「新しい公共」の歴史と課題

2010年06月08日 12:00 : Trackback (0) : このエントリーを含むはてなブックマーク

西田亮介
 (東洋大学経済学部非常勤講師 「project.review」主宰)

「新しい公共」とはなにか

 2009年の政権交代後、多くの目新しい政策が実現された。そうした政策をみると、そもそものマニフェストが、実現可能性の観点から問題があって、人気取りのための公約だったのではないかという疑念も拭えないが、そのことは、7月に行なわれる参議院選で問われることになるだろう。
 多くの課題を抱える鳩山政権だが、新政権になって、にわかに耳にするようになった言葉に「新しい公共」がある。なにやら耳慣れない言葉だが、内閣府の下に、「『新しい公共』円卓会議」(http://www5.cao.go.jp/entaku/index.html)が設けられ、大学教員、企業関係者、NPO関係者、などが構成員となっている。
 では、この「新しい公共」円卓会議は、何を議論しているのだろうか。
 「新しい公共」円卓会議の「設置根拠」の「会議の趣旨」には、次のように記されている。

「『新しい公共』円卓会議とは、第173回国会における所信表明演説に基づき、「新しい公共」という考え方やその展望を市民、企業、行政などに広く浸透させるとともに、これからの日本社会の目指すべき方向性やそれを実現させる制度・政策の在り方などについて議論を行うことを目的として開催する会議」 (http://www5.cao.go.jp/entaku/pdf/konkyo.pdf )
 この文言だけでは、「『新しい公共』とは何か」という定義は、「第173回国会における所信表明演説」に委ねているだけで、その具体的な姿は見えてこない。  では、「第173回国会における所信表明演説」では、「新しい公共」は、どのように説明されているのだろうか。  官邸のアーカイブの中に「第173回国会における所信表明演説」を文字起こししたものが残っている。その中の(「新しい公共」)という節では、次のように記述されている。
「私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う「新しい公共」の概念です。「新しい公共」とは、人を支えるという役割を、「官」と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。  国民生活の現場において、実は政治の役割は、それほど大きくないのかもしれません。政治ができることは、市民の皆さんやNPOが活発な活動を始めたときに、それを邪魔するような余分な規制、役所の仕事と予算を増やすためだけの規制を取り払うことだけかもしれません。しかし、そうやって市民やNPOの活動を側面から支援していくことこそが、21世紀の政治の役割だと私は考えています。」 (http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/200910/26syosin.html )
 これらの文言を総合すると見えてくる「新しい公共」像は、どうやら「1. さまざまな背景を持つ人と人がお互いに支え合い、2. 役に立ちあう社会を 3. 政府は後景に退き、民間主導で実現すること」であるらしいということが朧気ながら見えてくる。「朧気」と表現する理由は、鳩山首相がこの「新しい公共」を口にする正当性が全く見えてこないからだ。例えば、『現代日本の意識構造[第7版]』(NHK出版)や「社会意識に関する世論調査」「国民生活に関する世論調査」といった調査は、「日本人には社会問題解決の当事者意識は育っておらず、依然として行政等へのお任せ意識が存在している」ことを示唆する。  しかも、この「新しい公共」という概念は、「新しい」と名付けられているものの、民主党政権が考え出した新しい概念ではない。

新しくない「新しい公共」

 「新しい公共」は、過去の政権のさまざまな文脈に遡ることができる。たとえば、平成16年の『国民生活白書』は、「人のつながりが変える暮らしと地域−新しい「公共」への道」という題名であった。当時は、自民党小泉政権で、新自由主義的改革を行ったとされ、「新しい公共」の文脈で批判されることも多い竹中平蔵氏が経済財政政策担当大臣をつとめていた。
 この、平成16年度版『国民生活白書』を紐解いてみると、「新しい公共」について、「はじめに」のなかに、次のような記述がある。


「第一に、住民による自発的な活動が、ほかでは対応が難しい暮らしのニーズを満たすことができるのではないかということである。介護や子育てなどに関し家族内で解決できない問題は、社会が対応すべき「公共」の問題として、古くは地域集落の相互扶助の中で、また、都市化が進むにつれて地方公共団体などの「官」が住民サービスとして多くを提供してきた。「官」の提供する住民サービスには公平性と平等性が求められることもあり、個人の多様なニーズや質の追求にきめ細かく対応することにはおのずと限界もある。
 こうして個人でも「官」でも対応が難しくなってきた暮らしのニーズをどう満たすかが課題となっている。地域の活動は、かつて地域集落が担っていた相互扶助のように個人が解決できない「公共」の問題を新しい形で解決する可能性を持っているのではないだろうか。
 第二に、地域の活動は、活動の担い手にとって、家庭や職場など以外に自分の能力をいかし、「生きがい」や「喜び」が得られる場になり得るのではないかということである。いわゆる団塊の世代が、近い将来定年退職を迎える。この世代は、社会とのかかわりを強く意識しており、自らの経験をいかす場として地域の活動に目を向けつつある。また、若い世代も勉学や職業としての仕事に加えて地域における非営利の活動に関心を高めている。こうして各世代にわたって生まれつつある活動の担い手は、今後の活動の広まりにつながるのではないだろうか。
 このように、住民が自分の関心のある分野で経験や能力をいかし、様々な関係者と協力しながら、個人では解決できない地域の様々な課題に自発的に取り組む活動は、新しい形の「公共」を創り出すことにつながるのではないだろうか。」(http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h16/01_honpen/hm30000.html)

 同じく小泉政権下の平成17年に、総務省が設置した「分権型社会に対応した地方行政組織運営の刷新に関する研究会」がまとめた報告書『分権型社会における自治体経営の刷新戦略』では、「『新しい公共空間』の形成」 という文言から始まり、市民と企業、行政の協働による「新しい公共空間」の創出が提唱されている。
 内容的には、第173回所信表明演説と大きな違いはないのだが、一つ重要なポイントがある。それは、本報告書が、行政改革と紐づけられている点だ。文中に何度もNPM(新公共経営)という語句が登場し、行政経営資源の限界といった現状の中で、「新しい公共空間」の形成が政策的に位置づけられている。
 それに対して、「新しい公共」円卓会議は、どのような文脈の中に「新しい公共」が位置づけられるのかという話題は一向に見あたらない。個別の、寄付税制の改革や、NPOを中心とした新しい連携の枠組みの議論が、ばらばらに提出されているように見える。 
 小泉政権以外にも、官民の役割分担の徹底を推進する機運は各所に見出すことができる。たとえば、橋本政権の行政改革会議や、麻生政権下の平成20年「国土形成計画」内の「新たな公」もある。
 このような視点に立つと、「新しい公共」それ自体のコンセプトに新規性はなく、問われているのは具体的な各論であることがわかる。

「新しい公共」の具体的な取り組み

 では、新しい公共円卓会議では、どのような具体的なテーマがあげられているのだろうか。「新しい公共」円卓会議の、過去の会議資料を見ると、大枠では、「新しい公共宣言」以下の6つの項目を中心に、4つがメインの議題となりそうだ。


  • 「新しい公共」宣言(案)

  •  ・非営利セクターの活性化とソーシャルキャピタルの醸成
     ・新しい公共を担う社会的・公共的人材の育成
     ・公共サービスのイノベーション
     ・新しい発想域の力を引き出す
     ・「共感とコミットメント」の経済活動による
      社会のつながり形成
     ・民間による組織的な公共支援活動

  • 寄付税制改革

  • 子ども手当を利用したバウチャー制度の創出

  • 新しい公共円卓会議作業チーム 「社会事業法人」の検討

だが、この「新しい公共」宣言(案)(http://www5.cao.go.jp/entaku/shiryou/22n7kai/pdf/100514_01.pdf)を見れば、わかるが、この6つのテーマについて、参考事例が並べられているだけで、具体的にどのように実行するのか、移行プロセスをどう設計するのか、という話題は全く出てこない。
 さらに寄付税制改革は、今回の円卓会議の主要トピックであったはずだが、「新しい公共」宣言(案)では、「検討を進めることを強く期待するものである。」と述べるに留まり、具体的な姿は一向に見えてこない。
 さらにいえば、もっとも予算的な負担が少なくてすみ、公平で他の行政アクターとソーシャル・セクター(サード・セクター)の競争環境を創出するように思われる「社会事業法人」は、「新しい公共」宣言(案)からすっぽり抜け落ちしてしまっている。
 全体的に、資金の流れを「コンクリートから人へ」と移行させる議論が中心になっており、具体的な制度改革の形が見えてこない。(1)

おわりに

 ここまで、ごく簡潔に、「新しい公共」の政策的文脈を確認してきた。細かい資料の分析については他の機会に譲ることになるが、日本の政策では従来から、特に地域社会に、自律的に社会問題解決を担うアクターを創出することが政策課題としてあげられてきた。
 既存の制度でいえば、「中心市街地活性化基本計画」「新連携」「農商工連携」なども広義には、このような文脈に位置づけることができる。しかし、こうした枠組みに対して補助金を落とす仕組みは十分な効果を生んだとはいえない。
 向かうべき方向性が明確ならば、このような枠組みは機能するかもしれないが、いわゆるセオリーが見えない中では、補助の枠組みの前に、進むべき方向性を模索するための環境醸成が必要だ。それが、現在の日本の地域行政やソーシャル・セクター支援で完全に忘れられている視点といえよう(先駆的な少数の事例は存在する)。
 なにが「正解」であるか不透明である場合、試行錯誤と創意工夫が必要だが、アクターを試行錯誤と創意工夫に向かわせるインセンティブとしては、失敗した際のセーフティネットの拡充と、そのための間接経費の計上を認める必要があろう。もちろん、このような施策は、支援を受ける側のアカウンタビリティの徹底とセットとなる必要がある。
 私たちは、「新しい公共」といった聞こえのいいフレーズを長年聞かされてきた。今さら新しいお題目は必要ない。今、本当に必要なものは具体的な方法論と、移行策だ。

(1)2010年6月4日、「新しい公共」円卓会議の最終回が開催された。当日の会議資料(http://www5.cao.go.jp/entaku/shiryou/22n8kai/22n8kai.html)によると、二人の委員から、社会事業法人格、中間支援団体育成、 認定NPO改革について、制度の複雑化の観点から付記がなされ、今回の「新しい公共」円卓会議の成果の実現は、ますます先行きが不透明になった


プロフィール:

1983年生まれ。独立行政法人中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー。東洋大学非常勤講師。慶應義塾大学大学院博士課程在籍中。地域活性化や非営利組織論からメディア論、教育論も扱う論客として各メディアで活躍する09年末から、クラウドソーシングを用いてつくる新媒体「.review(ドット・レビュー)」を立ち上げる。http://dotreview.jp/ twitter→http://twitter.com/Ryosuke_Nishida