「安心安全」議論はリスク社会の反映

2007年12月19日 00:00 : Trackback (0) : このエントリーを含むはてなブックマーク

◎西澤真理子(株式会社リテラシー・リテラジャパン 代表)

ミートホープ、船場吉兆、不二家からマクドナルドまで。「偽装」ニュースが紙面を賑わせた一年であった。ニュースを見るにつけ、日本もついに「リスク社会」になったなあ、と感じる。

リスク社会?様々な意見があるが、経済成長を経て、物が豊かになった社会を指すと言えるだろう。経済成長の最中は、自然環境を壊すことは社会が豊かになるために容認された。しかし、工業化を経た社会では、一旦は壊された、社会と自然との調和が求められるようになる。また、このようなポスト工業化の社会では、目に見える、もしくは、明らかに人の健康や環境に危害を与える大きなリスクが減少する代わり、今度は、科学技術の急速な発達によってもたらされる、科学的にその影響がグレーである、不確実リスク(電磁波やナノ粒子など)が増え、それらに社会の注目が集まることも特徴である。さらに、これまで絶大な信頼を得てきた専門家や政府への信頼が低下し、政策決定にも市民社会の参加が求められる。これも、リスク社会の宿命であろう。

日本では食の安全への不安感が増幅しているが、なぜ今、この時期なのか。よくよく考えると、日本がリスク社会になったから、と言えるのではないか。我々の平均寿命はこの30年で10年も伸び、乳児死亡率も過去激減した。海も空も川も大変きれいになった。にもかかわらず、食の安全を含め、雇用や老後の生活など、社会のあらゆる面に不安を感じる。これは、日本が戦後の工業化を脱し、物質的に大変豊かになり、今度は、多様化社会の在り方を探る、まさにその過程に不安を覚えている、と解釈できないだろうか。

物はあふれ、次は心の豊かさを追求しないとならない。が、その代りに、これまでと同じように、(目に見える)物や、時には健康などに、安心や安全を求めてしまう。過度の食の安全への社会の要求はその象徴と映る。

メディアはここ数年、そのような社会の要求にこたえるが如く、食べ物の安全についてセンセーショナルな報道を行ってきている。しかし、メディアは本当のリスク問題には必ずしも触れてはいない。例えば、牛肉の安全対策、食料保障の問題である。過剰な食品回収や食品廃棄の無駄も無視される。

メディアの「危ない情報」に踊らされる社会一般も反省すべき点は多いだろう。納豆ダイエット番組のねつ造や、白インゲン豆ダイエットなどでは、情報を受ける側、消費者側の問題も明らかになった。極端な場合、「やっぱり怖いxxx」というような見出しにあおられ、不安に駆られた消費者が商品の不買など行動を起こし、生産者や関係者が倒産、失職、時には自ら命までも絶つなど、窮地に追い込まれた悲惨なケースがある。鳥インフルエンザの報道、BSE報道などがその例だ。

根本的には、社会の「リスクリテラシー」、消費者も含む全ての関係者が、リスク情報を読み解く能力、を高めることが急がれる。

2007年12月5日の全国紙の朝刊一面を、日本の若い世代の理数離れ深刻で、特に、理科への関心や意欲がOECD調査国では最下位であった、という記事が飾った。大きな問題である。

今後、リスク社会と付き合っていく上で、若い世代の科学技術の「センス」がとても重要になってくる。学校だけではなく、地域や家庭などでもできることはあろう。その一歩一歩を、皆で支援していくことがとても重要と感じている。