2004年公的年金改革の再考
2007年11月15日 00:00 : Comments (0) : Trackback (0) : このエントリーを含むはてなブックマーク

◎中嶋圭介(CSIS戦略国際問題研究所世界高齢化研究部 研究員)

筆者は、米国ワシントンDC所在の民間シンクタンクで、世界的に進行する人口高齢化の影響を分析し、この対策案を各国の国内政策として、また、バイ・マルチの国際政策として提言する活動に従事している。このため、日常的に各国の高齢化政策の動向に触れ、政策担当者、学者、民間企業経営者と意見交換や助言をする環境に身を置いている。その政策の代表例である公的年金については、既に国内の専門家から多くの研究や提言がなされているが、外側から眺めてこそ見えることもある。本稿は、2004年の公的年金改革を再考しつつ、次のステップのためのブレーンストーミングを目的とする[1]。

羨望の的だった2004年の改革

まずは良い知らせから始めよう。意外と思われるだろうが、実は、2004年の改革は、他の先進諸国の政策担当者から羨望の的であった。その理由は主に二つある。第一に、マクロ経済スライド(国際的には通常“Automatic Stabilizer”(自動調整装置)と呼ばれる)が導入されたこと。第二に、年金財政健全化のための改革の「痛み」が、世代間で平等に共有されたことである。

マクロ経済スライドとは、年金給付額の計算公式に新たに導入された変数のことで、寿命延長と被保険者数の減少を反映して、法改正をしなくても自動的に給付水準を調整する仕組みである。

政策担当者が年金制度の財政難に悩まされ、国民が繰り返される年金改革にうんざりしているのは、なにも日本に限ったことではない。積極的な改革案が仇となって、労働者がストライキに入り、通りはデモで埋め尽くされ、やがて政権を追われたケースは珍しくない。高齢化のさらなる進行が予想される中、制度の財政的持続性と政治的消耗の激しい年金改革回避を一挙両得で実現するために編み出され、スゥエーデン、ドイツ、日本でいち早く導入されたのが、この自動調整装置である。伝統的賦課方式の公的年金を持つ多くの欧米諸国で、現在、改革案として脚光を浴びている。

もう一つの「痛み」の共有とは、将来的に予想される不足額を現役世代と高齢者世代とで等分して、前者を保険料率引上げ、後者を給付水準引下げによって帳尻を合わせるアプローチである。特に日本の場合には、改革の翌年度から、今日の高齢者が受取る給付も引下げ対象になったことが注目された。

欧米では、高齢者は一般に経済的弱者と考えられており、現役世代により大きな改革負担を課す傾向にある。また、高齢者に負担を課す場合には、事前に準備期間を与えずして給付引下げを強いるのはフェアでないとの考え方から、退職間際の労働者や今日の高齢者は対象外とされ、将来的に支給開始年齢に達した世代から順次適用とされることが多い。従って、改革の効果が十分に現れるには、10〜20年以上かかることもざらにある。

こうして見れば、日本の改革アプローチは、政治的に非常に困難な改革において世代間の合意作りに成功しており、この点は、欧米の政策担当者に高く評価されている。他国で同様のアプローチを取れば、年配労働者や退職者を代表する強大な利益団体の反発にあって、瞬く間に廃案に追い込まれるだろう。同様の利益団体が無いということもあるが、日本でこうした大胆な改革断行が可能なのは、肯定的見れば、非常に強い平等意識が世代間に及び、改革負担分配の際の平等に対する考え方で日本と欧米の間に違いを生じているからだと筆者は考えている。

マクロ経済スライドの意味

ここからが悪い知らせである。前段では2004年改革のプラス面を強調したが、マクロ経済スライドは魔法の杖ではない。確かに政策担当者にとっては便利な装置であるが、国民は、次の三つの点で判断を誤ってはならない。

第一に、同スライドが年金受給者に与える影響を、過小評価しないことである。同スライドは、将来における平均賃金や物価の伸び率に対して、年金給付額の伸び率を抑制するものであり、名目的な受給額が減ることはない。減っているのは、受給される年金の購買力である。本人に自覚症状がない病気が危険なように、多くの高齢者が年金の額面が減らないことに安心して、ゆっくりとだが着実に低下する生活水準に気付かないのは、大変な問題である。

第二に、同スライドは、単に給付を削っているだけではない。日本の退職所得保障における政府の役割(責任)を自動縮小させていると言える。高齢者が今後も生活水準を保とうとすれば、このギャップを埋めるために、公的年金制度外の対策を加速させなければならない。

第三に、同スライド導入は、高齢化進行による年金制度への財政的影響を一部軽減するが、全てを解消するわけではない。現に、前回の改革で向こう100年間の帳尻が合った「格好になっている」のは、同スライド適用の他にも、保険料率引上げ、厚生年金の特別支給開始年齢引上げ、国民年金への国庫支出引上げ、積立金の運用効率向上と元本取崩し、これら全てが総動員されているからである。

決め手を欠く根本的な改革

「格好になっている」と表現したように、筆者は、2004年改革の結果に満足しているわけではない。政府は、今年2月の新試算の中で示された最終所得代替率の下限維持に対する楽観的見通しに、胸を撫で下ろしているに違いない[2]。しかし、長期推計に大きな不確実要素は付き物であり、人口動態、経済状態の変化リスク、その場しのぎが得意な政策担当者による政治リスク、積立金運用の市場リスク等によっては、見通しは大きく変わることに注意すべきである。

仮に政府の推計が示すように50%以上の代替率維持が可能だとしても、それを可能にしている大きな要因は、前段の第三でも触れたように、国庫負担引上げと年金積立金の運用益・取崩しへの依存を、将来的に拡大するからに他ならない。国庫負担は、2009年までに二分の一へ引上げられる予定で財源探しが続いているが、増税、すなわち国民への追加負担に頼ることになろう。一方の積立金は、政府の報告書等では、その役割によっていかに保険料率が低く、給付水準を高く維持できるか、肯定的役割がとうとうと説明されている。しかし、掘り返すような議論になるが、財投改革時にあれだけ不良債権化が指摘されたにもかかわらず、預託金が順調に年金制度に返還されているのは、国が財投債発行によって、新たな借金を別で作りながら工面しているからである。当然、ここでも将来の国民負担は膨らんでいる。

要するに、年金支給費用は、改革の際に頻繁に耳にする給付と負担の議論から想像される以上に莫大である。政府がいくら他の財布を振ってお金を掻き集めようとしても、現在の財政状態では、結局、形を変えた追加的国民負担に頼ることになる。年金制度内では、本来、保険料率、受給水準、または、支給開始年齢の大幅調整が必要である。これまでの改革の経緯から、前者二つの選択肢を今すぐ使うことは、政治的困難が予想される。実行可能性が高いのは、厚生年金の特別支給開始年齢引上げスケジュールの前倒しと、現在65歳の通常の支給開始年齢引上げを、すぐにでも検討すべきだろう。

むすび

最後に、財政やガバナンスの面で、国民の公的年金制度に対する信頼を取り戻すことが重要であることは、言うまでもない。但し、信頼できる制度を取り戻しても、ある程度見通せる将来において、公的部門の退職所得保障に占める役割の縮小が避けられない中で、今日の現役世代(従って将来の高齢者)には、公的年金給付をベースに、企業や私的年金、貯蓄、稼働所得、同居・別居家族からの支援など、いかにうまく組み合わせていくのか、総合的退職計画の視点が一層必要とされる。これは政府にも言える。公的制度の縮小によるギャップを、民間の様々な制度の補強によっていかに埋めていくのか。総合退職所得保障戦略の下に、徹底的な調査と、積極的な政策支援が必要である。

脚注

[1]本稿の内容・意見は、筆者の個人的見解であり、所属先の見解を示すものではない。
[2] 厚生労働省「人口の変化等を踏まえた年金財政への影響(暫定試算)」(2007年2月6日)。