ステークホルダー・デモクラシーの可能性

2010年09月29日 15:36 : Trackback (0) : このエントリーを含むはてなブックマーク
松尾 隆佑

1.「われわれは今や、みなステークホルダーである」

 ここ10年ほどの間に「ステークホルダー(ステイクホルダー)」なる言葉を見聞きする機会が随分増えたと感じている人は、少なくないだろう。この語は主として1980年代から、株主に限らない企業に対する「利害関係者」(従業員、取引先、消費者、地域、政府など)を意味して使われていたが、特に90年代以降に企業経営以外の広範な領域で用いられるようになるにつれ、日本でもカタカナ書きのまま使われることが多くなった[1]

 例えば地方自治の文脈であれば、地域住民や地元企業・団体、地方政府および中央省庁などがステークホルダーである。同様に、学校教育の問題なら生徒、保護者、教職員、教育委員会、地域などが、医療現場であれば患者やその家族、医師・看護師などの医療従事者、医療機関、医師会、健保組合などがステークホルダーと見なされるであろう。これまで使われていた「当事者」や「利益団体」などの呼び名がステークホルダーと言い換えられることで、職場・地域・学校・家庭において、あるいは企業・政府や様々な問題に対して、私たちは今や、みなステークホルダーになったのである。

 だが、なぜ当事者や利益団体ではなく、また日本語で利害関係者と言うのでもなく、ステークホルダーなる横文字を使わなければならないのか、疑問を持っている人は多いのではなかろうか。所詮は一時の流行語であり、呼び方を替えても実質は何も変わっていないし、決して変わるまいと、冷笑的に見ている人もいるだろう。実際、これには無理からぬところがある。
 これまでのところ、(カタカナ書き)の「ステークホルダー」が利害関係者を意味することは知られるようになったが、そもそも“stakeholder”なる語がどのような含意を持つのかはあまり知られていないし、ステークホルダーが持つとされる“stake”とは一体何を指すのかについて語られることは少ない。こうした語義・含意についての理解が伴わなければ、新奇な言葉が上滑りしているだけとの印象を受ける人が出るのも自然である。
 例えば1990年代半ばのイギリスでは、コラムニストのウィル・ハットンが、米国型の株主(shareholder、stockholder)資本主義を批判して日欧型の「ステークホルダー資本主義」を掲げた。その影響を受けたトニー・ブレアは、96年1月のシンガポールでの演説中、福祉、教育、経済の各分野において国民全員を包摂するような社会システムである「ステークホルダー経済」を目指すと宣言した[2]。97年の労働党マニフェストによれば、「誰もが社会においてステークを持ち、それに対して責任を負う」ことが、「ステークホルダー経済の真の意味である」とされる。ブレア政権が導入した、政府が定めた基準を満たすことで認定される私的年金である「ステークホルダー年金」制度は、こうした考え方を実践した政策の一例と言えよう[3]
 また、2005年9月にアメリカのゼーリック国務副長官(当時)が中国を「責任あるステークホルダー」と表現したことを端緒として、同国高官から同様の発言が相次ぎ、06年4月の米中首脳会談に先立つ演説では、ブッシュ大統領(当時)が「多くの戦略的利益を共有している」アメリカと中国は、「国際システムにおけるステークホルダー」として「責任をもって共通の課題に取り組む」との意思を表明するに至った[4]
 ブレアは、国家および社会において各市民にステークが保障されるべきであることを強調するが、ここでの“stake”を「利害関係」と訳してしまうと、社会における利害関係を「保障」するとの文意になり、いささか理解しにくい。また、アメリカ高官の発言について当時の主要紙は、“stakeholder” を「利害関係者」や「利害共有者」と訳して伝えたが、国家を国際システムにおける利害関係者と呼ぶのは当たり前すぎて、それだけでは何を言いたいのかわからない。むしろここで重要なのは、ブレアの考え方と共通する「責任」の強調であり、それを導き出すような、ステークホルダーとしての「承認」、あるいはステークの「保障」である。
 ステークホルダーなる目新しい言葉に何らかの意義や可能性があるかどうかの判断は、日本語の「利害関係者」とは微妙にズレる、その語義・含意についての理解を深めてからでも、決して遅くはないはずである[5]


2.ステークホルダー論の起源と背景

  “stakeholder”は少なくとも16世紀から存在する言葉で、開拓移民たちが土地の所有権を主張するために杭(stake)を立てたことに発するとする説が有力である。70年代までのアメリカでは、ステークホルダーは人権団体や消費者団体、環境保護団体など「権利を主張する者たち」として、どちらかと言えば否定的な意味付けを与えられていた。しかし、70年代から80年代にかけて多様な社会運動が盛んに展開される中でその価値付けは中立化され、概念的捉え直しとともに理論化が進んだ。
 その成果を結実させた記念碑的著作とされるのがR.E.フリーマンの『戦略的経営』(1984年)であり、これは現代のステークホルダー論の出発点となった[6]。同書の中でフリーマンは、ステークホルダーとは「組織の目的達成に影響を与えることができるか、組織の目的達成によって影響を受ける個人または集団」であるとしており、これは現在でも広く共有されている、ステークホルダーについての古典的定義である。フリーマン以降、企業や非営利組織、地方政府などの公共セクターにまたがる戦略的経営論や、応用倫理学の一領域としてのビジネス・エシックスなどを中心として、「ステークホルダー理論」が発展してきた[7]
 戦略的経営論は組織の存続に不可欠なアクターとして、ビジネス・エシックスは企業に対する権利主体として、ともにステークホルダー概念を捉え直したが、そうした探究が要請された背景は、アメリカのみに限定されるものではない。80年代以降にステークホルダー理論が活発に研究されるようになり、特に90年代以降は公共政策その他の分野でもステークホルダー論が注目を集めるようになった理由として、大きく次の4点が指摘できる[8]
 すなわち、(1)グローバル化による世界的相互依存の深まり、(2)企業・NGO・NPOなど非国家的アクターの影響力拡大、(3)効率性と公開性の要求の高まりに直面した公共セクターの変容(ニュー・パブリック・マネジメントやパブリック・インボルブメントなど、市場と参加の活用を通じた公共経営の刷新努力)、(4)科学技術の高度化・専門分化によるリスクの不確実性の高まり、である。
 あらゆる問題は広範囲に拡散する上に、そこに伴うリスクは予測困難なものであるため、無数の個人や集団・組織を巻き込んだ強い公共的関心の的となることを避けられず、政府も企業も問題を「封じ込める」ことはできない。各アクターが影響を及ぼし得る範囲が拡大するとともに人々の利害関心の在り方が複雑化することによって,既存の意思決定過程の有効性や正統性が動揺している。単なる株主や顧客、有権者や旧来の利益団体などには尽くされないステークホルダーが注目を集める理由は、こうした点に求められる。
 ステークホルダー理論は、意思決定主体が決定の有効性と正統性を高めるためには、決定プロセスに多様なステークホルダーを包摂することが重要であるとの認識に基づいている。こうした考え方は公共政策やグローバル・イシューにも適用され、「多様なステークホルダーが対等な立場で参加した対話と合意形成のプロセス」である「マルチステークホルダー・プロセス(MSP)」として、広範に実践されている[9]
  92年にリオ・デ・ジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)が採択した「アジェンダ21」では、持続可能な発展を実現するプロセスに政府だけでなく多様な社会集団(Major Groups)を参加させる必要がうたわれた。これを受けて国連経済社会理事会に設置された持続可能な発展に関する委員会(CSD)では、NGOなどの非国家的アクターを参加させた対話プロセスが設けられている[10]。また、EUは2002年から企業の社会的責任(CSR)に関するマルチステークホルダー・フォーラムを開催して、CSRの指針・政策を議論するコアメンバーとして、経営者団体、ビジネス・ネットワーク、労働組合、各種NGOを招集している[11]。09年3月には日本でも、事業者団体、消費者団体、労働組合、金融セクター、NPO・NGO、専門家、行政の各組織・集団からの代表者から構成される「安全・安心で持続可能な未来に向けた社会的責任に関する円卓会議」を内閣府が設立している[12]。その他、自治体レベルでも多様な取り組みが為されている[13]
  MSPでは、意思決定や合意形成に参加するステークホルダーが「対等」な立場で対話することと同時に、共同の「責任」において決定を作成していくべきことが重視される。これはブレアやブッシュらの用法と共通する特徴である。元々「杭」を意味した“stake”には、それによって示される正当な権利や地位といった意味合いが伴うようになり、「承認」や「保障」される対象となった。同時に、それを有するステークホルダーには、相応の「責任」が求められる。日本語の「利害関係者」と大きくニュアンスが異なるのは、この点である。
 加えて、“stake”は利害関係や権利の他に、「賭け事」や「賭け金」の意味も持っていることを押さえておくべきだろう[14]。ステークホルダーは、賭けの参加者(プレーヤー)を意味しても使われる。ハットンやブレアが目指していたステークホルダー資本主義ないしステークホルダー経済は、国民全員を包摂して社会に参加させる国家であるとともに、国民一人一人が国家に依存することなく責任をもって主体的に行動する社会システムであった。そこで市民に保障されるステークとは、社会運営というゲームのプレーヤーとしての市民に分配されるゲームの元手、すなわち賭け金を意味している[15]。責任の負担は、権利ないし地位の保障に伴う義務としてだけでなく、ゲームに伴うリスクとしても前提される。
 本来の語義を重んじるなら、ステークホルダーは単なる利害関係者ではなく、正当な権利や地位を認められる代わりに決定や集団に対して責任ある参画を果たす、市民社会のプレーヤーであり、公共性の担い手なのである。そしてこうしたステークホルダー像は、既存の決定過程が動揺する中で注目されたステークホルダーには、決定に関与・参加していく上で必然的に要請される責務やリスクがあるという経験的事実とも合致している。社会を構成するプレーヤーとして捉えられたステークホルダーは、「公共化された利害関係者」と言えよう。


3.ステークホルダーとデモクラシー

  MSPの取り組みに見られるように、ステークホルダーにまつわる議論はもはや経営や経済の問題に留まらず、政治制度や社会構成原理としてのデモクラシーの問題となっている。そもそもデモクラシーが「治者と被治者の同一性」を追求するものであり、また同時に何らかの決定を導出する政治体制である以上、ステークホルダーが決定過程に関与すべきなのは当然であるし、決定の有効性を高めようと思えばステークホルダーの包摂が欠かせない。
 近年の日本では利益政治への反発が強く、利害関係者は政治過程を歪めるとの批判が広く共有されている。だが利害関係者とは本来、問題について最も切実な利害関心を持つと同時に、その関心ゆえに問題を詳しく知悉している人々である。したがって、現代のように問題やリスクの専門性が高まるほど、ステークホルダーによる合意形成は重要になる。
 そもそも私たちは、みな何らかの問題についてステークホルダーなのだから、利益政治や利害関係者による政治そのものを否定できないし、否定する必要もない。曖昧で一体性のない「民意」なるものを忖度する政治よりも、多様であるが個別に明確な利害関係者の意思に基づきつつ、個別に合意形成を探りながら問題を解決していく方が、デモクラシーの機能を高めることには役立つだろう。
 このような認識に立つなら、ステークホルダーを中心とする決定を可能にする「ステークホルダー・デモクラシー(利害関係者民主政:SHD)」の実現が目指されることになる。ステークホルダー・デモクラシーとは、治者と被治者の同一性の実現を追求するため、狭義の政治的決定のみならず社会内のあらゆる決定について、当該決定から影響を被り得る全ての利害関係者の参加可能性をできるだけ拡大しようとする民主政モデルである。
 ステークホルダー・デモクラシーの可能性と課題はどこに見出されるだろうか。私たちは社会内の全てのイシューに利害関心を持つわけではないし、利害関心の程度も人それぞれに異なっている。自分が関心を持っていないイシューについては、政治的決定から退出する自由が認められてよいし、より強い関心を持っている人にはより強い政治的影響力が認められてもよいのではないか。人々の利害関心の分布は行政区分やメンバーシップと一致しているわけではないから、イシューごとに異なるステークホルダーたちによる合意形成に基づく決定が為されるなら、既存の境界線を超えた政治が可能になるかもしれない。
 こうした立場は、とりたてて新奇な考え方ではないし、実現不可能な観念的構築物でもない。産業民主主義的伝統を引き継ぎつつ、労働政策の決定過程を労使からの利害関係者代表による交渉に基づかせようとする立場を「ステークホルダー民主主義」として位置付け直そうとする立場は、既に見られる[16]。北欧諸国で主に福祉・ケア分野について設けられている、サービス利用者によって構成される委員会の意向を政策決定に反映させる「高齢住民委員会」などの制度や[17]、アメリカ各州で行われている電気・電話・ガス・水道などの公益事業に関する政策決定に消費者代表が構成する理事会の意向を反映させる「市民益擁護委員会」制度など[18]、公共サービスの利用者が中心となって当該サービスに関する政治的決定を行う「ユーザー・デモクラシー」の取り組みは、既に実践されているステークホルダー・デモクラシーの一例と言えるだろう。
 ステークホルダー・デモクラシーを実現していく際に重要なのは、誰をどのような理由で主要なステークホルダーと見なすのかという「ステークホルダー分析」の問題であり、誰に誰を代表できるのかという「ステークホルダー代表」の問題である。適正な手続きを経て選定された(主要な)ステークホルダーによる合意・決定は、その外部の市民ないし社会全体(主要でないステークホルダー)との均衡において審査されることで、最終的な正統性を獲得することになる。こうしたプロセスを具体的にどう実現することができるかは、今後検討・試行されるべき課題である。
 ステークホルダー・デモクラシーのあり得る形については、交渉や討議の過程で生じる学習効果や選好の変容が生じる可能性を重視して、単純な費用便益分析だけでは決定を導けない多様なリスクを伴う公共的決定をステークホルダーによる「熟議(deliberation)」に基づかせようとする熟議的解釈と [19]、利害関係を数量化可能で電子的に処理できるものと捉え、例えば政策課題ごとにその度ごとの電子投票を行うなどして最適な解決を導こうとする数理的解釈との2種類が存在する[20]
 異なる2つの解釈は、社会システム全体に対するステークホルダー(プレーヤー)の包摂・参加への態度における差異に基づいているが、政策課題や局面によって併用が可能であり、相互排他的ではない。どちらの立場も、各個人に正当な権利または地位(賭け金)を認めた上で、その利害を政治的決定へと適切に伝達・反映させる回路を再整備するべきであるとの見解を含んでおり、現在の政治過程が利害伝達回路として十分に機能していないとの認識は共通している。
 投票率の減少や無党派層の増加など、政治的無関心の現われとされる多くの事象は、実際にはフォーマルな政治過程が利害伝達回路として十分に機能せず、市民の政治的有効性感覚が低下していることを大きな要因としている。既に指摘したように、現代では社会に対して大きな影響力を持つ決定主体は政府以外にも存在するが、これらは非政府的主体であるがゆえに民主的統治原理に基づく統制の外に在る。他方、イシューの専門性とリスクの不確実性のためにフォーマルな政治過程が十分な対応を行うことは困難であり、後手に回りがちな政府機能への信頼は減衰するばかりである。決定権力が政治過程から社会の側に移行しているのならば、政治過程に参加することの意味や必要性が乏しいと感じられるのも当然であり、機能しない政治システムへの信頼が先細るのは自然である。
 今や社会内に政治が遍在するゆえに、公共的決定の契機もフォーマルな政治過程から社会一般に拡大・拡散しており、それゆえに公共化された利害関係者としてのステークホルダーによる合意・決定が不可欠になっている。政治全体の有効性感覚を回復させるためには、多面的な分野でステークホルダーの決定への参与可能性を高めなければならない。社会内部の多元的な決定契機への参加プロセスは、そのまま個人を社会へと結び付ける多元的な回路ともなるだろう。
 それら個々の領域・イシューにおける決定プロセスを正統なものにする共通の原理として、今こそデモクラシーが必要とされている。未来の政治が、すなわち公共的決定のプロセスが具体的にどのような形態になるのかは、ステークホルダーとしての私たちが、社会に対してどう関与・参画しようとするかの選択に拠っている。民主政モデルとしてのステークホルダー・デモクラシーは、それが私たち自身をステークホルダーとして捉え直すことを通じて、私たちの政治への関わり方を、あるいはデモクラシーの在り方そのものを捉え直すために用いられてこそ、その可能性を現わすのである。

[1] 日本では、経済同友会が企業の社会的責任(CSR)への取り組みを本格化させた2000年以降、CSRの考え方と同時にステークホルダーの語が飛躍的に普及した。
[2] 小堀眞裕「第三の道か、サッチャリズムMark2か、それともステイクホルダー資本主義か?――ブレア政治をめぐる議論の整理のために」『政策科学』第11号第3巻、2004年。
[3] 藤森克彦「英国の年金改正の動向」『DIO』第171号、2003年。
[4] “President Bush and President Hu of People’s Republic of China Participate in Arrival Ceremony”, Presidential News&Speeches, April 20, 2006, The White House.
http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2006/04/20060420.html
[5] ステークホルダーの語源や語義については、水村典弘『現代企業とステークホルダー――ステークホルダー型企業モデルの新構想』(文眞堂、2004年)を参照されたい。
[6] R.E.Freeman, Strategic Management: A Stakeholder Approach, Pitman, 1984, p.46.
[7] ステークホルダー理論の起源と展開については、水村典弘『ビジネスと倫理――ステークホルダー・マネージメントと価値創造』(文眞堂、2008年)が詳しい。
[8] 以下を参照。谷本寛治『CSR――企業と社会を考える』(NTT出版、2006年)。中山竜一「リスク社会における公共性」飯田隆ほか編『岩波講座 哲学10 社会/公共性の哲学』(岩波書店、2009年)。
[9] 佐藤正弘「新時代のマルチステークホルダー・プロセスとソーシャル・イノベーション」『季刊 政策・経営研究』2010 Vol.3(通巻第15号)。
[10] http://www.un.org/esa/dsd/csd/csd_aboucsd.shtml
[11] http://circa.europa.eu/irc/empl/csr_eu_multi_stakeholder_forum/info/data/en/csr%20ems%20forum.htm
[12] http://sustainability.go.jp/forum/
[13] http://www.sustainability.go.jp/projects/index.html
[14] 移民たちが杭の上で賭けに興じたことからこの意味があるとされる。競馬を知る読者は、「ステークス」を想起されたい。
[15] 「賭け金」としてのステークを保障する観点からは、全市民に無条件で一定額を給付するベーシック・インカムや、同様に一定額を貸与するベーシック・キャピタルが(選択肢の一つとして)正当化され得る。ブルース・アッカーマンは、成人時に一律8万ドルを給付して死後全額払い戻させる「ステークホルダー・グラント」を提唱している。以下を参照。齋藤拓「ベーシックインカムとベーシックキャピタル」『Core Ethics』第2号、2006年。Bruce Ackerman and Anne Alstott, The Stakeholder Society, Yale University Press, 1999.
[16] 濱口桂一郎『新しい労働社会――雇用システムの再構築へ』(岩波書店、2009年)。
[17] 特にデンマークの事例について、朝野賢司ほか『デンマークのユーザー・デモクラシー』(新評論、2005年)を参照。
[18] 篠原一「ネオ・コーポラティズムの理論と現実」『歴史政治学とデモクラシー』(岩波書店、2007年)、167頁。
[19] 松尾隆佑『利害関係理論の基礎――利害関係概念の再構成と利害関係の機能についての理論的考察』(2007年度一橋大学大学院社会学研究科修士論文、2008年1月提出)、補論。
https://sites.google.com/site/politicaltheoryofegoism/works
[20] 以下などを参照。東浩紀「一般意志2.0 (4) 政治とはなにか」『本』第35巻第3号(通巻404号)、2010年3月。東浩紀「一般意志2.0 (6) 政府2.0」『本』第35巻第6号(通巻407号)、2010年6月。鈴木健「社会システム2.0――なめらかな社会とその敵」(第2回VCASIブレインストーミングセッション、日本財団ビル3階A会議室、2010年4月12日)。
http://www.vcasi.org/node/640

プロフィール
1983年、青森県生まれ。青森県立八戸高等学校、一橋大学社会学部を経て、2008年3月に一橋大学大学院社会学研究科修士課程を修了(社会学修士)。塾講師。専門は政治学・政治理論。主な研究テーマは、(1)マックス・シュティルナーの政治思想、(2)利害関係者民主政(stakeholder democracy)など。論文に、「エゴイズムの思想的定位――シュティルナー像の再検討」(『情況』2010年3月号)など。ホームページはhttps://sites.google.com/site/politicaltheoryofegoism/。