それ自体面白い題材である。だが、この映画の一番の問題点は監督や広報が本作は上記の様なドキュメンタリーではないと主張していることである。
彼らはこの映画はメッセージ性を封印し、観客が自由に感じ、考え、解釈する“観察映画” (この概念は監督の造語)であるという。だが、制作者の編集の手が入っている以上、完全な記録映画・観察映画はありえない。この作品も60時間撮影した中で監督が面白いと思った2時間分にすぎないと思われる。「主張」がないというならば選挙の面白い部分のダイジェストにすぎないはずである。メッセージがあるのに“事実だけを投げて観客に考えさせる映画”と銘打っているならば自分のバイアスを押しつける悪質なプロパガンダ映画である。
例えば、候補者が有権者に政治信念や政策を真剣に語るシーンが一切出てこない。候補者が一言も政策や想いを語らなかったのかもしれない。だが、その様な場面があったにもかかわらずカットしているとすれば意図的に政策や理念のない候補者というキャラクターを作っていると言わざるを得ない。ちなみに候補者夫妻は演技でなければ問題のある発言や行動が多い。見えないところで後援者に対する不平を言う人を私は見たことがないし、言うとしてもカメラの前で言うべきではない。
また後援者が本音や説明口調の台詞を言うシーンが何度か出てくる。これらは突然本音や説明台詞を始めたとは考えにくく、何らかの誘導があったと考える方が自然だろう。本作では恐らく撮影者の質問部分をカットしていると思われる。さらに選挙活動に従事した筆者の経験からすれば、そもそもカメラの前で本音や選挙の裏を見せることなどないと考えるのが普通だ。
本当に“観察映画”なら、地方選挙の上辺の部分を切り貼りしただけの作品であるし、主観やメッセージがあるならば広報で“観察映画”など誤解を招くような標記をすべきではない。いずれにせよ、観客はあくまで監督の目を通した選挙だと意識しながら見るべきだろう。この映画によって日本を始め世界中の人々に(26ヶ国で放映予定!)『日本の地方選挙や日本人の本質とはこういうものなのか。』と思われるのは不本意なことだ。私は本作で選挙運動を描ききったと言われることに大きな違和感を覚える。
