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   <title>政策空間</title>
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   <updated>2011-04-26T07:22:06Z</updated>
   <subtitle>『政策空間』は、政策に関するさまざまな論点や視点を提供する政策ジャーナルです。</subtitle>
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   <title>政策空間live「『オープンガバメント』は日本を救うのか？−３・１１大震災とこれからの日本」</title>
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   <published>2011-04-26T07:05:26Z</published>
   <updated>2011-04-26T07:22:06Z</updated>
   
   <summary>Tweet ２０１１年４月２２日（金）放送 （技術協力：VoiceJapan　共...</summary>
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      <![CDATA[<div align="right"><a href="http://twitter.com/share" class="twitter-share-button" data-url="http://www.policyspace.com/2011/04/post_750.php" data-text="政策空間live「『オープンガバメント』は日本を救うのか？−３・１１大震災とこれからの日本」" data-count="horizontal" data-via="PolicySpace" data-lang="ja">Tweet</a><script type="text/javascript" src="http://platform.twitter.com/widgets.js"></script></div>

<div align="center">２０１１年４月２２日（金）放送</div>
<div align="center">（技術協力：<a href="http://www.voicejapan.org/">VoiceJapan</a>　共催：<a href="http://go2senkyo.com/">ザ・選挙</a>）</div><br>

このたびの東日本大震災では、ソーシャルメディアが目覚ましい活動をしています。一方で、政府の情報公開のあり方や、「現場」と「メディア」の接続など、様々な課題も見えてきました。今回の放送では「オープンガバメント」という切り口から、今回の災害で見えてきた課題、これからの政府の役割について議論します。

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<br /><a href="http://www.ustream.tv/" style="padding: 2px 0px 4px; width: 400px; background: #ffffff; display: block; color: #000000; font-weight: normal; font-size: 10px; text-decoration: underline; text-align: center;" target="_blank">Video streaming by Ustream</a>


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      <![CDATA[<div>■出演者<br>
　庄司昌彦　氏（国際大学GLOCOM講師／主任研究員）</div>
<div style="margin: 10px 20px"><FONT size="-1">1976年、東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科修士課程修了。おもな関心は情報社会学、政策過程論、電子政府・自治体、地域情報化、ネットコミュニティなど。現在、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター（GLOCOM）講師／主任研究員。内閣官房IT戦略本部 電子行政タスクフォース構成員、一般社団法人インターネットユーザー協会（MIAU）理事、NPO法人政策過程研究機構理事、国立民族学博物館共同研究員なども務めている。共著に『地域SNS最前線　Web2.0時代のまちおこし実践ガイド』（2007年、アスキー）、『クリエイティブ・シティ　新コンテンツ産業の創出』（2007年、NTT出版）、『情報アクセシビリティ　やさしい情報社会へ向けて』（2005年、NTT出版）など多数。</FONT>
</div>

<div>　谷本晴樹（尾崎行雄記念財団研究員・『政策空間」』編集委員）</div>
<div style="margin: 10px 20px"><FONT size="-1">日本大学大学院国際関係研究科博士前期課程修了。現在、（財）尾崎行雄記念財団研究員。その他、「政策空間」編集委員、NPOインタープレスサービスジャパン理事、政治社会学会監事。日本国際政治学会、日本臨床政治学会所属。専門は政治哲学、公共政策論、国際平和論など。著書に『咢堂言行録―尾崎行雄の理念と言葉』（2010年、世論時報社）など</FONT></div>

<div>■コーディネーター<br>
　佐々木孝明（『政策空間』編集長）</div>
<div style="margin: 10px 20px"><FONT size="-1">1964年生まれ。（社）日本経済団体連合会・21世紀政策研究所主任研究員。麗澤大学非常勤講師。東京大学卒業後、第一勧業銀行、日本総合研究所研究員、衆議院議員額賀福志郎政策担当秘書、防衛庁長官秘書官、東京財団リサーチフェロー、参議院議員松井孝治政策担当秘書、衆議院議員森本哲生政策担当秘書を経て、2009年より現職。著書に『不況学の現在』（2009年、山川出版社）『政治不信の構造』（2004年、日本評論社）など。</FONT></div>

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   <title>政策空間live「『オープンガバメント』は日本を救うのか？−３・１１大震災とこれからの日本」放送のお知らせ</title>
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   <published>2011-04-19T04:25:36Z</published>
   <updated>2011-04-26T06:59:08Z</updated>
   
   <summary>Tweet このたびVoiceJapan様のご協力を得まして、「政策空間live...</summary>
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      <![CDATA[<div align="right"><a href="http://twitter.com/share" class="twitter-share-button" data-url="http://www.policyspace.com/2011/04/post_749.php" data-text="政策空間live「『オープンガバメント』は日本を救うのか？−３・１１大震災とこれからの日本」放送のお知らせ" data-count="horizontal" data-via="PolicySpace" data-lang="ja">Tweet</a><script type="text/javascript" src="http://platform.twitter.com/widgets.js"></script></div>

<blockquote>このたびVoiceJapan様のご協力を得まして、「政策空間live」を放送することが決定しました。「政策空間」では、引き続き様々な論考を掲載しつつ、動画の配信を通じて、「政策」に関するさまざまな論点や視点を提供していくことを考えています。</blockquote>
<div align="center">（技術協力：<a href="http://www.voicejapan.org/">VoiceJapan</a>　共催：<a href="http://go2senkyo.com/">ザ・選挙</a>）</div><br>

<div align="center"><FONT size="+1"「政策空間live」（第１回：2011年4月22日 20:00〜）</FONT>
<FONT size="+2"><strong> 「『オープンガバメント』は日本を救うのか？<br>
　−３・１１大震災とこれからの日本」</strong></FONT><br><br>
（２０１１年４月２２日（金）20:00〜）<br></div>

]]>
      <![CDATA[<br><div align="center"><TABLE border="0" width="85%">
<TR><TD><FONT size="-1">今回の大震災では、ソーシャルメディアが目覚ましい活動をしています。一方で、政府の情報公開のあり方や、「現場」と「メディア」の接続など、様々な課題も見えてきました。今回の放送では「オープンガバメント」という切り口から、今回の災害で見えてきた課題、これからの政府の役割について議論します。<br>　参考ページ：
　<a href="http://www.policyspace.com/2011/04/post_746.php">谷本晴樹「今こそ『オープンガバメント』の推進を！―東日本大震災・被災者支援で必要な視点」</a></FONT></TD></TR>
</TABLE></div>

<div>■出演者<br>
　庄司昌彦　氏（国際大学GLOCOM講師／主任研究員）</div>
<div style="margin: 10px 20px"><FONT size="-1">1976年、東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科修士課程修了。おもな関心は情報社会学、政策過程論、電子政府・自治体、地域情報化、ネットコミュニティなど。現在、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター（GLOCOM）講師／主任研究員。内閣官房IT戦略本部 電子行政タスクフォース構成員、一般社団法人インターネットユーザー協会（MIAU）理事、NPO法人政策過程研究機構理事、国立民族学博物館共同研究員なども務めている。共著に『地域SNS最前線　Web2.0時代のまちおこし実践ガイド』（2007年、アスキー）、『クリエイティブ・シティ　新コンテンツ産業の創出』（2007年、NTT出版）、『情報アクセシビリティ　やさしい情報社会へ向けて』（2005年、NTT出版）など多数。</FONT>
</div>

<div>　谷本晴樹（尾崎行雄記念財団研究員・『政策空間」』編集委員）</div>
<div style="margin: 10px 20px"><FONT size="-1">日本大学大学院国際関係研究科博士前期課程修了。現在、（財）尾崎行雄記念財団研究員。その他、「政策空間」編集委員、NPOインタープレスサービスジャパン理事、政治社会学会監事。日本国際政治学会、日本臨床政治学会所属。専門は政治哲学、公共政策論、国際平和論など。著書に『咢堂言行録―尾崎行雄の理念と言葉』（2010年、世論時報社）など</FONT></div>

<div>■コーディネーター<br>
　佐々木孝明（『政策空間』編集長）</div>
<div style="margin: 10px 20px"><FONT size="-1">1964年生まれ。（社）日本経済団体連合会・21世紀政策研究所主任研究員。麗澤大学非常勤講師。東京大学卒業後、第一勧業銀行、日本総合研究所研究員、衆議院議員額賀福志郎政策担当秘書、防衛庁長官秘書官、東京財団リサーチフェロー、参議院議員松井孝治政策担当秘書、衆議院議員森本哲生政策担当秘書を経て、2009年より現職。著書に『不況学の現在』（2009年、山川出版社）『政治不信の構造』（2004年、日本評論社）など。</FONT></div>
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   <title>ウィキリークスからみる権力関係の更新可能性</title>
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   <published>2011-04-10T23:54:37Z</published>
   <updated>2011-04-11T13:13:14Z</updated>
   
   <summary>　Tweet 塚越健司（一橋大学大学院社会学研究科，.review編集） 　20...</summary>
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      <![CDATA[<div align="right"><a href="http://www.policyspace.com/20110411tsukamoto.pdf"><img alt="pdficon_small.gif" src="http://www.policyspace.com/pdficon_small.gif" width="17" height="17" /></a>　<a href="http://twitter.com/share" class="twitter-share-button" data-url="http://www.policyspace.com/2011/04/post_747.php" data-text="塚越健司『ウィキリークスからみる権力関係の更新可能性』を掲載しました #policyspace" data-count="horizontal" data-via="PolicySpace" data-lang="ja">Tweet</a><script type="text/javascript" src="http://platform.twitter.com/widgets.js"></script></div>


塚越健司（一橋大学大学院社会学研究科，.review編集）


　2011年3月11日。日本を襲った大震災はその爪痕を深く残すと共に、先行き不安の影を日本全土に及ぼした。さらに、原発問題に端を発する放射能汚染の問題は、天災ではなく人災であるとの声が叫ばれ、東京電力と政府・大手マスコミとの癒着関係がネットを中心に批判されている。そんななか、リークサイト「ウィキリークス」は原発問題にかんする公電をリークするなど、精力的な活動をみせている。
　本稿では、ウィキリークスの持つ「リーク」を「権力」の観点から考察することで、その思想的価値を追求したい。
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      <![CDATA[<strong>原発にも触れるウィキリークスの外交公電</strong>
　昨年世界中から注目を浴びたリークサイト「ウィキリークス」。2010年11月28日から段階的公開を開始した米外交公電事件は、日本における報道が下火になった現在でも、着々と公電を公開している。
　ウィキリークスは的確なリーク戦略を展開することで、確実に世界に対するプレゼンスを獲得してきた経緯がある。2011年、チュニジア・エジプト・リビアで相次ぐ革命が生じた際にも、ウィキリークスは積極的にこれらの国家に関する公電を公開することで、世界に対してその存在をアピールしてきた。
　日本ではほとんど報道されることはなかったが、東日本大震災（3月11日）直後の3月15日に、ウィキリークスは原発に関する公電を公開している。公電は2008年、東京の在米大使館から発信されたものである。それによれば、米外交関係者は原発反対派で知られる自民党河野太郎議員と会談し「電力各社はテレビ局に経済的圧力を加え、河野議員がテレビ出演出来ないよう工作している」と伝えている。
　すでにネット等で盛んに議論されている、東京電力のスポンサー料を背景にした各種大手メディアの抑制報道のことを、この公電は明らかにしている。公電の内容としてはそれほど機密性の高いものではないが、ウィキリークスが積極的に各国の問題に介入しようと欲していることがうかがえる。こうした活動によって、ウィキリークスは巨大組織の不正を明るみに出そうと欲しているのである。

<strong>「支配関係」から「権力関係」へ</strong>
　権力が引き起こす不正を暴露するウィキリークスだが、権力という意味では、そもそも我々は常にすでに権力関係の中に埋め込まれて生きているとも言える。冷戦期のアメリカとロシアを代表とする、国家対国家の権力関係もあれば、学校のクラス内にも見えない力関係が渦巻いており、その関係の網の目を考慮しながら我々は生きている。
　しかしそのような関係軸は、ある時突然、脆くも崩れ去ることがある。ベルリンの壁は取り払われた。クラスにケンカの強い生徒が転校してくれば、それだけでクラス内のヒエラルキーが更新されることもあるだろう。「権力」そのものは常に存在するが、権力関係もまた常に更新される事実を我々は忘れてはならない。
　フランスの思想家ミシェル・フーコーは、関係性の変化可能性を含意した「権力関係」に「支配関係」という言葉を対置させる。支配関係とは、主人と奴隷の関係を代表とする、関係軸の更新が生じ得ない関係を指す。権力が支配の関係に陥ってはならない。変化を許容し得ない「支配」は、関係の硬直化しか生まないのだ。
　「支配関係」であれ「権力関係」であれ、人が不自由を感じるとき、我々は「批判」を実践する。しかし、「支配関係」下の批判と、「権力関係」下のそれは決定的に批判の方向性が異なる。
@「支配状態」にあって我々が望むことは、「解放」である。解放とは、「〜をされない」、あるいは「本来の〜であった状態に戻る」、ことを望むことであり、言ってみれば「否定の欠如」を求める。そして、欠如されたものが埋められれば、我々は満足してしまう。例えば、東京電力に「正しいデータを公表しろ」という、欠如されたデータが埋められれば、満足してしまうのだ。
Aそれに対して「権力関係」が求めるものは「関係の変容」である。人々が消極的な意味で「解放」を求める「支配状態」に対し、「関係の変容」を常に求めることで、新しい権力を構築し得るような批判を、フーコーは好ましいと考える。例えば、東京電力がデータを公開させるだけに留まらず、先のウィキリークスの公電を根拠に、東京電力の体制そのものへの批判、それに伴う新たな日本の電力をめぐる政策に我々が声を上げるようなものである。
　このように権力関係下の批判は、先の見えない不安定な関係の中で熾烈な「闘争ないし討議」が実践されることで、よりよい権力関係を目指すのだ（もちろん、いったん成立した権力関係はすぐさま新たな権力と闘争する。「権力関係」は常に不安定であるが、ダイナミックな変化を期待できるのである）。

<strong>ウィキリークスの影響力</strong>
　以上の指摘を加味したとき、ウィキリークスの「リークという名の批判」の価値が見出せる。以下簡単に整理したい。
@ウィキリークスは「〜されない」ことなど望まない。不正を表す一次情報というウィキリークスの特性を活かして、通常のメディアには現れない情報を引き出しうる。
Aウィキリークスは公開した情報をソーシャルメディアや既存メディアをフルに活用することで、世界中に拡散する。
B世界中に認知された情報を元に、世界中から情報を公開された政府・企業等に批判が集中する。そのために政策や方針を変更する等、既存の権力組織体としての力を大きくそぎ落とされた結果、組織体そのものが無くなるか、あるいは組織がより不正のない、透明性を確保するようになるなど、組織体内部ないし周辺権力体との「権力関係」が更新される可能性がある。「リーク」に端を発した、ウィキリークスの権力に対する積極的な批判可能性がここにある。
Cネットやリアルの現場で一人一人が声を上げて改革を要求するといった従来の批判活動が有する影響力と比べると、ウィキリークスの批判活動は影響力が飛躍的に高い。さらに公開される情報はかなりクリティカルなものが多い。また、ウィキリークスが「国際舞台の権力プレイヤー」としてすでに世界から認知されていることが指摘できる。国家や一部の武力テロ組織などを除けば、世界に対して影響力を行使できる組織としてのウィキリークスは貴重な存在であり、今後の国際政治を考える上でのファクターとして重要であろう。

<strong>おわりに</strong>
　権力の不正に関する批判は、これまでも実践されてきた。しかし、ウィキリークスの登場は、不正の欠如を望むような批判ではなく、一次情報という武器を手に、すべての市民が関係の変化を望む批判を可能とした。加えて権力組織体は、「機密」の潜在的流出可能性のために、もはや意図的な不正を実践するに困難な環境下に置かれた。これもウィキリークスの重要な成果のひとつである。
　ウィキリークスが今後どのような情報をリークするかはわからない。しかし、リークを否定的に捉えるだけでなく、リークを介して、よりよい権力関係の構築可能性を、我々は志向すべきではなかろうか。リークの利用。今後のリークは利用すべきものとして考えるべきである。

塚越健司
1984年生。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程在籍。若手の言論発信空間「.review（ドットレビュー）」の編集。はやくからウィキリークスに注目し、2010年5月頃からメディアにて積極的に発信。共著に『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社）。その他「週刊エコノミスト」、「週刊SPA!」、「宣伝会議」「ユリイカ」等様々な媒体に寄稿している。


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   <title>今こそ「オープンガバメント」の推進を！―東日本大震災・被災者支援で必要な視点</title>
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   <published>2011-04-01T03:51:38Z</published>
   <updated>2011-04-04T02:34:43Z</updated>
   
   <summary>　Tweet 　谷本晴樹（（財）尾崎行雄記念財団　研究員） 　阪神淡路大震災があ...</summary>
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      <![CDATA[<div align="right"><a href="http://www.policyspace.com/tanimoto_opengovernment.pdf"><img alt="pdficon_small.gif" src="http://www.policyspace.com/pdficon_small.gif" width="17" height="17" /></a>　<a href="http://twitter.com/share" class="twitter-share-button" data-url="http://www.policyspace.com/2011/04/post_746.php" data-text="谷本晴樹『今こそ「オープンガバメント」の推進を！―東北関東大震災・被災者支援で必要な視点』を掲載しました　#policyspace" data-count="horizontal" data-via="PolicySpace" data-lang="ja">Tweet</a><script type="text/javascript" src="http://platform.twitter.com/widgets.js"></script></div>

　谷本晴樹（（財）尾崎行雄記念財団　研究員）


　阪神淡路大震災があった1995年、後にこの年が「ボランティア元年」といわれたように、東日本大震災のあった本年は、いずれ「オープンガバメント元年」と振り返られる時がくるのではないだろうか。
　今回の震災を契機として、「オープンガバメント」と呼ばれる、政府の情報公開と官民の新たな連携が、急速に進んでいる。この流れをより強固なものとし、さらに拡大していくことが、現在の支援活動をより効果的なものにするだろう。そして長引く避難生活での二次被害を防ぐことに繋がるはずである。そこで本稿では、この震災で登場した「オープンガバメント」の萌芽について紹介しつつ、これから乗り越えるべき課題について検討していきたい。
]]>
      <![CDATA[<strong>1.「オープンガバメント」とは何か</strong>

　オープンガバメントとは、分かりやすく一言で言えば、インターネット技術を活用し、政府を国民に開かれたものにしていこうとする取組みである。以前から政府が進めている「電子政府」との違いは、電子政府の取組みが、主として従来の行政の手続きを、簡素化する、あるいは利用者の利便性を高めるというところに重点が置かれているのに対し、「オープンガバメント」は、それだけでなく、政府が持っているデータベースを、API <sup><a href="#t1">1</a></sup>などの形で提供することで、新たな公共サービスを民間ベースで生み出すことを促し、そうして生まれた新しい公共サービスを通じて、政治への市民参加も促そうというものである。政府は公共サービスを生み出す「自動販売機」ではなく、民間が公共サービスを競う「プラットフォーム」であるべきだという。これまでの政府あり方そのものに変更に迫るものであることから、「Gov2.0」とも呼ばれている<sup><a href="#t2">2</a></sup>。
　オバマ大統領は、このオープンガバメントを政策の柱として誕生した。そして「透明性（transparency）」、「市民参加（participation）」、「協働（collaboration）」という三原則掲げ、これまでに様々な取り組みをしている<sup><a href="#t3">3</a></sup>。日本でも、内閣府の「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部（ＩＴ本部）」が2010年5月に出した報告書<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/100511honbun.pdf">「新たな情報通信技術戦略」</a>において、オープンガバメントが明記された。そしてその後、タスクフォースが設けられ、具体的な展開について議論されていた。ただ長年の縦割り行政に伴う、これまでの慣行を打ち破るには、多くの課題があることが認識されていた。

<strong>2.震災ではじまった、民・官の連携とオープンガバメント</strong>
　3月11日に震災が起こってから5日後、政府は内閣官房内に「震災ボランティア連携室」を設置した（室長：湯浅誠内閣府参与）。これは、政府が集めた情報を、現地で活動する、あるいはこれから活動しようと考えているＮＰＯやボランティアに正確な情報を届け、窓口を一本化することにより、縦割り行政による弊害を未然に防ごうとするものである。そして22日に発足した民間の<a href="http://www.tasukeaijapan.jp/">「助け合いジャパン」</a>に対し情報提供を開始した <sup><a href="#t4">4</a></sup>。民間のプロジェクトに国がこのような形で協力するのはおそらく初めてだろう。
　<a href="http://www.tasukeaijapan.jp/">「助け合いジャパン」</a>のサイトでは､政府・省庁などからの最新情報が見られるほか、先行して情報の発信をしていた、様々なソーシャルメディアの情報を組み入れている。
　例えば、サイト内の「ボランティア情報ステーション」のページでは、災害地にある社会福祉協議会からの、ボランティア募集情報をみることができるが、これは、そもそも有志がwikiを通じて作った「東日本大地震地震『災害ボランティア情報』まとめサイト」という独立したサイトであった<sup><a href="#t5">5</a></sup>。また震災情報マップもあるが、こちらは<a href="http://www.sinsai.info/ushahidi/">「sinsai.info」</a>の情報を組み入れている。
　<a href="http://www.sinsai.info/ushahidi/">sinsai.info</a>は、地震発生からわずか7時間後には立ち上げられている。オープンソースである<a href="http://www.ushahidi.com/">ushahidi</a>を使うことで、場所から情報を得たり、場所に関連させて情報の発信ができる。例えば、選択した特定の地点から20キロの範囲内で、安否確認、店舗の開店情報などの新しい「レポート」が入ると、「アラーム」を受け取ることが出来る<sup><a href="#t6">6</a></sup>。そのほか、消息情報確認用に、<a href="http://japan.person-finder.appspot.com/">Google パーソンファインダー</a>が埋め込まれている。これは、名前を入力すると、パーソンファインダー内にある消息情報が表示され、携帯電話番号を入力すると、各携帯電話会社の災害伝言板の登録情報が表示されるようになっている。4月1日現在、約60万件超の記録が登録されている。こちらでも、行政からの情報提供による協働が進んでいて、岩手県や福島県、警察などが情報を提供している<sup><a href="#t7">7</a></sup>。
　さらに、行政の提供する情報を利用することで、既存の地域ＳＮＳ（ソーシャルネットワーキングサービス）も、被災者支援に役立っている。例えば、盛岡の地域SNS<a href="https://sns.city.morioka.lg.jp/">「モリオネット」</a>では、岩手県から提供された情報をもとに、Googleマップに避難所や安否情報を掲載している。この<a href="https://sns.city.morioka.lg.jp/">「モリオネット」</a>から、全国の地域ＳＮＳに協力が広がり、「学び応援プロジェクト」という、ノートや鉛筆などを被災地の子どもらに送る活動がされている<sup><a href="#t8">8</a></sup>。
　またネットを中心とした、節電の運動も話題になっているが、こちらでも官民の協力が始まっている。3月23日、東京電力が電力使用状況について公開している画像やcsv形式でのデータから<sup><a href="#t9">9</a></sup>、金本茂氏（<a href="http://twitter.com/ssci">@ssci</a>）が東京電力の電力消費量を返すAPIを作成、翌日、経済産業省情報プロジェクト室（<a href="http://twitter.com/openmeti">@openmeti</a>）は、これを活用したアプリを作ったら知らせてほしいと呼びかけ、優れたアプリは国でも取り上げていきたいと宣言した<sup><a href="#t10">10</a></sup>。実際に、このAPIを使って、計画停電対策アプリや、東京電力の消費電力情報表示ツールなどが開発されている<sup><a href="#t11">11</a></sup>。
　そのほか、行政のデータベースがまとめられたサイトが<a href="https://sites.google.com/site/hackforjapan/data">Hack for Japan</a>にあるし、<a href="http://all311.ecom-plat.jp/index.php?gid=10005">ALL311：東日本大震災協働情報プラットフォーム</a>は、公的機関が提供している地図・地理空間情報のデータベースを紹介している。このように、公共機関が持っているデータを公開し、それをもとに民間が優れた公共サービスを開発し、これをまた、国が積極的に取り上げることこそ「オープンガバメント」の中心であって、実際にオープンガバメントに熱心なアメリカなど欧米各国では、「民」から多様な「公共サービス」が生まれている。広範な被災地対策と、福島の原子力発電所対策という二正面作戦を強いられている中で、行政が住民に対してきめ細かな対応をすべて担うことは不可能である。であるならば、やはりここは「民のチカラ」の出番ではないだろうか。「民のチカラ」を引き出すために、政府の果たすべき役割は多いはずである。しかもそれは、行政に対し過大な負担を強いるものではない。行政が持っている情報をもっと公開する、それだけでも、様々な被災者支援に繋がるサービスが生まれるはずである。

<strong>3.見えてきた今後の課題と求められる行政の対応</strong>

　ただ、すでに様々な課題も見えてきている。まず<a href="https://sites.google.com/site/hackforjapan/data">Hack for Japan</a>等で紹介されている行政のデータベースをみれば、「利用できるデータ」がまだまだ少ないことがわかる。
　また、「量」の問題だけでなく、「質」にも大きな問題がある。多くの情報がＰＤＦあるいはExcelのデータである。例えば、全国社会福祉協議会・全国ボランティア・市民活動振興センターも、避難所の避難者数と災害ボランティア設置状況など、<a href="http://blog.goo.ne.jp/vc00000/">貴重な情報</a>を発信しているが、こちらもPDFである。そこで財団法人地方自治情報センター（LASDEC）は、PDFやExcel形式でのファイルを避け、テキスト形式やCSV形式でのファイルの公開を推奨している<sup><a href="#t12">12</a></sup>。LASDECによれば、PDFやExcelのファイルが比較的容量が大きいため、すでに「サーバー・回線リソースを圧迫し、重要情報が閲覧できない事象が頻出」していると報告している。
　一方で、支援する側の問題でもあるが、支援サイトが乱立気味である。現状、「支援サイトのまとめサイト」まであって、どこに必要な情報があるのか、どこがベストなのか分からない。そこで、情報が本当に必要な利用者に、結果的に時間を割いて、色んなサイトを見て廻るという負担をかけているかもしれない。もちろん現時点では、過少よりも過剰のほうが望ましいのであって、どれかを削除すべき、というわけではない。しかし、どこのサイトに上げられた情報でも集約され、かつ本当に重要な情報は、どのサイトでも共通してみられるという仕組み（データベースの一元化）が必要であるし、その点で、プラットフォームとしての政府の役割は大きいはずである<sup><a href="#t13">13</a></sup>。
　また、これは特にジャーナリストの佐々木俊尚氏が<a href="http://pressa.jugem.jp/?eid=217">こちら</a>で指摘しているが、今回の震災では阪神大震災の教訓でできていた緊急時の情報伝達網が破壊されてしまっている。また、被災した地域は軒並み高齢化率が25％を越える地域であり、これまでの震災以上に、現地は「アナログ」なのである。佐々木氏が指摘されているように「アナログ」の情報を「デジタル」に、そして「デジタル」の情報をまた「アナログ」に変換していく作業が必要になっていくだろう。現場での活動との連携が必要とされているところである。
　

<strong>おわりに</strong>

　「オープンガバメント」の掲げるプラットフォームとしての政府の役割は、このような緊急事態だからこそ、非常に大きいはずである。惜しむらくは、震災前にもっとこのような視点が行政に取り入れていたならば、スムーズな支援ができたと思うが、今からでも遅くはない。ぜひとも問題を解消しつつ、「オープンガバメント」を実効あるものにしてほしい。そのことによって、必ず被災者支援に役立つサービスがもっと生まれるはずである。今回の震災で、数多くのIT関係者が手弁当で献身的な活動を続ける姿をみるにつけ、私はそう確信している。



最後に、被災に遭われた方々に、心よりお見舞いを申し上げます。もし本稿がすこしでも被災者や支援に関わる方の一助になれば幸いです。


<small>
<sup id="t1">1</sup>  application programming interface の略で、特定の動作を呼び出す命令書のようなもの。これを使うことで、効率的にアプリケーションを開発したり、新しいwebサービスを作り出すことが出来る。
<sup id="t2">2</sup>   「オープンガバメント」の中心的な提唱者の一人である、ティム・オライリーによる概念。政府が「プラットホーム」であるべきだというのは、googleやamazonのような企業が念頭に置かれている。詳細を知りたい方は、こちらの<a href="http://jp.techcrunch.com/archives/20090904gov-20-its-all-about-the-platform/">TechCrunchJapan</a>の記事もしくは、オライリーの論文<a href="http://opengovernment.labs.oreilly.com/ch01.html">Government As a Platform</a>（英文）参照。
<sup id="t3">3</sup> ちなみに今回の地震や津波のデータも既に<a href="http://www.data.gov/">Date.gov</a>で公開されている。また、アメリカだけでなく、欧米を中心として様々なオープンガバメントが試みられている。いずれ別項にて取り上げるが、諸外国の動向について、かつ日本語の資料としては、経済産業省のホームページ<a href="http://www.meti.go.jp/policy/it_policy/e-meti/opengov/opengovreport.html">「海外におけるオープン・ガバメントの取り組み」</a>にまとまっている。
<sup id="t4">4</sup>  この震災ボランティア連携室、助け合いジャパンが発足するまでの経緯については、佐藤尚之氏のブログ<a href="http://www.satonao.com/archives/2011/03/post_3159.html">「www.さとなお.com」</a>参照。民間の提言からはじまったことが分かる
<sup id="t5">5</sup> 　設立の経緯については、<a href="http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20110324">2011-03-24 - ガ島通信</a>参照。「ソーシャルメディアで集った有志のボランティア、20人によって運営」されていて、「15日午前にツイッターでまとめサイト作成を呼びかけ、フェイスブックのグループページを活用しながら、8時間で立ち上が」ったとある。
<sup id="t6">6</sup>  詳細については、<a href="http://blog.livedoor.jp/pfj_blog/archives/50608559.html">「世界が注目する「sinsai.info」の成り立ちと、自分たちにもできること」</a>を参照
<sup id="t7">7</sup>   ただ、避難所にある消息情報は多くが「紙」である。多くの方がそれを、デジタルカメラで写して、デジタルデータとして公開し、被災地の外に住むボランティアが手作業で情報を打ち込み、チェックし、パーソンファインダーにアップロードしている。中には行政が作ったであろうプリントアウトされた資料を一から打ち込んでいるものもある。このようなものであれば、まさしくテキスト形式で公開してもらうだけで、手間も時間も大分節約できるのではないだろうか。
<sup id="t8">8</sup>  『読売新聞』電子版（2011年3月27日）
<sup id="t9">9</sup>  <a href="http://www.tepco.co.jp/forecast/index-j.html">http://www.tepco.co.jp/forecast/index-j.html</a>
<sup id="t10">10</sup>   <a href="http://twitter.com/#!/openmeti/status/50768630425714688">http://twitter.com/#!/openmeti/status/50768630425714688</a>
<sup id="t11">11</sup>   API及び、これまで作られたアプリなどは<a href="http://tepco-usage-api.appspot.com/">こちら</a>。
<sup id="t12">12</sup>   <a href="https://www.lasdec.or.jp/cms/12,22060,84.html">https://www.lasdec.or.jp/cms/12,22060,84.html</a>　ちなみにLASDECでは、「被災者支援システム」のオープンソース化を実施しており、また災害支援に関する「全国町・字（まちあざ）ファイル」の無償提供も行なっている（2011年3月30日現在）
<sup id="t13">13</sup>  ＩＴ業界を中心としたネットワーク「情報支援プロボノ・プラットフォーム」（iSPP）も、被災地の情報のデータベース共有化について議論を進めている。詳細については<a href="http://pressa.jugem.jp/?eid=218">iSPP趣意書</a>参照。



プロフィール
日本大学大学院国際関係研究科博士前期課程修了。現在、尾崎行雄記念財団研究員。その他、「政策空間」編集委員、NPOインタープレスサービスジャパン理事、政治社会学会監事。日本国際政治学会、日本臨床政治学会所属。専門は政治哲学、公共政策論、国際平和論など。著書に<a href="http://amzn.to/fB7Ibb">『咢堂言行録―尾崎行雄の理念と言葉』</a>など。twitter:<a href="http://twitter.com/harutani">http://twitter.com/harutani</a>

なお、本稿は現在進行中の事象であり、本稿で紹介しもの以外にも注目すべき事例があるかもしれません。もしお気づきの点等あれば、h.tanimoto07[アット]gmail.comまでご連絡頂ければ幸いです。

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   <title>日本のTea Party 運動、そして世界へ</title>
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   <published>2011-03-08T05:23:59Z</published>
   <updated>2011-04-01T06:37:09Z</updated>
   
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渡瀬裕哉（東京茶会事務局長）

昨年は米国Leadership InstituteにてCampaign Manager コースを受講し、共和党系の選挙手法について学び、米国における草の根運動の重要性について実感した。特に、共和党に近い立場を取っている小さな政府を志向するグラスルーツ（草の根団体）の人々が集まった連合体は日本には存在しないものであり、私自身に深い驚きを与えるものであった。

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      <![CDATA[帰国後、「東京や日本のために何か出来ることはないか」と考え、昨年末に「東京茶会（Tokyo Tea Party）というグラスルーツを立ち上げた。これは米国中間選挙でブームを起こしたTea Party の日本版であり、小さな政府を求める草の根団体を日本に根付かせることを意図したものである。このような動きに対して、米国におけるTea Partyなどのグラスルーツに多大な影響力を持つAmericans for Tax Reformのグローバー・ノーキスト氏から応援メッセージを頂けたことに対し、関係者に深い感謝を申し上げたい。

東京茶会では、月2回の東京茶会ティーパーティーを開催し、主に地方選挙に立候補を予定している人々への推薦を行っている。米国のTea Partyは、お茶への課税に対して憤った群衆がお茶を海に投げ捨てたボストン茶会事件が名称の由来である。一方、日本のTea Partyは、ゆったりとお茶を飲みながら政治談議を行うようなイメージである。過激な政治運動というよりは、まだまだ日本では根付いていない自由主義の根っこの部分を形成する仕事を行っている。既に昨年末に西東京市でも推薦候補者を輩出しており、来るべき統一地方選挙における推薦候補者は都内だけで10名を超える規模となってきている。このような推薦候補者は今後とも着々と拡大していく予定である。

立候補予定者と東京茶会の関係は極めて平行的である。立候補予定者は日本税制改革協議会が所管している納税者保護誓約書に署名し、東京茶会との協力関係にあることを示す合意文書に賛同の意を示すことが求められる。このような関係を通じて、東京茶会の会員及び東京茶会の活動に共感を持っている人々からの支援が得られるようになる。特徴は
1人の議員や１つの政党に依存することなく、あくまでも納税者が主体となったグラスルールであることだ。日本では小さな政府を求める声は無党派層として扱われることが多く、具体的な形を通じて「見える化」されにくい。そのため政治家は、選挙の時は熱心に行政改革を主張しても喉元過ぎれば・・・という具合に、タックスイーター側にすり寄っていってしまう。このような状況を防止して、あくまで納税者側に立った活動を政治家に対して求める恒常的な存在が必要なのだ。

　このような動きは全世界に広がりを見せており、2月中旬の訪米の際には世界各国のTea Party の存在を知ることになった。アルゼンチン、イギリス、イタリア、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどの多種多様な国のTea Party関係者が国際団体を設立する動きを見せている。日本からもTokyo Tea Partyとしてこのような動きに参加する旨を打診した。まさに、世界においても自由主義のグラスルーツが広がっていることを感じた。

　若者を中心とした日本国民の中には、小泉改革、政権交代、みんなの党、地域政党などの改革の流れに期待することに疲れてしまった雰囲気を感じる。だからこそ、私たちは誰かに頼るのではなく、自分たち自身で政治を変えることに一石を投じるべきなのだろう。日本におけるTea Party の活動がそのような一助となれば幸いである。

<a href="http://tokyo-teaparty.jp/">東京茶会</a>

◎略歴
略歴：東京茶会事務局長。早稲田大学院公共経営研究科卒。現在、PRマネジメント株式会社代表取締役。業務内容は団体・企業の広報・ブランド戦略の立案サポート等を担当。


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   <title>『ワシントン政治を見る眼』（ポール室山著）を読んで−国際政治行政比較の課題−</title>
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   <published>2011-01-27T21:13:11Z</published>
   <updated>2011-04-01T06:38:17Z</updated>
   
   <summary>　Tweet 高木正雄（現役官僚） 　『ワシントン政治を見る眼』（ポール室山著）...</summary>
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      <![CDATA[<div align="right"><a href="http://www.policyspace.com/110128takagi.pdf"><img alt="pdficon_small.gif" src="http://www.policyspace.com/pdficon_small.gif"
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高木正雄（現役官僚）

　『ワシントン政治を見る眼』（ポール室山著）（平成13年4月中央公論新社刊）は、米国で活躍する日本人ロビイストの日米政治比較と日本政治批判の書であるが、やや古いものの、日本の行政実務者からは想像できないような米国の政治事情が豊富に示されており、また、典型的な日本政治批判のパターンを含むと考えられるので、取り上げた。同書の内容に加え行政実務で接する国際比較の難しさ等についても述べる。
なお、本稿では、米国政治の事実関係は同書のとおりとする。


<strong>１．日米で政治制度や事情が異なっているとしているが、日本も同様と思われる等違いが不明確</strong>

　同書は、米国大統領の予算「教書」という日本語訳がなされたことを批判しつつ、予算教書は議会提出の予算原案に過ぎないとしている(p.32)が、日本の予算案も国会で審議される原案であり、違いがはっきりしない。
　また、米国政治では、新聞に書いていること（公開情報）以外に重要なことはないとし、また、情報公開がなされているというのは、私見では、日本でも当てはまると思われる。
日本の政治と行政は、立法経験からすれば、公開されている膨大な法令集と膨大な統計集等の必要箇所を見ればほぼ全部判る。というより、非公開情報をもとに法案を作成しても、対外的に説明できない。
]]>
      <![CDATA[　同書からやや離れるが、それら公開情報を把握し、判り易く加工するためには多数の人員（公務員等）が必要であり、それが法案作業に最も必要なコストだと思われる。日本で情報公開が不充分という批判は、実は、判りやすい形で情報提供されていないという批判であることが多い。その意義は認めるが、そのためのコストの負担に賛同を得られるか判らない。以前、東大法学部教授のゼミ生が、教授の影響力を背景に、誰が国会答弁を何回行ったかを官庁職員に何日もかけて調べさせたことを、官庁は情報公開がなっていないと報道機関に話していた。判りやすい情報提供は必ず必要であると主張するとは、自分が要望する行政サービスが人手不足で拒絶され、代わりに官庁職員が国会答弁回数を何日も数えることが優先されることに反対しないことではないだろうか。
　なお、現在は、日本の各省庁のウェブ情報も米国同様に（p.24）ネットで一括検索できるようになっているが、膨大複雑かつ新旧入り交じった情報が官庁ウェブ上に存在し、外部者には探すのが極めて困難と指摘されている（松永和紀）。
　また、米国民の政治事情として、言論と表現の自由が保証されている、政治集会が多数開催され多くに自由に参加できる、議員は地元で集会を開催している、E-mailで意見を送れる、新聞に投書ができる等としている（p.52）が、日本も同様のように見えるが、これは日米比較した米国の特色だろうか。
　このように、国際比較をするに当たり、外国の事情が詳述されていても、日本の事情の記述と対比が少ないことは、よく見られる日本政治批判のパターンと考える。
　官庁での経験では、国際比較は難しいし、また、不正確な情報が多い。例えば、北欧の福祉制度について、担当官庁には議員や報道機関から問い合わせがよくあるが、大使館経由の調査では、不正確だったことが多く、同庁内では、北欧の福祉制度と称する情報の信頼性は低い（これは当該国の言語が日本ではマイナーなことにも起因するかも知れない）。
　特に日米比較は難しい面があり、国（連邦）レベルで福祉等の行政制度を比較し、日本で行われている福祉等の行政制度が米国にはないという結論を出す調査が見受けられるが、米国では、福祉等のサービスは州又は郡等が行っていることが多いため適切な比較とは言えない。日本の福祉を過大だという結論を意図的に出したいなら、日米比較をするのは一方法である。
　また、卑近な経験であるが、優秀な政府系金融機関職員で米国留学者が、日本が米国と比べて中央集権だとしたが、日本のBSEの全頭検査について政府批判をされたのでがっかりした。なぜなら、全頭検査（当時）は自治事務で国は原則として関与できなかったのである。このように、何年も生活しても国際政治行政比較は容易には出来ない。国際比較をする以前に、自国の政治行政制度についてよく調べる必要がある。


<strong>２．日米で政治制度が異なっているが、それで説明できない主張がある</strong>

　著者が日米比較で米国の優れた点としてあげているのは、大統領制である（pp.229-）。
　執筆当時の日本の不況を踏まえ米国政治に学ぶべきとしているが、同書によれば、日米それぞれの政治制度で景気の良かったときも悪かったときもあるとしているので、同書の記述だけでは、日米の政治制度の違いが経済へ与える影響の違いは見出せないこととなってしまう。
　議院内閣制と大統領制の長短所比較方法であるが、身近なところでは、日本も自治体は大統領制で、また、フランス、韓国等も大統領制であるので、米国大統領制の長所として著者があげていることが、日本の自治体やフランス、韓国等他の大統領制国に見出せるかを考えると、著者の主張が正しいかを判断できるのではないかと考えられる。
　日本では、首長公選制（大統領制）は議院内閣制より優れているとされているかについては、鹿児島県阿久根市の前市長の議会との関係（専決行為の多用等）を考えることが適当と思われる。
　議会の行政府への関与が少ない方が、好ましいとすれば、この専決行為は法令上問題だとしても、前市長は支持されると思うが、報道によると、それほどは支持されず、また、今般の選挙で同市長に代わり別の者が当選した。
　なお、日本のマスコミが米国政府の権威ある公式な発言として米国次官補級の発言を取り上げるが、米国は大統領に権限が集中する等の理由から、これは公式の意味を持つか疑わしいとして、筆者は、このような報道について日本のジャーナリストの非民主主義精神によるとしている（pp.33-）。
　日本政府の次官補級に相当する者どころか一般の職員が発言するときは、通常大臣等省全体の意向を踏まえているが、大統領制である日本の自治体でも同様であり、米国のような状況は、大統領制に起因するとは思えない。また、これは本当に良いことか疑問を持つ。


<strong>３．ロビイストについて（pp.147-）</strong>

　日本では、利益団体等の役職員がロビイストを介さず直接、議員や政府高官に会っているが、米国ではなぜロビイストに依頼するのかは、同書では分からない。
　同書指摘のように議員や政府高官と親しい関係のある者に仲介を依頼するということなら、日本でもあり得るが、これでそれなりの報酬を得ているという方は余り聞かない。
　ただ、政府高官ＯＢや議員ＯＢがロビイストになって元同僚に働きかけているとのことであるが、日本の官庁ＯＢも退職・天下り後に同様な行動をすると言われている。日本ではロビイスト的な者を、企業や業界団体がコンサルタント契約せずに役職員として雇用契約しているということかも知れない。しかしながら、弁護士等がロビイストになる事情は、不明である。同書は、ロビイストの存在を当然として書かれているが、日本ではまれなロビイストが米国で生じる理由、または、日本でロビイストが生じない理由を説明して欲しかった。
　なお、米国のロビイストの存在を好意的に評価する者は、ロビイストが日本に存在しない理由として、利益団体等と議員の接触が少ないことや日本の非民主制等をあげることがあるが、議員会館では、特に予算の時期には議員と面会する者が多数おられることをどう説明するのか。


<strong>４．米国政治の面白い点と著者のさらなる執筆活躍に期待する点</strong>

　やや批判的となったが、同書中の豊富な米国政治事情は、本当に興味深い。例えば、米国議会決議に法的拘束力のないものが多数ある（p.18）ということには驚かされる。日本の国会は審議日程不足で、特に最近は法案通過が大変であるが、米国議会は、ヒマなのか？
　本稿では、深く触れられなかったが、同書の米国政治事情は、何故そうなのかは判らないが、日本と大いに異なり興味深い。
　同書は、日米比較において、ワシントン政治は「力動的」とか、日本人は「本当の」民主主義や言論の自由を知らない等と、明確に定義し難い言葉を用いて日米政治事情の違いを説明しようとしているが、米国政治の内情を見たことがない者にとって、その当否を検証することは困難である。著者は、極めて広汎な日米政治事情の違いを御存じあり、せっかくロビイストという職業に就かれているのだから、もっと明確な定義の言葉を用いて説明されれば、小生のような読者の理解が進みやすいのではないかと思う。
　行政機関にいると、前述のように外国情報に間違いを多く見つけることがあり、疑り深くなってしまっていることを御寛恕願いたい。
　文末だが、同書を御紹介下さった本誌編集長の佐々木孝明様に御礼申し上げる。


略歴：昭和43年生まれ。法律職。本省課長補佐。6本以上の法案作成関与。編著書（共編著含む。）：法律解説書その他計10冊、雑誌類（単著）8本。大学非常勤講師。

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   <title>世界経済の中心になる可能性をもつ東アジア経済圏 ―経済的発展か軍事的衝突か　問われる東アジアの政治的方向性―</title>
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   <published>2010-12-23T03:00:00Z</published>
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   <summary>　Tweet 千里金蘭大学教授　三石博行 東アジア経済共同体の可能性を危機に落と...</summary>
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      <![CDATA[　<div align="right"><a href="http://www.policyspace.com/Mitsuishi%20101222.pdf"><img alt="pdficon_small.gif" src="http://www.policyspace.com/pdficon_small.gif" width="17" height="17" /></a><a href="http://twitter.com/share" class="twitter-share-button" data-url="http://www.policyspace.com/2010/12/post_743.php" data-text="三石博行　『尖閣諸島問題をめぐる我が国の外交の在り方』を掲載しました #policyspace" data-count="horizontal" data-lang="ja">Tweet</a><scripttype="text/javascript"src="http://platform.twitter.com/widgets.js"></script></div>

千里金蘭大学教授　三石博行

<strong>東アジア経済共同体の可能性を危機に落とす軍事的衝突</strong>
 
　現在東アジアの国々では政治的・軍事的な衝突が頻繁に起こっている。例えば、2010年だけでも以下の事象があげられる。黄海上で北朝鮮の魚雷によって韓国軍の哨戒艦「天安」が撃沈（3月26日）、北朝鮮軍による韓国の延坪島（ヨンピョンド）に170発の砲撃（11月23日）、中国漁船による海上保安庁の巡視船への衝突（9月7日）に端を発した10月の中国と日本の尖閣列島領有権問題等である。
さらに、北朝鮮の軍事行動を抑止するために韓国と米国が共同で行った黄海での米韓軍事共同演習と、日本と米国が東シナ海を中心に行った日米軍事共同演習に対して、中国（北朝鮮は当然なのだが）は深い懸念を示した。この二つの軍事演習が台頭する中国軍への抑止力を示すものであることは明らかであった。
 　中国の軍事力の強化ならびに中国海軍の東太平洋への進出は、これまでの、日米韓の東アジアにおける軍事的支配権に対抗し、中国軍の存在を示すことになった。東アジアと東太平洋でのアメリカの軍事的主導権を維持するために米韓軍事共同演習が行われた。]]>
      <![CDATA[　<strong>東アジアを地域国際冷戦構造地帯にしてはならない</strong>
 
　この局面は、東アジアに地域国際的冷戦構造を持ち込む可能性が生じている。北朝鮮にとって東アジアが二つの勢力、つまりロシアと中国の勢力とアメリカ、韓国と日本の勢力に二分されていることが望ましいことは誰の目から見ても明らかだろう。
 　しかし、中国やロシアが、北朝鮮の望む通りの行動、すなわち東アジアの経済発展を犠牲にしてまでアメリカ、日本、韓国と軍事的な対立を作り出す方針に賛成をしているわけではないだろう。むしろ、中国は北朝鮮の瀬戸際外交に迷惑しているかもしれない。また、中国がその瀬戸際外交を利用するにしても、かなりのリスクを抱えなければならない。そのため、北朝鮮の外交路線への一時的な同調はするものの、常時、中国が北朝鮮の瀬戸際外交を承認するわけにはいかないだろう。
　一方で、日本は中国、ロシア、韓国と相互に進めている経済協力関係を犠牲にしてまで、相互にある領有権問題を取り上げる必要はない。一世紀前の帝国主義の時代と同じような日本の政治方針、つまり中国の軍事力に対抗するために日米軍事同盟を強化し、その軍事力をもって中国と対立する方向で進むなら、日本政府は時代錯誤の政治を行っていると言える。


<strong>日本政府の現実的な外交力が求められる</strong>
 
　今、大切なことは、21世紀の最大の国際経済圏としての東アジア経済共同体を創ることである。そのために、日本政府は努力しなければならない。
当然、こうしたことは、私が主張するまでもなく、日本政府や外務省幹部の方々は理解されていると思う。問題は世論、ジャーナリズム関係者である。報道は、視聴率を獲得するために、北朝鮮と韓国の軍事衝突、第二次朝鮮戦争の可能性とか中国軍と日米軍が尖閣列島で軍異衝突をする可能性など、まるで戦争映画のような刺激的な話（ストーリー）を面白半分、怖さ半分で報道し続けるだろう。商売上の理由とは言え、こうした無責任な扇動を行うことを反省しなければならない。
 　もちろん、報道の自由は保障されるべきである。前回の尖閣列島中国船拿捕の問題への政府の対応は余りにも未熟であった。政府の言う海上保安庁職員からの「国家機密映像の漏洩」事件にみられるような対応を政府が続ける限り、報道機関が政府の対中国外交を批判するのは当然であり、その限りに於いて、報道機関は国民の支持を得るだろう。
 　最終的な問題は、政府の外交力にある。国民に対して、現政権が昨年提案した東アジア共同体構想を維持し展開する政治姿勢を明確に示し続けなければならない。その理由、つまり、東アジア共同体の第一歩である東アジア経済共同体の実現が、近未来の日本の繁栄を導くこと、さらに21世紀の国際社会での日本の地位を東アジア共同体の中で発揮できることを明確に語り続けなければならないだろう。



三石博行　千里金蘭大学共通教育機構　教授
　　　　　　　哲学博士（フランス、ストラスブール第二大学）

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   <title>国庫補助金のもう一つの弊害について</title>
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   <published>2010-11-24T00:00:00Z</published>
   <updated>2010-11-24T08:28:16Z</updated>
   
   <summary>Tweet　 榎本好二（相模原市職員） 　国が自治体に対して支出する補助金の評判...</summary>
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      <![CDATA[<div align="right"><a href="http://www.policyspace.com/Enomoto%20Kouji%2020101122.pdf"><img alt="pdficon_small.gif" src="http://www.policyspace.com/pdficon_small.gif" width="17" height="17" /></a><a href="http://twitter.com/share" class="twitter-share-button" data-url="http://www.policyspace.com/2010/11/post_742.php" data-text="榎本好二　『国庫補助金のもう一つの弊害について』を掲載しました#policyspace" data-count="horizontal" data-via="PolicySpace" data-lang="ja">Tweet</a><script type="text/javascript" src="http://platform.twitter.com/widgets.js"></script>　</div>

榎本好二（相模原市職員）

　国が自治体に対して支出する補助金の評判は、概して良くないことが多いようである。その理由は、補助金がいわゆる「紐付き」で、地方の裁量を制限していること、あるいは、全国一律の基準であるため、地方の独自事情が反映されないことなどがあげられている。

　国は、法律によるほかに、補助金によっても、立案した政策を実現しようとしている。国が立案した政策の多くは、地方が実施するから、その実現を確実にするための何らかの統制手段が必要である。その役割を果たすものの一つが補助金であると考えると、こうした弊害は、補助金とは不可分の側面があるかも知れない。

　しかし、本稿では、補助金について、このような既に多くの指摘を受けている側面ではなく、実施面からみた、もう一つの弊害について着目したい。
　
　それは、補助対象事業の補助金額の算出方法が細かく指定されることによる非効率の発生についてである。
]]>
      <![CDATA[　自治体は、補助金を受け取るために膨大なエネルギーを投入している。そのエネルギー、具体的には職員の労働力や時間は、自治体の自前の負担である。そして、自治体が保有している人的資源は有限であるから、その中の一部を補助金の事務に割り当てれば、他の業務に割り当てられる量は減少する。補助金申請の事務は、ルーチンワークであり、国によって決められた手順に従って、決められた様式の報告を作成する事務である。したがって、そこに割り当てる量は少なければ少ないほどよい。
　
　しかし、実際は、補助金の算定に膨大な手間が生じるルールが指定され、相当の時間と人を必要とする場合がある。また、このルールは、全国一律で細部にわたるため、事務の執行に当たり、地方の工夫による効率化や合理化の余地がない。

　この問題については、具体的な事務をあげて考えることが、問題を理解しやすくすると考える。そこで筆者が関わっている業務のうち、この問題が典型的に現れていると思われる、民間保育所に対する「民間施設給与等改善費」（以下、民改費という。）と呼ばれている制度を例に考えてみたい。

　この制度は、おおざっぱにいえば、民間保育所に対して、職員の経験年数に応じた補助金を支給するものである。補助金により、保育所を運営する民間法人の職員の給与を底上げして、職員が安定して働けるよう労働条件の改善を図り、ひいては保育環境の質の向上につなげようという狙いがある。
　
　具体的には、市町村は民間保育所に補助金を交付すると同時に、国が指定した方法で算定した国庫補助金を国に請求するという仕組みになっている。

　これだけをみると、特に問題はないように思われる。しかし、「職員の経験年数に応じて」という部分が、実務を想定していないのではないかと思われる方法で算定するようになっているのである。

　その方法は、法人の全職員の生涯の経験年数を加算し、その平均を求め、どのくらいの補助金を支給すべきかのランク付けがされるというものである。そして、保育所ごとの平均経験年数を求めるために、転職なども含め個人が就職して以来のすべての職歴を加算する仕組みなのである。さらに、この加算すべき職歴が、単に就職して以来の勤労年数ではなく、国が指定する種類の施設に、一定の労働条件を満たす状態で勤務していた年数を加算することになっている。

　わかりにくいので、例を挙げると、保育所以外の施設でも、特別養護老人ホームや障害者支援施設などでの勤労年数は加算する。逆に、保育所であっても、「認可保育所」という国の基準を満たした保育所でなければ加算の対象とはならない。さらに、その施設で正職員だったか、パートだったか、また、パートでもどのような勤務実績だったかによって、加算するか否かが変わってくる。その確認には、本人の提出する履歴書のみでは不十分で、勤務していた施設の発行する証明書の添付など客観的な証明が求められている。

　このような事務を正確に執行しようとすると、ある人の生涯の職歴を詳細に調べることが必要となる。そして、上記に掲げた細々した内容を、民間保育所が前歴も含めて正確に提出できるケースは、むしろ、まれである。その結果、不明事項の調査、不足している必要書類の督促、さらには履歴書に掲載された前職の施設の連絡先を調べ、そこに必要事項を確認をするといった事務が発生する。

　保育所は、比較的、転退職の多い職場であり、また、女性職員が多いという特性から、結婚によって姓が変わるといった事情も、これらの調査をより手間のかかるものにしている。

　この民改費のための調査事務は、自治体の規模にもよるが、毎年数ヶ月程度を必要とするものになっている。

　そのため、算定が終わるのを待っていると、民間保育所に対する補助金の支給時期を逸してしまう。したがって、仮に前年度の算定によって支払いを行うことが一般的に行われている。そして、当年度の算定の結果が、前年度と異なっていれば、さらに差額精算が発生するという、二次的な事務増加も生じている。

　この制度のそもそもの目的は、民間施設の職員給与の改善にある。経験年数が長ければ、給与もその分高くなるべきであり、補助金額も高くなるということも合理的である。しかし、支給される補助金の規模や内容に比べ、あまりにもコストのかかる経験年数の算出方法が指定されている。しかも、このように詳細に調査した経験年数は、最終的に4つのランクに分類される。最終的なランクが、４つしかないならば、これほど詳細な調査をする意義が本当にあるのだろうかと考えざるを得ない。

　そして、この方法について、自治体が改善したり、工夫する余地は全くない。国は、自らが支払う補助金の計算方法のルールを定めているだけで、地方の業務内容に対して口を挟んでいるわけでもない。しかし、「補助金額を適正に算出する」ために、国が指定したとおりの事務が全国で行われ、そのために膨大な時間、人件費が費やされている。

　このような実態を見ると、自治体は政策内容についての裁量だけではなく、実施方法の裁量も奪われているといえる。そして、そのことが、膨大なコストを生みだしていても、改善はおろか、検討の対象にもできないのである。

　補助金の事務は、ある施策について、どのくらいの事業量を実施したのか、どのくらいの効果があったのか、あるいはどのくらいの補助を必要としているのかを、一定のルールに従って数値化して表現することである。

　一般的に、ある基準で求めた一つの数値が、ある事業を完全に代表しているということは、考えられない。だから、補助金の事務も、一種の代表指標を決めて、それを元に補助金額を決めていると考えることができる。この指標をなるべく精緻なものにしようとすること自体は、自然な考え方であるといえる。

　しかし、この精度を上げようとするあまり、あまりに多い人件費や時間を必要とすることになっては本末転倒である。

　だから、そうしたことが起きないよう、補助の規模や性質を考慮して、なるべく負担の少ない指標を考慮、選択する必要がある。

　地方財政の厳しさは、既に多く指摘されているところである。この厳しい財政事情の中で、削ることのできる経費はできるだけ削減したいというのは、当然である。前述のように、国の補助金に関する事務は、これを妨げている側面があることは否めない。

　そうだとすれば、この弊害をできるだけ除去することは、いま実行可能な財政支出削減策の一つではないだろうか。


―略歴―
東京都立大学経済学部経済学科修了。民間企業勤務を経て、相模原市役所に入庁。現在、こども育成部保育課勤務。

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   <title>尖閣諸島問題をめぐる我が国の外交の在り方</title>
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   <published>2010-11-17T04:38:52Z</published>
   <updated>2010-11-17T07:24:54Z</updated>
   
   <summary>　Tweet 高塚 年明 (前参議院行政監視委員会調査室首席調査員) 　 中国発...</summary>
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      <![CDATA[<div align="right"><a href="http://www.policyspace.com/101117takatuka_toshiaki.pdf"><img alt="pdficon_small.gif" src="http://www.policyspace.com/pdficon_small.gif" width="17" height="17" /></a>　<a href="http://twitter.com/share" class="twitter-share-button" data-url="http://www.policyspace.com/2010/11/post_741.php" data-text="高塚年明『尖閣諸島問題をめぐる我が国の外交の在り方』を掲載しました。　#policyspace" data-count="horizontal" data-via="PolicySpace" data-lang="ja">Tweet</a><script type="text/javascript" src="http://platform.twitter.com/widgets.js"></script></div>

高塚 年明 (前参議院行政監視委員会調査室首席調査員)
　
<strong>中国発の尖閣諸島領有権問題</strong>

9月7日、尖閣諸島の久場島沖で海上保安庁の巡視船に中国漁船が衝突する事件が発生した。その後、船員13人が中国政府のチャーター機で帰国し、船長も沖縄地検の外交的判断などの理由で釈放され帰国した。船員13人と船長は中国国内では英雄扱いである。彼らはタラップを降りるや否や「尖閣諸島は中国領土である」と口を揃えて発言した。これには当初からの筋書きどおりとの印象を受けた。その間、中国要人による尖閣諸島の領有権の主張と日本側の対応を不法行為とする糾弾、中国旅行団の訪日中止、SMAPの中国公演の中止、フジタ社員の逮捕、レアアースの事実上の輸出停止、そして極めつけは毎度お馴染みの反日デモと続いた。これでもかこれでもかと矢継ぎ早に繰り出す中国の対応に国民は反中国感情を高揚させずにはいられなかった。ちなみに、2004年3月にも尖閣諸島の魚釣島に中国人活動家7人が不法に上陸している。この時は福岡入国管理局那覇支局が強制送還している。]]>
      <![CDATA[尖閣諸島は、1885年以降現在の沖縄県当局を通ずる等の方法により10年をかけて現地調査を行い、これが無人島であるばかりではなく、当時の清国の支配が及んでいる痕跡がないことを確認の上、1895年1月14日に我が国の領土に編入することの閣議決定を行っている。また同年5月の日清戦争処理を確定した下関条約第2条で我が国が清国から割譲を受けた台湾と澎湖諸島には含まれていない。さらに、第2次大戦処理を確定したサンフランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は同条約第2条に基づき我が国の放棄した領土には含まれず（放棄したのは台湾と澎湖諸島）、第3条に基づき南西諸島の一部として米国の施政下に置かれ、1971年6月17日の沖縄返還協定により我が国に施政権が返還された地域の中に含まれている。ちなみに、米国の施政下にあったとき中国は米国に対し異論を唱えていない。したがって、尖閣諸島は我が国の領土である。

そもそも中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは、1969年と70年に行われた国連の海洋調査で推定1，095億バレルというイラクの埋蔵量に匹敵する石油埋蔵量が存在する可能性が報告されたことにある。1971年12月、中国は尖閣諸島の領有権を主張した。中国の社会科の地図では、1970年の南西諸島の部には「尖閣諸島」と明記され国境線も尖閣諸島と中国との間に引かれていたが、1971年の教科書では尖閣諸島は中国名の「釣魚台」と変更され、国境線も日本側に拡大している。そして1992年、中国は尖閣諸島を領海法において自国領土とした。

<strong>したたかな中国の対外戦略</strong>

漁船衝突事件から反日運動までの中国の対応をみると、或るところが裏で糸を引いていると思われる点が多い。まず、漁船の衝突事件がなぜこの時期かである。9月7日というのは民主党代表選の最中である。中国側は民主党政権の外交能力に弱点ありと見たのであろう。そして、なぜ漁業に関係のない内陸部で学生による反日デモが起きたのか。第1に考えられるのは、内陸部での不満の高まりである。発展する沿岸部との経済格差は縮まるどころか広がる一方だからである。第2は、大学生の就職難である。日本の大学生の就職難も厳しいがそれ以上に厳しい状況と言われている。そして第3に、不満を持つ若者を使うという手法である。文化大革命の際の紅衛兵を思い出してもらいたい。現在の中国の大学学生会は共産党の指示の下でしか政治活動はできない。これが内政に対する反政府デモが起こりえない理由でもある。今回の反日デモは2005年と同様、官製の疑いが強い。前回の反日デモは官製で始まり、これに軍部の一部強硬派が加わり、さらに一般の不満分子が加わり収拾が付かなくなってしまった。今回は官製の段階に抑えられていると見てよい。反日のプラカードに混じって「腐敗の根絶」「雇用の確保」といった政府批判が含まれていることから、これが反政府運動につながることを恐れての対応であろう。

次に、レアアースの事実上の輸出停止である。これは見事に練り上げられた外交戦術である。実はレアアースの輸出停止には一石四鳥の狙いがある。第1に、日本の首根っこを押さえることができることを日本のみならず欧米諸国にも示すことである。第2に、価格をつり上げることができる可能性を示すことである。第3に、レアアースを輸入しこれを使う海外のハイテク企業を中国国内に呼び込むことである。そして第4に、G20での元切り上げ要求への交渉カードとして使うことである。

ではなぜ、中国がこれほどまでに力にものを言わせた重商主義的、拡張主義的外交を展開するのだろうか。それは13億の人口を養っていくためには少なくとも8％成長を維持しなくてはならず、そのためには世界から資源、資金そして企業を集め、雇用の確保に努めなくてはならないからである。それ故、資源を保有する途上国に接近し、インフラ整備支援のために中国人技術者と労働者を送り込むのである。また、中国周辺諸国の首都ではインフラ整備支援とともに、中国人3万人規模のチャイナタウン建設も進め、その国の政治経済に少なからず影響力を持とうとする。さらに欧州への接近では、財政破綻に陥ったギリシャの国債を購入し、同様の困難を抱えるポルトガルにも財政支援を表明し、両国の下支えを行うこととしている。実に巧みな戦略である。

<strong>日本がとるべき対応</strong>

漁船衝突事件から反日運動に至る過程で、我が国外交の足腰の脆弱さが露呈されたと言えよう。この機を利用して、ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問した。ラブロフ外相は、我が国の抗議に対して「北方四島はロシアの領土である。国内を移動するのに外国から抗議される理由はない。」と反論した。外交とはこうしたものである。自国に有利と見れば突如豹変することも十分ありうる。こうした相手に向かっては、直ちにそして明確に反論しておく必要がある。尖閣諸島の領有権を主張する中国に対しては、なぜ尖閣諸島が日本の領土であるか、そして中国の論拠には不備があることを内外に向けて発すべきである。「国内法に基づいて粛々と」では相手国も諸外国もそして国民もよく分からないのである。また、ラブロフ外相の発言に対しては、日露両国が北方領土問題＝北方四島の帰属の問題であることを相互に確認していることから、その発言が全くの誤りであることを内外に向けて発すべきである。

中国とロシアに対しこうした対応が不十分と見られたせいか、国内には「弱腰外交」を批判する声が聞かれる。我が国の場合、相手国を刺激しまいとして過剰に配慮してしまうことが多い。和の精神、譲歩の美学と言われるが、それは国内でしか通用しない。国際関係においては、実のところ「強面外交」が時折顔を出す「実利外交」なのである。ただし、我が国の場合、「強面外交」が功を奏するとは思えない。不得意でありまた似合わないからである。約束を反故にしたり相手を後ろから切るようなことはできないし、またそうすべきではない。私見ではあるが、中東諸国や途上国の間では日本、日本企業そして日本人に対する信用度はかなり高い。こうしたフェアープレー精神はソフトパワーの一つでもある。そうであれば正攻法として論理的展開を適時かつ明確に示す以外にないのである。問題はそれが十分にできているか否かである。

1990年代初頭、日米中3カ国の関係は日米の強力な軸を底辺とし、遠い頂点に中国が存在するという鋭角な二等辺三角形であった。しかし、20年が経過した今日、3カ国の関係は正三角形に近い。日米間には同盟関係が存在するものの、政治、経済、軍事などを総合した国力からみると、中国の国力の増大は著しい。しかも今後、更に増大する勢いである。尖閣諸島に関しては日米安保条約第５条の対象となることが確認されたことは有益であるが、当然といえば当然のことなのである。しかし、ここで注意すべき点がある。アメリカは日本の領土問題に関してはこれまで中立の立場を貫いてきたのである。正三角形の関係であれば、絶えずアメリカと協力してという姿勢は許されないであろう。明確な外交戦略の下で、主権国家として主張すべきは主張し、自国で解決するという姿勢が不可欠である。

残念ながら、現政権の「国家戦略局（National　Policy　Unit）構想」は国家予算局以下である。政治、経済、軍事などの国際情勢の変化を十分に分析・評価した上で、国家の成長・発展を目指す拠り所となるものが国家戦略（National Strategy）である。この国家戦略に基づいて外交政策、経済政策などの諸々の具体的な政策が決定され実施されていくのである。しかるに、同構想では、経済運営の基本方針、財政運営、租税政策の基本及び予算編成の基本方針の企画及び立案が主たる所掌事務となっている。国家戦略の本質とも言うべき前段の部分が欠落しているのである。「失われたれ20年」とは国家戦略なき国家の所産ではなかったのか、そう思えてならない。



1949 年生まれ。1979 年、３つの民間企業を経るとともに早稲田大学大学院経済学研究課博士課程前期修了。同年、参議院事務局入局。予算委員会調査室、決算委員会調査室、外務委員会調査室等を経て、参議院第一特別調査室 首席調査員。2009年3月、行政監視委員会調査室首席調査員を最後に退職。

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   <title>アファーマティブ・アクションの「原点」−「ハーバード白熱教室」から「クォータ制」へ</title>
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   <published>2010-11-08T06:12:14Z</published>
   <updated>2010-11-08T07:46:52Z</updated>
   
   <summary>　Tweet 明戸 隆浩（東京歯科大学、麗澤大学ほか非常勤講師） 　「アファーマ...</summary>
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      <![CDATA[<div align="right"><a href="http://www.policyspace.com/akedo20101108.pdf"><img alt="pdficon_small.gif" src="http://www.policyspace.com/pdficon_small.gif" width="17" height="17"/></a>　<a href="http://twitter.com/share" class="twitter-share-button" data-url="http://www.policyspace.com/2010/11/post_740.php" data-text="明戸隆浩『アファーマティブ・アクションの「原点」−「ハーバード白熱教室」から「クォータ制」へ』を掲載しました。 #policyspace" data-count="horizontal" data-via="PolicySpace" data-lang="ja">Tweet</a><script type="text/javascript" src="http://platform.twitter.com/widgets.js"></script></div>


明戸 隆浩（東京歯科大学、麗澤大学ほか非常勤講師）

　「アファーマティブ・アクション」という政策がある。1960年代のアメリカで始まり、EUなどでは「ポジティブ・アクション」として知られるこうした政策は、しかし日本においては、まだ十分に認知されているとは言い難い。そうした中で、今年（2010年）の4月からNHKで放映され、メディアやアカデミズムで大きな話題となった「ハーバード白熱教室」において、この「アファーマティブ・アクション」が一つの重要な論点として取り上げられる、ということがあった。ここでは、この「ハーバード白熱教室」で示された論点から出発し、ダニエル・ベル、ネイサン・グレイザー、トマス・ネーゲル、ロナルド・ドゥオーキンといった知識人の議論を紹介しつつ、アファーマティブ・アクションの「原点」を浮かび上らせる、ということを試みたいと思う。]]>
      <![CDATA[<strong>1　「ハーバード白熱教室」におけるアファーマティブ・アクション</strong>
　「アファーマティブ・アクション」とは、エスニック・マイノリティや女性など、差別を受けてきた、あるいは受けている集団に属する人々に対して、教育や就業の機会を積極的に与えようとする政策のことだが、そのもっとも大きな特徴の一つは、それがきわめて「論争的」だということだ。とくに「本家」であるアメリカでは、それがある程度普及した1970年代以降、一貫して社会を二分する論点であり続けてきた。実際アメリカでは、アファーマティブ・アクションは、政治哲学や法哲学の教科書においても頻出のトピックとなっている。
　そしてこのことは、マイケル・サンデルによってハーバード大学の教養課程向けに行われた政治哲学の講義である「ハーバード白熱教室」、および関連本である『これからの「正義」の話をしよう』（原題はJustice: What's the Right Thing to Do?）<sup><a href="#t1">1</a></sup>にも当てはまる。サンデルはハーバード大学教授で、現在の英米圏でもっともよく知られた政治哲学者の一人だが、とくに1000人規模の学生を相手した大教室授業でありながら個々の学生を指名して議論を交わしながら進める彼の授業方法は、政治哲学という枠を超えて、日本でも大きな反響を呼んだ。
　とはいえここで注目したいのは、そうした授業方法というよりは、その内容、とりわけ「アファーマティブ・アクション」という論点に関するサンデルの講義内容である。サンデルはアファーマティブ・アクションについて、それを擁護するおもな議論として@標準テストで生じる偏りの補正、A過去の過ちに対する補償、B多様性の促進、の3つを挙げている。そしてこのうちとくにB多様性の促進については、サンデルはそれをさらにa）校内にさまざまな人種の学生がいることは、大学における学びをよりよいものにする、b）マイノリティを行政や知的職業において指導的役割を果たせるように教育することは社会に対してよい効果をもたらす、の2点に分け、かなり詳しく紹介している  <sup><a href="#t2">2</a></sup>。
　その上でサンデルは、アファーマティブ・アクションを支持する人々を「カントやロールズを信奉するリベラル」だとし、その典型例として法哲学者ロナルド・ドゥオーキンの議論を紹介している。サンデルによれば、一般にアファーマティブ・アクションに対して異議を申し立てる者は「学業に関する基準のみで審査される権利」を求めがちだが、ドゥオーキンはそれに対してこう反論する。「大学の使命を定義し、選考方針を決めるのは大学自身であって、出願者ではない。学業成績であれ、運動能力であれ、どの資質を重視するかを決めるのは大学だ。大学が自らの使命を定義し、選考基準を定めることではじめて、他の出願者よりもその基準を満たしている出願者に、入学を許される正当な見込みが生じる」 <sup><a href="#t3">3</a></sup>。
　さて、こうしたドゥオーキンの議論はとても興味深いものだが、これについての内容的な検討は、後で行うことにしよう。代わりにここで注意を喚起したいのは、サンデルがアファーマティブ・アクションを擁護するもっとも有力な論拠として「多様性の促進」という論点を提示する一方で、アファーマティブ・アクションを擁護する論者としてカント、ロールズの名を挙げ、その上でドゥオーキンの議論を紹介していることだ。ある程度現代の英米系の政治哲学について知識がある人には同意していただけると思うが、こうした「リベラル」な論者は、実は「多様性の促進」という考え方とはあまり相性がよくない。たとえば、ロールズが提示した有名な概念として「無知のヴェール」という考え方があるが、そこにも現れているように、「リベラル」な論者は「多様性」といったことをいったんカッコにくくって考えることが多い。こうしたこともあって、とくに90年代以降には、ロールズをはじめとする「リベラル」の議論は、「多様性」や「差異」を無視するものだとしてかなりの批判を浴びた。そういう観点からすると、ここでサンデルが提示しているアファーマティブ・アクションについての議論は、必ずしもすんなりと納得できるものではない。ここには、何か重要な問題があるのではないだろうか。

<strong>2　アファーマティブ・アクションの「原点」としてのクォータ制・その1</strong>
　なぜ「多様性」とは相性がよくないはずの「リベラル」の議論が、アファーマティブ・アクション擁護論の代表とみなされることになったのか。このことを探るためには、少し歴史を遡る必要がある。先ほど書いたように、アファーマティブ・アクションがアメリカを二分する論点として位置づけられるようになったのは、1970年代以降のことである。いわばアファーマティブ・アクションの「原点」はここにあるわけだが、実はこのときの議論の構図は、サンデルが示したものとはかなり違ったものだった。
　1970年代にアファーマティブ・アクションにかかわる論争の口火を切ったのは、『イデオロギーの終焉』や『脱工業社会の到来』で知られる、ダニエル・ベルという社会学者である。ベルは1972年に書かれた論文<sup><a href="#t4">4</a></sup>で、アファーマティブ・アクションは「メリトクラシー」つまり「メリット＝能力」に応じて地位が分配される制度に反するとして、それを強く批判した。ただしここで注意しなければならないのは、この論文でベルが念頭に置いていた「アファーマティブ・アクション」というものの内実は、実は「クォータ制」と呼ばれるものだったということだ。
　「クォータ制」というのは、そのもっとも典型的な形としては、たとえば該当地域の人口の30%を黒人が占める場合、その地域にある大学の入学定員の30%を黒人に割り当てる、というものである。こうしたやり方をとった場合、その当然の帰結として、筆記試験の順位どおりに合格者が決まるわけではないことになる。具体的には、100点満点の筆記試験で60点である黒人が合格し、70点をとった非黒人が不合格となる、ということは十分ありうる。ベルがメリトクラシーに反するとして批判したのは、アファーマティブ・アクション全体ではなく、あくまでもこうした「クォータ制」だった。
　こうした考え方は、同じく社会学者であるネイサン・グレイザーにも共通する。グレイザーは、パトリック・モイニハンとの共同研究の成果である『人種のるつぼを超えて』でよく知られているが、アファーマティブ・アクションについては、ベル同様批判的な立場をとる。そして彼が1975年に出した本<sup><a href="#t5">5</a></sup>で批判したのも、ベルと同じく「クォータ制」だった。グレイザーは、クォータ制が普及したのは、行政機関が目に見える形で「成果」を示す上でそれがもっとも手っ取り早い手段であったからにすぎないとして、これを強く批判した。

<strong>3　アファーマティブ・アクションの「原点」としてのクォータ制・その2</strong>
　とはいえ、ベルとグレイザーはどちらもアファーマティブ・アクション批判派だという点で共通しており、また彼らは同じユダヤ系の知識人として盟友関係にあったことでも知られている<sup><a href="#t6">6</a></sup>。そうでなくとも批判派は批判対象を「過激な」ものとして位置づける傾向にあるから、批判派がその特徴を「クォータ制」に見出しているからと言って、1970年代のアファーマティブ・アクションの中心が「クォータ制」にあったと結論づけるにはまだ早いかもしれない。アファーマティブ・アクションを擁護する論者はまったく違う議論を展開していたのではないかという疑問も、十分に想定できるからだ。
　しかし実際には、アファーマティブ・アクションを擁護する側の議論においてもまた、その焦点は「クォータ制」に置かれていた。具体的に見ていこう。先ほどサンデルは、アファーマティブ・アクションを擁護する「リベラル」としてロールズの名前を挙げていたが、実はロールズ自身は直接アファーマティブ・アクションには触れていない。ただしロールズの周辺にアファーマティブ・アクションの擁護派が多かったことは事実で、たとえばロールズの弟子である哲学者のトマス・ネーゲルは、1973年に書かれた論文<sup><a href="#t7">7</a></sup>で、アファーマティブ・アクションを積極的に擁護している。
　ネーゲルは、この論文でアファーマティブ・アクションが導入される過程を5つの段階に分けて示しているのだが、その最後の段階においては、能力による地位の分配、つまりベルのいう「メリトクラシー」そのものの廃棄が行われるとされている。もちろんこれは実際に生じたことではなく、将来的に起こりうる（そしてネーゲルにとっては規範的に望ましい）ことについての仮定でしかないのだが、ここで重要なことは、ネーゲルの議論が、ベルのそれとちょうど正反対なものになっている、ということである。ネーゲルもまた、アファーマティブ・アクションの焦点を「クォータ制」に見出すのだが、彼がそれを評価するのは、それがメリトクラシーを掘り崩す過程となりうるからだ。
　そしてこうしたことは、サンデルがアファーマティブ・アクション擁護派の典型例として取り上げていた、ドゥオーキンについても基本的に当てはまる。サンデルが参照しているのは「バッキー訴訟―クォータ制は不公平か？」という1977年の論文<sup><a href="#t8">8</a></sup>だが、これはタイトルにある通り「クォータ制」を規範的に擁護することを試みた論文である。そこでドゥオーキンは、確かにサンデルがまとめたとおりのことを主張している。念のため、以下再掲しておこう。「大学の使命を定義し、選考方針を決めるのは大学自身であって、出願者ではない。学業成績であれ、運動能力であれ、どの資質を重視するかを決めるのは大学だ。大学が自らの使命を定義し、選考基準を定めることではじめて、他の出願者よりもその基準を満たしている出願者に、入学を許される正当な見込みが生じる」。
　これは、ここまでの文脈をふまえて言い換えるなら、入学者を決定する基準としてメリトクラシーを採用するかどうかは各大学の裁量の範囲内だ、ということになる。つまりここでドゥオーキンは、ネーゲル同様メリトクラシーを絶対的な基準から外すことで、クォータ制の擁護を試みている<sup><a href="#t9">9</a></sup>。そしてここで重要なことは、こうしたアファーマティブ・アクション擁護派の主張は、規範的なスタンスが違うだけで、ベルやグレイザーのアファーマティブ・アクション批判としっかり噛み合っている、ということだ。両者とも、アファーマティブ・アクションの核にあるのは「クォータ制」であり、それが「メリトクラシー」の相対化に通じると考えている。違うのは、そのことに反対するか、賛成するかだけである。

<strong>4　「クォータ制」から「多様性」へ</strong>
　以上見てきたように、1970年代のアファーマティブ・アクションをめぐる論争は、それに対してどのような規範的態度を取るにせよ、基本的に「クォータ制」をめぐるものだった。端的に言えば、アファーマティブ・アクションの「原点」は、「クォータ制」にあるのである。そしてこのことを前提にすると、2節のはじめに示した問い、すなわち、なぜ「多様性」とは相性がよくないはずの「リベラル」の議論が、アファーマティブ・アクション擁護論の代表とみなされることになったのか、ということもわかってくる。
　結論から言えば、「リベラル」がアファーマティブ・アクションを擁護するにあたって、「多様性の促進」は規範的にはまったく重要な論拠ではない。「リベラル」（とくにネーゲルのような原理主義的な「リベラル」）が理想とするのは、人種や性（さらには知的能力）といったものが、地位の分配に一切影響しないような社会である。「該当地域の人口の30%を黒人が占める場合、その地域にある大学の入学定員の30%を黒人に割り当てる」といったクォータ制の原理は、一見バカげているように見えるかもしれないが、しかし、もし黒人かそうでないかが大学の入学に一切影響しないのであれば、それは「そうなるはず」の事態なのである。逆に言えば、もし実際の状況が「そうなるはず」の事態と異なっているのであれば、それはそこに何らかの「差別」があるからだと見ることすらできる（ちなみに批判派であるグレイザーは、まさにこうした思考を強く批判している）。こうした観点からすれば、「多様性の促進」は、過程としてたまたま生じるものにすぎない。
　しかし実際には、サンデルがそうしていたように、現在アファーマティブ・アクションを擁護する際にもっとも重視されるのは「多様性の促進」という論拠であり、その一方で、擁護派としてロールズやドゥオーキンといった「リベラル」が挙げられ続けている。そして、ハーバード大学でサンデルの講義を聴く1000人の学生の多くは、そのことをとくに疑問にも思わない（サンデル自身は、おそらくわかって端折っているのだと思うが）。どうして、こうした事態が生じたのだろうか。最後にこのことについて、少し補足しておこう。
　アファーマティブ・アクションをめぐる議論において「多様性の促進」という論点が登場したのは、実は先ほど見たような議論が行われた、そのすぐあとのことだった。最後に見たドゥオーキンの論文は、メインタイトルが「バッキー訴訟」となっていたが、アファーマティブ・アクションに関するもっとも重要な裁判の一つが、実はこの「バッキー訴訟」である<sup><a href="#t10">10</a></sup>。この裁判の連邦最高裁における判決は1978年に出されたが、その内容を要点だけかいつまんで言うと、クォータ制に基づくアファーマティブ・アクションは違憲、しかし多様性の促進のために人種を考慮すること自体は合憲、というものである。そしてこの判決以降、連邦最高裁は基本的にこうした方向性を踏襲することになった。
　こうした中でクォータ制は、法的に認められがたい「過激な」アファーマティブ・アクションとして位置づけられていく。その一方で、「リベラル」がアファーマティブ・アクション擁護派だという事実はその後も残り続ける。こうして、サンデルが講義で示したような、論拠として重要なのは「多様性の促進」、擁護派の代表は「リベラル」という構図が、定着することになったわけである。

<strong>5　日本におけるアファーマティブ・アクション</strong>
　このように、アファーマティブ・アクションの「原点」であるクォータ制は、現実の制度としてはもちろん、サンデルの講義のような「政治哲学」の議論においてさえ、忘れ去られる傾向にある。確かに、ネーゲルのようにメリトクラシーそのものをひっくり返すような議論は、現実的な議論としてはなかなか受け入れがたいだろう。ただそうしたことをふまえた上で最後に述べておきたいことは、仮にそうであるとしても、アファーマティブ・アクションの「理念型」としてクォータ制を考えるということは、今なお一定の意義があるのではないか、ということである。「理念型」としてクォータ制を考えるというのは、それを現実の制度にそのまま適用するものとしてでなく、現実の制度を議論する際の「参照項」として位置づけるという程度の意味であるが、こうした点では、クォータ制は現在においても十分に意義を持ちうると思う。
　というのは、とくに日本でアファーマティブ・アクションが認知されにくい一つの要因として、その焦点がかなり拡散してしまっているということがあるように思うからだ。たとえば、日本で厚生労働省が2009年に行ったポジティブ・アクション（日本の行政上の用語法ではこちらになる）の推進状況についての調査がある<sup><a href="#t1">11</a></sup>。そこでは各企業が行っている取り組みについての質問がなされているが、そこで挙げられているのは、（回答が多かった順に）@人事考課基準を明確に定める（67.3%）、Aパート・アルバイトなどを対象とする教育訓練、正社員・正職員への登用等の実施（56.9%）、B職場環境・風土の改善（46.2%）、C出産や育児等による休業等がハンディとならないような人事管理制度、能力評価制度等の導入（44.4%）、D女性がいない又は少ない職務について、意欲と能力のある女性を積極的に採用（41.5%）、といったものである。
　もちろん、ここに挙げられているもの全体についてそれを「アファーマティブ・アクション／ポジティブ・アクション」としてとらえることは、現実の政策の推進としては、必ずしも悪いことではないのかもしれない。しかし、「人事考査基準の明確化」や「職場環境の改善」までアファーマティブ・アクション／ポジティブ・アクションに含まれるとなると、その外延はかなりあいまいなものになってしまう。前節までで見てきたアファーマティブ・アクションの概念にもっとも近いのは、D女性がいない又は少ない職務について、意欲と能力のある女性を積極的に採用、であるが、これですら、具体的にどのような手段を講じるのかまでは明らかにしていない。
　こんなとき、クォータ制という「原点」は、きわめて明快な目標を示してくれる。それはもちろん、「女性が占める割合が半分になるまで、女性を採用せよ」である。すでに何度も書いてきたように、こうした主張は「本場」アメリカでもきわめて急進的な主張である<sup><a href="#t12">12</a></sup>。しかし、アファーマティブ・アクション／ポジティブ・アクションを議論するにあたって、一つの「理念型」としてこうしたクォータ制の原理を置くことは、議論の構図を明確化する上できわめて有益だと考える。もし「政治哲学」が「政策」に対して何らかの貢献をなしうるとすれば、その一つの可能性は、そのような構図の明確化にあるように思う。この小論が、そうした可能性の一片を示しうるものになっていることを願いつつ、稿を閉じたい。

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<sup id="t1">1</sup> Sandel, Michael J., 2009, Justice: What's the Right Thing to Do?, Farrar, Straus and Giroux.（＝2010，鬼澤忍訳『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』早川書房．）

<sup id="t2">2</sup>  実際「ハーバード白熱教室」においては、教室はまさに（一見してわかる程度に）「多様」な学生から構成されており（日本ではおそらくこうはならないだろう）、そこではおそらくエスニック・マイノリティであろう学生が、まさにこうした擁護論を積極的に展開していた。
<sup id="t3">3</sup>  Sandel（2009＝2010: 225）
<sup id="t4">4</sup>    Bell, Daniel, 1972, "Meritocracy and Equality," Public Interest, 29, 29-. なおこの論文は、後に『脱工業社会の到来』（1973年）に収録された。
<sup id="t5">5</sup>   Glazer, Nathan, [1975] 1987, Affirmative Discrimination: Ethnic Inequality and Public Policy, Basic Books.
<sup id="t6">6</sup>   ちなみに、先ほど挙げたベルの論文は『パブリック・インタレスト』という雑誌に掲載されたものだが、実はこの雑誌は後に「ネオ・コンサバティブ」（いわゆる「ネオコン」）として知られるユダヤ系知識人のグループの拠点であり、ベルやグレイザー、あるいは後に「ネオコンの総帥」として知られるようになるアーヴィング・クリストルといった人々は、程度の違いはあれ、こうしたグループの関係者である。
<sup id="t7">7</sup>   Nagel, Thomas, 1973, "Equal Treatment and Compensatory Discrimination," Philosophy and Public Affairs, 2(4), 348-. なおこの論文は、後に『コウモリであるとはどのようなことか』に収録された。
<sup id="t8">8</sup>   Dworkin, Ronald, 1977, "Bakke's Case: Are Quotas Unfair?," The New York Review of Books.
<sup id="t9">9</sup>   なお、ドゥオーキンはネーゲルとは違ってメリトクラシーそのものの廃棄を主張することはない。
<sup id="t10">10</sup>   ドゥオーキンは、上記の論文を連邦最高裁における裁判が始まったことを受けて書いている。
<sup id="t11">11</sup>   厚生労働省，2010，『平成21年度雇用均等基本調査』．
<sup id="t12">12</sup>   なお、フランスでは国会議員の選出に関して「パリテ法」というかなり急進的な制度が成立しているが、ここでは文脈がズレるので参考として挙げるにとどめる。
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明戸隆浩（東京歯科大学、麗澤大学ほか非常勤講師）

プロフィール
1976年名古屋生まれ。東京大学文学部、東京大学大学院人文社会系研究科修士課程を経て、同博士課程単位取得退学（専攻はいずれも社会学）。現在、東京歯科大学、麗澤大学、東京福祉専門学校ほか非常勤講師。専攻は社会学・社会思想。研究分野は、多文化社会論（ナショナリズム研究、エスニシティ研究）、イデオロギー論、知識人論など。おもな著書に『ナショナリズムとトランスナショナリズム』（法政大学出版局、2009年、共著）。おもな論文に「チャールズ・テイラー「承認の政治」論の再構成」『現代社会学理論研究』4号、「1960年代アメリカにおける〈リベラル・マジョリティ〉の成立」『年報社会学論集』22号、「９．１１と「多元社会」アメリカ」『ソシオロゴス』30号など。
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   <title>「政治主導により本物の地域成長戦略を立案・実現する方策」</title>
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   <published>2010-10-26T01:00:00Z</published>
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大上二三雄（エム・アイ・コンサルティンググループ代表）
　
　明治維新で生まれた近代日本は、いわゆる1940年体制として国家社会主義的な中央集権システムの骨格が形成され、戦後ＧＨＱ占領下における一連の改革と資本の平等な再配分を経て完成したそのシステムを運営することにより、敗戦後の日本には世界でも稀な成功がもたらされた。しかし、冷戦の終結という終わりの始まりから、あらゆる意味で世界は転換期を迎え、高齢化と経済成長の停滞に悩む日本社会は、抜本的なシステム変革を迫られている。
　すべからく変化を牽引するのは需要者であり、社会体制という観点では需要者はすなわち地域である。また、機能しなくなった中央集権システムを変革するという観点からも、地域主導の実現が求められている。更には、供給者側の観点は新しいことへの取り組みより現状の改善に向う傾向が大きいため、各種政策の供給側に立つ公務員は、本質的に大規模な改革には不向きである。需要者側の代表として政治家の主導による、大規模な地域主権に向けた変革が必要であることは、もはや論をまたないであろう。
　ここでは、総合特区を始めとした新成長戦略の実現に向け講じられようとしている地域政策に関して、これまで私が実践経験の中で感じて来た課題を明らかにしたい。そのうえで、それを超える新しい仕組みの基本構造（アーキテクチャー）を設計し、政治家が強いリーダーシップを持って取り組むべき施策（＝その実行に向けたステップ）を提言する。
]]>
      <![CDATA[　政権交代に伴い、霞が関の中央省庁には、まだモザイク模様ではあるが一定レベルの変化がもたらされている。しかし一歩東京から外に出ると、日本の国家システムは、旧来のまま殆んど何も変わっていない。中央と地方の関係では、自治体にいる中央省庁からの出向者や中央省庁への出向経験のある者が出身省庁とのインターフェースを担い、結果として俗人的な担当者により対応が大きく異なる状況を許している。最後に「国が国の予算でやる事だから」と言われてしまうと、地方における地方のための取り組みであっても、地方からはなかなかその中身に口出しが出来ない。地方と政治家の関係も、単に陳情先が自民党の議員から民主党の議員に代わっただけで、内容は殆んど何も変わっていない。従来からの習慣に従い、地方の選挙区で選出された議員も、地方からの陳情を聞くのは東京の議員会館である。そしてその結果、地方自体は全く変わっていない。

　このような状況を打破するために、政府には、幾つかの抜本的な変革に向けたアクションが求められている。

　先ずは更なる霞が関の改革である。具体的には、官邸のリーダーシップによる省庁横断的で一元的な政策を立案し、更なる予算の効率化と規制・制度改革を推進する。その為に政治家は、需要者である地方を代表して変革をけん引する存在でなければならない。地方と霞が関、及び国会議員間の新たな関係を構築し、地方の自立的な取り組みに向けた改革を推進しつつ政治家の力量向上を図り、真の政治主導を実現することが必要である。

　霞が関や政治家だけではなく、地方にも大きな変革が求められている。東京への一極集中が進んだ結果、地方には、現状の枠組みを変えなければ解決できない多くの構造的問題が存在している。
　先ずは人材の問題である。そもそも地方で生まれ育ったものの中で、やる気が有り能力の高い人間は、先ずは東京に出て行く比率が高い。そして地方に残る有能な人間は、次に役所や金融機関、電力や交通などの地域独占的企業に行く傾向が強い。結果として、挑戦志向（＝変革者指向）のある人間が中央に行き、次に有能な人間が現状秩序の守護者として育っている。人材の偏りは経済成長率の差となり、中央と地方の経済力格差につながって来た。人材と経済の悪循環による格差問題は、人材により依存する第三次産業の比率が高まるにつれ拍車が掛かる傾向にある。
　次に、国の配分システムや総合開発政策が公共事業に頼る全国一律的なものであったことから、地方の景観や政策等が土建的体質の下に均質化し地方の独自性（＝価値）を損なってきた問題がある。地方は、財源の多くを国からの交付に頼るため、予算時期を中心に首長や公務員が東京に足を運び、政治家及び霞が関の役人を訪問する陳情を繰り返している。結果として、中央が望むであろう政策を斟酌し自らの政策とすることを競い合う、「おねだり民主主義」が蔓延している現状がある。
　更には、公共事業において技術とアイディアを持ち提案が可能な企業の多くは中央の企業であり、地方の企業はその下請けに入ることで糧を得ている状況もまた、問題である。建設される施設に入るテナントは全国に広がる中央の企業であり、地方で上がった利益を吸い上げる。そして建設された鉄道・道路はより中央への集中を促進する。結果として人、モノ、金、情報は、より中央へ一極集中されていく。そのことが日本全体に更なる成長をもたらし、結果として配分することにより全員で分かち合う利益を生んでいった高度成長期はそれでも良かったが、実質的なゼロ成長が長期にわたり続く現状ではむしろ、一方的な搾取に近いと言える。

　これらの課題を解決し自律型国家システムへの道を開く事は、簡単ではないし一筋縄ではいかない。この難しい課題を解決するためには、まず前提となる枠組みとしての考え方（＝パラダイム）を整理した上で、アーキテクチャーを設計することが必要である。
　一番目に挙げられるべきなのは、現場重視という考え方である。地方の現場における課題はその多くが経済活動や生活に密着したものであり、省庁縦割りではなく企業・生活者の横串で捉える事が必要である。変化の激しい中で合理的判断を行うためには、よりフラットな組織を作り、関係者全員が現場の臨場感を理解して各種意思決定を行うことが重要である。その為には、意思決定に関わる中央・地方の関係者が、頻繁に地方の現場において議論する仕組みを構築するとともに、権限や財源を権限委譲し、地方が独自の裁量で実施する範囲を大幅に拡大することが必要である。
　次に重要なのは、関係の対等性を確立することである。階層的な組織は変化を認識するのが遅く、変化が激しい時代には誤った判断をする。むしろ地方は現場の意思決定主体として、「地方がこれを実施するために、国はこういった協力をしてくれ」とはっきり要求することを可能ならしめるよう、国と地方の関係を対等な関係とする事が必要である。その為には、首相の明確な宣言と指示を皮切りに、霞が関に対する力関係上位者、具体的には国会議員がはっきりと地方のステークホルダーとなる仕組みを作り、政党として地方要望を汲み取る一元的窓口機能を拡充し、関係各所への尻叩きを更に推進することが有効である。
　前述したように、地方における人材を充足することが必要である。短期的には、中央官僚の転職先として自治体の特任政治任用を拡充することや、団塊世代を中心にした帰郷の動きに併せて、地方におけるＮＰＯ等の連帯的組織を拡充することで、中央の人材について、地方への移動を促す仕組みを導入する。中長期的には、地方における挑戦的な仕事の機会を増やすと共に、大学の広域統合と仮想的一体運営を推進する等、人材育成の仕組みを充実させることが望まれる。
　最後に求められるのは、おねだりを絶つ気概である。かつて福沢諭吉が言った「国を援けて国に頼らず」の精神で、財務的な支援要求に安易に走らず、イノベーティブな施策を実行に移すための規制・制度改革、そして民間資金の導入を基本とした産業振興を行っていくべきである。提起されている総合特区制度の推進や、投資効果のマルチプルにより財務的支援や規制・制度改革に関してプライオリティを付ける公明性の高い仕組みの導入が試みられているが、このことはより注目されてしかるべきである。更には、地域全体に語りかけることで発揮される政治家のリーダーシップの重要性は、改めて述べるまでもないことである。

　これらアーキテクチャーの構成要素を実現するための施策としては、様々に考えることができる。ここからは、効果が高いと思われる施策についての仮説を提起するとともに、その中でも特に重要な人の問題を考えてみたい。
　まず重要なのは、首相の明確な宣言と方針提起である。新たに総合的な仕組みを設計し、大きく地方における成長戦略の推進に入る段階において、改めて、首相によるトップダウンの推進に向けた決意と指示を示す事が、極めて重要である。
　また、国会議員が改めて本来の役割を再確認し、地方の首長や地方議員、都道府県連などの地方組織とも連携しつつ、独自性があり時代に叶う地方の成長戦略の立案、その戦略を具現化する筋の良いプロジェクトの立案・実施を、エクゼクティブ・スポンサーとして推進することが必要である。次に、中央における地方の利益代表として、幹事長室や政策調査会の場に於いて先頭に立って活動するとともに、国会議員の権限や立場をフルに活用し地方と国の日常的なコミュニケーションを促進することにより、中央と地方の連携を促進しつつ、地方における改革を推進する。
　更には、地方自治体への財源・権限移譲をより大胆に進めると共に、有能な人材の受け皿として、幹部自由任用枠を拡大していく事も必要である。また、並行して国会議員の政策秘書、地方議会の首長や議員及び秘書、都道府県連等地方組織の職員なども、人材の受け皿として活用する。受け入れる人材は各年齢層に幅広く考えられるが、特に中央省庁の人材やもうひと働きする意欲のあるシルバー層などが候補として考えられる。
　地方における成長戦略と改革の推進にあたって、現在は内閣府にある地域活性化統合事務局がワンストップ窓口になっている。この組織の地位を高め実効性を上げるため、この組織の地位を地域庁として高めると共に、政府・与党・地方が一体的に改革を進めて行く為に、閣僚を兼務する政務調査会長を地域活性化推進の担当大臣とすることが望まれる。

　このような施策を実行するに際して、様々な留意点が考えられる。まず、事務局等体制の構築に際しては、標準的な方法論の構築や人材の育成なども兼ね、コンサルティング経験者を中心にしたボランティア体制を構築することが現実的ではないか。その中で、シナリオプラニングや論理思考、その他さまざまな新しい戦略的思考のためのツールを展開することが可能になる。更に、全ての政治家が最終的に地方のエキスパートになる必要はないが、このような経験を若手政治家が積んで行く事は、政治家のキャリアパスとしても重要である。地方における横串の経験がベースにあれば、霞が関の視点に依らない省庁の政策に通じた国政のエキスパートになって行く事が出来るので、日本の政治と官僚組織の関係をより建設的なものにすることができる。そして経験豊かな元国会議員、首長経験者、企業ＯＢ、官僚ＯＢなど、能力を有するＯＢを、主に人材教育やプロジェクト・レビューの面で、精力的に活用していくのも効果的である。

　最後に、改めて地方の人材について。筆者は平均年齢４０歳半ばのリーダー達に対する３つの塾、ISL(Institute of Strategic Leadership:<a href=" http://www.isl.gr.jp/"> http://www.isl.gr.jp/</a>)、九州アジア経営塾(KAIL:<a href=" http://www.kail.jp/"> http://www.kail.jp/</a>)、東大EMP(<a href="http://www.emp.u-tokyo.ac.jp/">http://www.emp.u-tokyo.ac.jp/</a>)に、長年深く関与している。その経験から思うのは、素養や能力に本質的な差は感じない半面、九州アジア経営塾の塾生はISLや東大EMPの受講生に比べ、世の中に揉まれていない感じを受ける。擦れていない、素直で正直な人材の比率が高いのである。また、国際的な分野、現代政治、経済、地政学といった知識の面においても、明らかに劣っている。このことは、中央に対する長年の依存で、地方が構造的な思考停止に陥っていることの証左であろう。この提言で述べてきた内容を実現していくためには、このようなぬるま湯の状況から脱却し、まず自らの地域からの成長戦略の実現について、独立する気概を持って進めていくことが望まれる。筆者は機会があれば「九州独立」を説き、地域政党の設立を意図するのは、このような理由による。

　其々の地方において、独立の気概を持って地方から大きな変革を推進する志士たちが、多く現れ、地方発の改革を推進していくことを切に願ってやまない。

＜略歴＞
<small>1981年東京大学工学部卒業、アクセンチュア入社。92年9月統括パートナー就任。ハイテク、保険・金融、情報サービス産業などの分野において、経営戦略、企業変革コンサルティング、アウトソーシング、ベンチャー投資および戦略的提携等に従事。2003年10月エム・アイ・コンサルティンググループ株式会社を創業、代表取締役として、コンサルティングや事業開発、人材育成に取り組む。また、2005年東京大学総長室アドバイザー就任。現在、東京大学EMP（エクゼクティブ・マネジメント・プログラム）アドバイザーとして、プログラム推進の一翼を担っている。他、ISL（Institute for Strategic Leadership）の経営者ゼミ・ファカルティ、九州アジア経営塾碧樹館プログラム・アドバイザー、立命館大学経営大学院客員教授を務める。
主な著書に、『戦略アウトソージング』、『人材マネジメント革命』、『ハーバード・ポケットブック・シリーズ』（エム・アイ・コンサルティンググループ(株)監修）など。</small>

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   <title>Asia Social Innovation Award開催のお知らせ</title>
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   <published>2010-10-14T03:37:41Z</published>
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   <summary>Tweet ASIA SOCIAL INNOVATION AWARDとは、社会を...</summary>
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ASIA SOCIAL INNOVATION AWARDとは、社会を良くするための社会イノベーションのアイデアコンテストです。誰もが簡単に社会イノベーションを起こすための議論に参加できます。昨年、香港で開催され、大盛況を得ましたが、今年は、香港に加えて、台湾、韓国、シンガポール、そして日本でも開催されます。

皆様から、テーマに沿った社会事業のプランを募集します。選考されたプランは、直接、香港の本大会で表彰とプレゼンテーションを行うことも可能です。応募の仕方は簡単です。下記のリンク先に、概要と応募方法がありますので、ぜひともご応募下さい。

<div align="center"><a href="http://giftstotheearth.com/social/eco/asia-social-innovation-award.html">Asia Social Innovation Award概要・及び募集ページ</a><br>
（ＮＰＯ　ＧＩＦＴの特設ページに飛びます）</div>


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   <title>ステークホルダー・デモクラシーの可能性</title>
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   <published>2010-09-29T06:36:50Z</published>
   <updated>2010-11-08T07:34:24Z</updated>
   
   <summary> Tweet 松尾　隆佑 1．「われわれは今や、みなステークホルダーである」 　...</summary>
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松尾　隆佑

<strong>1．「われわれは今や、みなステークホルダーである」</strong>

　ここ10年ほどの間に「ステークホルダー（ステイクホルダー）」なる言葉を見聞きする機会が随分増えたと感じている人は、少なくないだろう。この語は主として1980年代から、株主に限らない企業に対する「利害関係者」（従業員、取引先、消費者、地域、政府など）を意味して使われていたが、特に90年代以降に企業経営以外の広範な領域で用いられるようになるにつれ、日本でもカタカナ書きのまま使われることが多くなった<sup><a href="#m1">[1]</a></sup>。

　例えば地方自治の文脈であれば、地域住民や地元企業・団体、地方政府および中央省庁などがステークホルダーである。同様に、学校教育の問題なら生徒、保護者、教職員、教育委員会、地域などが、医療現場であれば患者やその家族、医師・看護師などの医療従事者、医療機関、医師会、健保組合などがステークホルダーと見なされるであろう。これまで使われていた「当事者」や「利益団体」などの呼び名がステークホルダーと言い換えられることで、職場・地域・学校・家庭において、あるいは企業・政府や様々な問題に対して、私たちは今や、みなステークホルダーになったのである。]]>
      <![CDATA[　だが、なぜ当事者や利益団体ではなく、また日本語で利害関係者と言うのでもなく、ステークホルダーなる横文字を使わなければならないのか、疑問を持っている人は多いのではなかろうか。所詮は一時の流行語であり、呼び方を替えても実質は何も変わっていないし、決して変わるまいと、冷笑的に見ている人もいるだろう。実際、これには無理からぬところがある。
　これまでのところ、（カタカナ書き）の「ステークホルダー」が利害関係者を意味することは知られるようになったが、そもそも“stakeholder”なる語がどのような含意を持つのかはあまり知られていないし、ステークホルダーが持つとされる“stake”とは一体何を指すのかについて語られることは少ない。こうした語義・含意についての理解が伴わなければ、新奇な言葉が上滑りしているだけとの印象を受ける人が出るのも自然である。
　例えば1990年代半ばのイギリスでは、コラムニストのウィル・ハットンが、米国型の株主（shareholder、stockholder）資本主義を批判して日欧型の「ステークホルダー資本主義」を掲げた。その影響を受けたトニー・ブレアは、96年1月のシンガポールでの演説中、福祉、教育、経済の各分野において国民全員を包摂するような社会システムである「ステークホルダー経済」を目指すと宣言した<sup><a href="#m2">[2]</a></sup>。97年の労働党マニフェストによれば、「誰もが社会においてステークを持ち、それに対して責任を負う」ことが、「ステークホルダー経済の真の意味である」とされる。ブレア政権が導入した、政府が定めた基準を満たすことで認定される私的年金である「ステークホルダー年金」制度は、こうした考え方を実践した政策の一例と言えよう<sup><a href="#m3">[3]</a></sup>。
　また、2005年9月にアメリカのゼーリック国務副長官（当時）が中国を「責任あるステークホルダー」と表現したことを端緒として、同国高官から同様の発言が相次ぎ、06年4月の米中首脳会談に先立つ演説では、ブッシュ大統領（当時）が「多くの戦略的利益を共有している」アメリカと中国は、「国際システムにおけるステークホルダー」として「責任をもって共通の課題に取り組む」との意思を表明するに至った<sup><a href="#m4">[4]</a></sup>。
　ブレアは、国家および社会において各市民にステークが保障されるべきであることを強調するが、ここでの“stake”を「利害関係」と訳してしまうと、社会における利害関係を「保障」するとの文意になり、いささか理解しにくい。また、アメリカ高官の発言について当時の主要紙は、“stakeholder” を「利害関係者」や「利害共有者」と訳して伝えたが、国家を国際システムにおける利害関係者と呼ぶのは当たり前すぎて、それだけでは何を言いたいのかわからない。むしろここで重要なのは、ブレアの考え方と共通する「責任」の強調であり、それを導き出すような、ステークホルダーとしての「承認」、あるいはステークの「保障」である。
　ステークホルダーなる目新しい言葉に何らかの意義や可能性があるかどうかの判断は、日本語の「利害関係者」とは微妙にズレる、その語義・含意についての理解を深めてからでも、決して遅くはないはずである<sup><a href="#m5">[5]</a></sup>。


<strong>2．ステークホルダー論の起源と背景</strong>

　 “stakeholder”は少なくとも16世紀から存在する言葉で、開拓移民たちが土地の所有権を主張するために杭（stake）を立てたことに発するとする説が有力である。70年代までのアメリカでは、ステークホルダーは人権団体や消費者団体、環境保護団体など「権利を主張する者たち」として、どちらかと言えば否定的な意味付けを与えられていた。しかし、70年代から80年代にかけて多様な社会運動が盛んに展開される中でその価値付けは中立化され、概念的捉え直しとともに理論化が進んだ。
　その成果を結実させた記念碑的著作とされるのがR.E.フリーマンの『戦略的経営』（1984年）であり、これは現代のステークホルダー論の出発点となった<sup><a href="#m6">[6]</a></sup>。同書の中でフリーマンは、ステークホルダーとは「組織の目的達成に影響を与えることができるか、組織の目的達成によって影響を受ける個人または集団」であるとしており、これは現在でも広く共有されている、ステークホルダーについての古典的定義である。フリーマン以降、企業や非営利組織、地方政府などの公共セクターにまたがる戦略的経営論や、応用倫理学の一領域としてのビジネス・エシックスなどを中心として、「ステークホルダー理論」が発展してきた<sup><a href="#m7">[7]</a></sup>。
　戦略的経営論は組織の存続に不可欠なアクターとして、ビジネス・エシックスは企業に対する権利主体として、ともにステークホルダー概念を捉え直したが、そうした探究が要請された背景は、アメリカのみに限定されるものではない。80年代以降にステークホルダー理論が活発に研究されるようになり、特に90年代以降は公共政策その他の分野でもステークホルダー論が注目を集めるようになった理由として、大きく次の4点が指摘できる<sup><a href="#m8">[8]</a></sup>。
　すなわち、（1）グローバル化による世界的相互依存の深まり、（2）企業・NGO・NPOなど非国家的アクターの影響力拡大、（3）効率性と公開性の要求の高まりに直面した公共セクターの変容（ニュー・パブリック・マネジメントやパブリック・インボルブメントなど、市場と参加の活用を通じた公共経営の刷新努力）、（4）科学技術の高度化・専門分化によるリスクの不確実性の高まり、である。
　あらゆる問題は広範囲に拡散する上に、そこに伴うリスクは予測困難なものであるため、無数の個人や集団・組織を巻き込んだ強い公共的関心の的となることを避けられず、政府も企業も問題を「封じ込める」ことはできない。各アクターが影響を及ぼし得る範囲が拡大するとともに人々の利害関心の在り方が複雑化することによって，既存の意思決定過程の有効性や正統性が動揺している。単なる株主や顧客、有権者や旧来の利益団体などには尽くされないステークホルダーが注目を集める理由は、こうした点に求められる。
　ステークホルダー理論は、意思決定主体が決定の有効性と正統性を高めるためには、決定プロセスに多様なステークホルダーを包摂することが重要であるとの認識に基づいている。こうした考え方は公共政策やグローバル・イシューにも適用され、「多様なステークホルダーが対等な立場で参加した対話と合意形成のプロセス」である「マルチステークホルダー・プロセス（MSP）」として、広範に実践されている<sup><a href="#m9">[9]</a></sup>。
　 92年にリオ・デ・ジャネイロで開かれた国連環境開発会議（地球サミット）が採択した「アジェンダ21」では、持続可能な発展を実現するプロセスに政府だけでなく多様な社会集団（Major Groups）を参加させる必要がうたわれた。これを受けて国連経済社会理事会に設置された持続可能な発展に関する委員会（CSD）では、NGOなどの非国家的アクターを参加させた対話プロセスが設けられている<sup><a href="#m10">[10]</a></sup>。また、EUは2002年から企業の社会的責任（CSR）に関するマルチステークホルダー・フォーラムを開催して、CSRの指針・政策を議論するコアメンバーとして、経営者団体、ビジネス・ネットワーク、労働組合、各種NGOを招集している<sup><a href="#m11">[11]</a></sup>。09年3月には日本でも、事業者団体、消費者団体、労働組合、金融セクター、NPO・NGO、専門家、行政の各組織・集団からの代表者から構成される「安全・安心で持続可能な未来に向けた社会的責任に関する円卓会議」を内閣府が設立している<sup><a href="#m12">[12]</a></sup>。その他、自治体レベルでも多様な取り組みが為されている<sup><a href="#m13">[13]</a></sup>。
　 MSPでは、意思決定や合意形成に参加するステークホルダーが「対等」な立場で対話することと同時に、共同の「責任」において決定を作成していくべきことが重視される。これはブレアやブッシュらの用法と共通する特徴である。元々「杭」を意味した“stake”には、それによって示される正当な権利や地位といった意味合いが伴うようになり、「承認」や「保障」される対象となった。同時に、それを有するステークホルダーには、相応の「責任」が求められる。日本語の「利害関係者」と大きくニュアンスが異なるのは、この点である。
　加えて、“stake”は利害関係や権利の他に、「賭け事」や「賭け金」の意味も持っていることを押さえておくべきだろう<sup><a href="#m14">[14]</a></sup>。ステークホルダーは、賭けの参加者（プレーヤー）を意味しても使われる。ハットンやブレアが目指していたステークホルダー資本主義ないしステークホルダー経済は、国民全員を包摂して社会に参加させる国家であるとともに、国民一人一人が国家に依存することなく責任をもって主体的に行動する社会システムであった。そこで市民に保障されるステークとは、社会運営というゲームのプレーヤーとしての市民に分配されるゲームの元手、すなわち賭け金を意味している<sup><a href="#m15">[15]</a></sup>。責任の負担は、権利ないし地位の保障に伴う義務としてだけでなく、ゲームに伴うリスクとしても前提される。
　本来の語義を重んじるなら、ステークホルダーは単なる利害関係者ではなく、正当な権利や地位を認められる代わりに決定や集団に対して責任ある参画を果たす、市民社会のプレーヤーであり、公共性の担い手なのである。そしてこうしたステークホルダー像は、既存の決定過程が動揺する中で注目されたステークホルダーには、決定に関与・参加していく上で必然的に要請される責務やリスクがあるという経験的事実とも合致している。社会を構成するプレーヤーとして捉えられたステークホルダーは、「公共化された利害関係者」と言えよう。


<strong>3．ステークホルダーとデモクラシー</strong>

　 MSPの取り組みに見られるように、ステークホルダーにまつわる議論はもはや経営や経済の問題に留まらず、政治制度や社会構成原理としてのデモクラシーの問題となっている。そもそもデモクラシーが「治者と被治者の同一性」を追求するものであり、また同時に何らかの決定を導出する政治体制である以上、ステークホルダーが決定過程に関与すべきなのは当然であるし、決定の有効性を高めようと思えばステークホルダーの包摂が欠かせない。
　近年の日本では利益政治への反発が強く、利害関係者は政治過程を歪めるとの批判が広く共有されている。だが利害関係者とは本来、問題について最も切実な利害関心を持つと同時に、その関心ゆえに問題を詳しく知悉している人々である。したがって、現代のように問題やリスクの専門性が高まるほど、ステークホルダーによる合意形成は重要になる。
　そもそも私たちは、みな何らかの問題についてステークホルダーなのだから、利益政治や利害関係者による政治そのものを否定できないし、否定する必要もない。曖昧で一体性のない「民意」なるものを忖度する政治よりも、多様であるが個別に明確な利害関係者の意思に基づきつつ、個別に合意形成を探りながら問題を解決していく方が、デモクラシーの機能を高めることには役立つだろう。
　このような認識に立つなら、ステークホルダーを中心とする決定を可能にする「ステークホルダー・デモクラシー（利害関係者民主政：SHD）」の実現が目指されることになる。ステークホルダー・デモクラシーとは、治者と被治者の同一性の実現を追求するため、狭義の政治的決定のみならず社会内のあらゆる決定について、当該決定から影響を被り得る全ての利害関係者の参加可能性をできるだけ拡大しようとする民主政モデルである。
　ステークホルダー・デモクラシーの可能性と課題はどこに見出されるだろうか。私たちは社会内の全てのイシューに利害関心を持つわけではないし、利害関心の程度も人それぞれに異なっている。自分が関心を持っていないイシューについては、政治的決定から退出する自由が認められてよいし、より強い関心を持っている人にはより強い政治的影響力が認められてもよいのではないか。人々の利害関心の分布は行政区分やメンバーシップと一致しているわけではないから、イシューごとに異なるステークホルダーたちによる合意形成に基づく決定が為されるなら、既存の境界線を超えた政治が可能になるかもしれない。
　こうした立場は、とりたてて新奇な考え方ではないし、実現不可能な観念的構築物でもない。産業民主主義的伝統を引き継ぎつつ、労働政策の決定過程を労使からの利害関係者代表による交渉に基づかせようとする立場を「ステークホルダー民主主義」として位置付け直そうとする立場は、既に見られる<sup><a href="#m16">[16]</a></sup>。北欧諸国で主に福祉・ケア分野について設けられている、サービス利用者によって構成される委員会の意向を政策決定に反映させる「高齢住民委員会」などの制度や<sup><a href="#m17">[17]</a></sup>、アメリカ各州で行われている電気・電話・ガス・水道などの公益事業に関する政策決定に消費者代表が構成する理事会の意向を反映させる「市民益擁護委員会」制度など<sup><a href="#m18">[18]</a></sup>、公共サービスの利用者が中心となって当該サービスに関する政治的決定を行う「ユーザー・デモクラシー」の取り組みは、既に実践されているステークホルダー・デモクラシーの一例と言えるだろう。
　ステークホルダー・デモクラシーを実現していく際に重要なのは、誰をどのような理由で主要なステークホルダーと見なすのかという「ステークホルダー分析」の問題であり、誰に誰を代表できるのかという「ステークホルダー代表」の問題である。適正な手続きを経て選定された（主要な）ステークホルダーによる合意・決定は、その外部の市民ないし社会全体（主要でないステークホルダー）との均衡において審査されることで、最終的な正統性を獲得することになる。こうしたプロセスを具体的にどう実現することができるかは、今後検討・試行されるべき課題である。
　ステークホルダー・デモクラシーのあり得る形については、交渉や討議の過程で生じる学習効果や選好の変容が生じる可能性を重視して、単純な費用便益分析だけでは決定を導けない多様なリスクを伴う公共的決定をステークホルダーによる「熟議（deliberation）」に基づかせようとする熟議的解釈と <sup><a href="#m19">[19]</a></sup>、利害関係を数量化可能で電子的に処理できるものと捉え、例えば政策課題ごとにその度ごとの電子投票を行うなどして最適な解決を導こうとする数理的解釈との2種類が存在する<sup><a href="#m20">[20]</a></sup>。
　異なる2つの解釈は、社会システム全体に対するステークホルダー（プレーヤー）の包摂・参加への態度における差異に基づいているが、政策課題や局面によって併用が可能であり、相互排他的ではない。どちらの立場も、各個人に正当な権利または地位（賭け金）を認めた上で、その利害を政治的決定へと適切に伝達・反映させる回路を再整備するべきであるとの見解を含んでおり、現在の政治過程が利害伝達回路として十分に機能していないとの認識は共通している。
　投票率の減少や無党派層の増加など、政治的無関心の現われとされる多くの事象は、実際にはフォーマルな政治過程が利害伝達回路として十分に機能せず、市民の政治的有効性感覚が低下していることを大きな要因としている。既に指摘したように、現代では社会に対して大きな影響力を持つ決定主体は政府以外にも存在するが、これらは非政府的主体であるがゆえに民主的統治原理に基づく統制の外に在る。他方、イシューの専門性とリスクの不確実性のためにフォーマルな政治過程が十分な対応を行うことは困難であり、後手に回りがちな政府機能への信頼は減衰するばかりである。決定権力が政治過程から社会の側に移行しているのならば、政治過程に参加することの意味や必要性が乏しいと感じられるのも当然であり、機能しない政治システムへの信頼が先細るのは自然である。
　今や社会内に政治が遍在するゆえに、公共的決定の契機もフォーマルな政治過程から社会一般に拡大・拡散しており、それゆえに公共化された利害関係者としてのステークホルダーによる合意・決定が不可欠になっている。政治全体の有効性感覚を回復させるためには、多面的な分野でステークホルダーの決定への参与可能性を高めなければならない。社会内部の多元的な決定契機への参加プロセスは、そのまま個人を社会へと結び付ける多元的な回路ともなるだろう。
　それら個々の領域・イシューにおける決定プロセスを正統なものにする共通の原理として、今こそデモクラシーが必要とされている。未来の政治が、すなわち公共的決定のプロセスが具体的にどのような形態になるのかは、ステークホルダーとしての私たちが、社会に対してどう関与・参画しようとするかの選択に拠っている。民主政モデルとしてのステークホルダー・デモクラシーは、それが私たち自身をステークホルダーとして捉え直すことを通じて、私たちの政治への関わり方を、あるいはデモクラシーの在り方そのものを捉え直すために用いられてこそ、その可能性を現わすのである。



<small><sup id="m1">[1]</sup> 日本では、経済同友会が企業の社会的責任（CSR）への取り組みを本格化させた2000年以降、CSRの考え方と同時にステークホルダーの語が飛躍的に普及した。
<sup id="m2">[2]</sup>　小堀眞裕「第三の道か、サッチャリズムMark2か、それともステイクホルダー資本主義か？――ブレア政治をめぐる議論の整理のために」『政策科学』第11号第3巻、2004年。
<sup id="m3">[3]</sup> 藤森克彦「英国の年金改正の動向」『DIO』第171号、2003年。
<sup id="m4">[4]</sup> “President Bush and President Hu of People’s Republic of China Participate in Arrival Ceremony”, Presidential News&Speeches, April 20, 2006, The White House.
<a href="http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2006/04/20060420.html">http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2006/04/20060420.html</a>
<sup id="m5">[5]</sup> ステークホルダーの語源や語義については、水村典弘『現代企業とステークホルダー――ステークホルダー型企業モデルの新構想』（文眞堂、2004年）を参照されたい。
<sup id="m6">[6]</sup> R.E.Freeman, Strategic Management: A Stakeholder Approach, Pitman, 1984, p.46.
<sup id="m7">[7]</sup> ステークホルダー理論の起源と展開については、水村典弘『ビジネスと倫理――ステークホルダー・マネージメントと価値創造』（文眞堂、2008年）が詳しい。
<sup id="m8">[8]</sup> 以下を参照。谷本寛治『CSR――企業と社会を考える』（NTT出版、2006年）。中山竜一「リスク社会における公共性」飯田隆ほか編『岩波講座 哲学10 社会／公共性の哲学』（岩波書店、2009年）。
<sup id="m9">[9]</sup> 佐藤正弘「新時代のマルチステークホルダー・プロセスとソーシャル・イノベーション」『季刊 政策・経営研究』2010 Vol.3（通巻第15号）。
<sup id="m10">[10]</sup> <a href="http://www.un.org/esa/dsd/csd/csd_aboucsd.shtml">http://www.un.org/esa/dsd/csd/csd_aboucsd.shtml</a>
<sup id="m11">[11]</sup> <a href="http://circa.europa.eu/irc/empl/csr_eu_multi_stakeholder_forum/info/data/en/csr%20ems%20forum.htm">http://circa.europa.eu/irc/empl/csr_eu_multi_stakeholder_forum/info/data/en/csr%20ems%20forum.htm</a>
<sup id="m12">[12]</sup> <a href="http://sustainability.go.jp/forum/">http://sustainability.go.jp/forum/</a>
<sup id="m13">[13]</sup> <a href="http://www.sustainability.go.jp/projects/index.html">http://www.sustainability.go.jp/projects/index.html</a>
<sup id="m14">[14]</sup> 移民たちが杭の上で賭けに興じたことからこの意味があるとされる。競馬を知る読者は、「ステークス」を想起されたい。
<sup id="m15">[15]</sup> 「賭け金」としてのステークを保障する観点からは、全市民に無条件で一定額を給付するベーシック・インカムや、同様に一定額を貸与するベーシック・キャピタルが（選択肢の一つとして）正当化され得る。ブルース・アッカーマンは、成人時に一律8万ドルを給付して死後全額払い戻させる「ステークホルダー・グラント」を提唱している。以下を参照。齋藤拓「ベーシックインカムとベーシックキャピタル」『Core Ethics』第2号、2006年。Bruce Ackerman and Anne Alstott, The Stakeholder Society, Yale University Press, 1999.
<sup id="m16">[16]</sup> 濱口桂一郎『新しい労働社会――雇用システムの再構築へ』（岩波書店、2009年）。
<sup id="m17">[17]</sup> 特にデンマークの事例について、朝野賢司ほか『デンマークのユーザー・デモクラシー』（新評論、2005年）を参照。
<sup id="m18">[18]</sup> 篠原一「ネオ・コーポラティズムの理論と現実」『歴史政治学とデモクラシー』（岩波書店、2007年）、167頁。
<sup id="m19">[19]</sup> 松尾隆佑『利害関係理論の基礎――利害関係概念の再構成と利害関係の機能についての理論的考察』（2007年度一橋大学大学院社会学研究科修士論文、2008年1月提出）、補論。
<a href="https://sites.google.com/site/politicaltheoryofegoism/works">https://sites.google.com/site/politicaltheoryofegoism/works</a>
<sup id="m20">[20]</sup> 以下などを参照。東浩紀「一般意志2.0 (4) 政治とはなにか」『本』第35巻第3号（通巻404号）、2010年3月。東浩紀「一般意志2.0 (6) 政府2.0」『本』第35巻第6号（通巻407号）、2010年6月。鈴木健「社会システム2.0――なめらかな社会とその敵」（第2回VCASIブレインストーミングセッション、日本財団ビル3階A会議室、2010年4月12日）。
<a href="http://www.vcasi.org/node/640">http://www.vcasi.org/node/640</a></small>

プロフィール
1983年、青森県生まれ。青森県立八戸高等学校、一橋大学社会学部を経て、2008年3月に一橋大学大学院社会学研究科修士課程を修了（社会学修士）。塾講師。専門は政治学・政治理論。主な研究テーマは、（1）マックス・シュティルナーの政治思想、（2）利害関係者民主政（stakeholder democracy）など。論文に、「エゴイズムの思想的定位――シュティルナー像の再検討」（『情況』2010年3月号）など。ホームページは<a href="https://sites.google.com/site/politicaltheoryofegoism/">https://sites.google.com/site/politicaltheoryofegoism/。</a>

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   <title>「地域での制度改革をめざして〜多摩ニュータウンでの取り組み〜」 多摩ニュータウン最初の開発地区、諏訪永山地区の再編提案</title>
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   <published>2010-09-22T07:52:38Z</published>
   <updated>2010-09-27T05:43:28Z</updated>
   
   <summary>Tweet 秋元孝夫 （一級建築士・(有)秋元建築研究所 代表取締役、特定非営利...</summary>
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      <![CDATA[<div align="right"><a href="http://twitter.com/share" class="twitter-share-button" data-url="http://www.policyspace.com/2010/09/post_734.php" data-text="秋元孝夫『地域での制度改革をめざして〜多摩ニュータウンでの取り組み〜』を掲載しました。 #policyspace" data-count="horizontal" data-lang="ja">Tweet</a><script type="text/javascript" src="http://platform.twitter.com/widgets.js"></script></div>

秋元孝夫
（一級建築士・(有)秋元建築研究所 代表取締役、特定非営利活動法人多摩ニュータウン･まちづくり専門家会議 理事長一般社団法人 多摩地域あんしんセンター 代表理事）

　諏訪永山地区は多摩ニュータウン開発初期に集中的に整備された地区であり、スーパーブロックによる大規模区画に対して同一制度により小面積住戸が大量供給されたことが起因して、多くのまちづくり上の課題が山積している。こうした状況を鑑みて“団地再生”が必要な団地群として国も地域も着目し生活支援などの施策を重ねている。すでに分譲団地の諏訪二丁目住宅では公的な支援を受けて建替事業を推進させており、住まい手が責任を持って全面建替を実現させるべく努力を重ねている。しかし、賃貸住宅団地では「住まう側」からの意見はなく、団地再編すべき地区であるにもかかわらず、その展開は見えない。
]]>
      <![CDATA[　とはいえ、高齢化や商店街の衰退、住宅性能の陳腐化など現状を勘案すればするほど置かれている状況が温存できないものと思われ、状態がさらに悪化する前に根本的な手だてを加える必要がある。そこで、本提案について多くの関係者との議論を重ね、具体的な施策として実現する為の環境作りを進めたいと考えている。まずは関係者に本提案を受け止めていただき、実現に向けた協議を進めることを希望する。

<strong>１．諏訪永山地区の現実</strong>
　言うまでもなく戦後の大都市集中に対する住宅不足解消を目的として開発することになった多摩ニュータウンであるから、開発初期から大量供給を前提として膨大な戸数を集中して供給することから始まった。時代は１９７３年のオイルショック前、計画面積３０平方キロの内、最初に開発するべく１平方キロ余りの地区に集中的に資金を投入し、最低限の面積の住宅を大量に供給した。それが諏訪・永山地区に象徴的に出現している高齢化と陳腐化の現実である。

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　一時期に集中して供給された集合住宅はオイルショックまでの３年間に約８千５百戸余りが多摩市に整備され、その内の約４分の３が諏訪・永山地区に建設された。住戸規模は３０u台から５０u台で小規模であり、間取りも成長する家族が住み続けるには面積的にも機能的にも不十分であった。従って供給されたストックは必ずしも多様な世帯を受け入れることができず、実態としては家賃の安さが優先され、高齢者が集中してしまう構図となってしまった。中でも高齢者にとっては都営住宅は魅力的で、エレベーターの設置されている住棟では生涯居住が可能な住まいとして重宝がられる結果となっている。住戸は狭くても低家賃で住み続けることが可能であることから、必然的に高齢者が集中することになる。実態としても諏訪永山地区には単身高齢者が集積しており、安さと永住できる安心から、その環境に対する不満は顕在化しにくい。これでは世代の循環する持続可能なコミュニティは形成されない。

<a href="http://www.policyspace.com/akimoto2.php" onclick="window.open('http://www.policyspace.com/akimoto2.php','popup','width=250,height=315,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.policyspace.com/akimoto2-thumb.JPG" width="250" height="315" alt="" /></a>



<strong>２．公的賃貸住宅の罪と罰</strong>
　年金生活の高齢者世帯が入居する場合、都市機構の賃貸住宅と都営住宅との家賃格差を同一面積住戸で比較すると、35u台の機構家賃が4.5万円とすると都営住宅は概ね１万円以下になると思われ、その差は3.5万円である。建物の仕様は同様であることから、都営住宅に入居できた場合は家賃の差額分が生活費として利用できることになる。そこで都市機構の賃貸住宅に居住している世帯から都営住宅に移りたいという希望が生まれる。これは賃貸人としては正直な意識であり、年金生活の高齢者等には決して矛盾を感じる隙間などない希望であり救いなのである。従って都営住宅は常に満杯であり、空き住戸が生まれると高齢者が応募に集中する。

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　平成20年の機構住宅の家賃上昇は据え置かれたが市場家賃をベースに家賃設定される機構賃貸と、貯蓄の多寡には関係なく所得がなければ家賃も下がる仕組みの公営住宅とでは家賃格差は歴然としていて、その二つの団地が隣接している諏訪・永山地区での矛盾は抗しきれない地域の課題として根強く存在していている。こういう状況に対して改善の方法はどうあるべきなのか、居住者だけでは解決しない事柄であり、行政的な施策が加わらない限り改善の余地はない。
　この状況を平成12年と17年の国勢調査データで比較してみると明らかで、都営住宅では単身者の入居が可能になる60歳以降で高齢者の人口が急増しており、団地外から転入していることがわかる。これらの転入者は隣接の機構賃貸に居住する高齢者の転居希望もあるが、実態は都内各所から低家賃を求めて集まっている。つまり都内からの“姥捨て山”と化している。同様に機構賃貸住宅についても高齢者が増加しており、65歳を越えた居住者の転入があり人口増加が見られる。この現象については地域に居住する親族が機構賃貸に呼び寄せている結果ではないかと推測できる。中でも都市機構が積極的に推進している既存住宅の高齢者優良賃貸住宅改善事業は、結果として高齢者の呼び込みに寄与しているという、皮肉な結果を生んでいる。

<a href="http://www.policyspace.com/%96%B3%91%E81.php" onclick="window.open('http://www.policyspace.com/%96%B3%91%E81.php','popup','width=704,height=428,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.policyspace.com/%96%B3%91%E8-thumb.JPG" width="500" height="303" alt="" /></a>

<strong>３．地域の高齢者居住支援活動</strong>
　こうした環境の中では商店街も疲弊して活力を失っている。商店街は開発当時の役割を終え、新たな役割を模索しながらも活力を失いつつあることから、近隣の大学やまちづくりＮＰＯなどが地域に入って活動を始めている。筆者の関わる「多摩ニュータウン・まちづくり専門家会議(たま・まちせん)」でも2007年12月から空き店舗を借り受け、地域の活性化に寄与できるよう活動の場を運営してきた。しかし、こうした活動には限界があると感じている。実態として、若い世代を追い立てて、そこに高齢者を呼び集めてしまう仕組みが、基本的に地域活性化の動きに水を差す結果となっている。
　確かに商店街のイベントなどを行うと、どこから沸いてくるのか子供達も多く集まる。今年も七夕イベントに都の商店街活性化の補助金を活用してビンゴ大会を開催したが、その景品目当てに商店街およびイベント会場に世代を越えて人は集まった。しかし、これは一時的な現象であり日常的な購買行動を約束したものではない。総じて購買意欲の高い家族世帯が減少している現状の中では、一時的なイベントでは地域は活性化しない。永山商店街で努力している「福祉亭」がある。地域に居住する高齢者等に低価格で食事を提供し、高齢者の居場所を確保しているＮＰＯ活動である。とりわけ単身高齢者の集まる環境の中では生活支援として重要な活動ではあるが、従業員はボランティアで運営していてはじめて成り立つ事業であり、必要性が増すからといって経営的には拡大できない事業でもある。
　こうした活動は美談ではあっても持続する社会システムとはなり得ない。構造的に高齢者を呼び込む地域では活性化策も金をドブに捨てるようなもので、根本的な仕組みを改善しなければこの状況を抜け出すことはできないと考えている。国は諏訪・永山地区にさらに高齢者支援資金を集中的に投入しようとしている。全国で発生している団地の高齢化に対してモデル的な事業としての活路を見いだそうとしているようにも思うが、根底に横たわる諸悪の根元を根絶しなければ解決できないことを解っていただきたい。
　このように諏訪・永山地区の問題を考えてくると、決して“住まう側”が主体となった地域活動の活性化対策だけでは解決しない問題が横たわっていることに気づく。それは高齢化の問題ではなく、そもそもの住宅ストックに多様なライフステージで若者や子育て世代が居住できる環境がないことに突き当たる。団地というコミュニティが子育て世帯の住まいとして作られた歴史はあるものの、当時の居住水準からはるかに向上した今、既存ストックは単身か二人用の住宅としてしか利用できない狭い住宅である。また親族以外の同居世帯や学生などの共同居住には門戸が開かれていないことから、必然的に親族を前提とした家族に限定されることになる。これでは現代の多様なライフスタイルに対応できず、近隣に大学が多くあるにもかかわらず、学生が居住する住まいもない。
　時代の居住ニーズは変化しているにも関わらず、供給側の視点は40年前の核家族中心の建物利用という考え方を変えていない。しかも既存のストックはそのままの状況で温存されており、２住戸を１住戸に拡大するなどの新たな居住ニーズに対応した改善の施策さえ生まれない現状は、都営住宅や機構住宅の管理者には地域コミュニティの崩壊が見えない状況にあるのではないかと思われる。
　経済不況の中、都営住宅の空き住戸はほとんどなく、機構の賃貸住宅についても階段タイプの上層階や増築した比較的家賃の高い住戸には空きが見られるものの全体としては少なく、賃貸住宅経営者としては入居者のいる限り、保有する住戸に対する改善施策は全く思いつかないのが現状であろう。ましてや大規模住宅を管理する東京都や都市機構にとって限定的な諏訪・永山地区の住宅ストックについて特別な施策を講じることはありえないことで、放置しておいても十分な家賃が入る賃貸団地が地域コミュニティに陰を落としている現実など気にかけることもできないのが実態であろう。

<strong>４．求められる官民共同の取り組み</strong>
　“団地再編”を“住まう側”から求める機運は、居住者がいかに自分たちの立場を客観的に理解するかにあるが、現実的には居住者個々の声が既存の公的賃貸住宅制度の改革につながるものではない。むしろ居住者の取り組みは、家賃減額希望など現状の置かれた環境を住みやすくするためのけなげな努力であり、構造的な不幸を解決する手段にはなり得ないことを公共が理解して、“住まう側”と協働して取り組むべき課題である。
　賃貸住宅の居住者は基本的に受け身であり、主体にはなり得ない位置にある。それを理解した上で、“大家”である東京都や都市機構が主体的に環境改善を考えなければ地域の課題解決にはなり得ない。しかし、繰り返しになるが、東京都や都市機構が、その管理する団地の部分である諏訪・永山地区の問題に主体的な立場で積極的に課題解決に臨むことは難しい。そこで、その問題を地域の課題としてとらえるために、行政としての多摩市の役割が欠かせない。
　言い換えれば、これは純粋に行政課題である。単一行政が捉えるには東京都や都市機構を巻き込むことになり、行政にとっては言い出しっぺとしての責任を取ることになるという意味で、なかなか重い腰が上がらないのが本音であろう。しかし、このまま放置しておくこともできないとすれば、やはり主体的に動き、その議論の場を作ることが必要になる。とはいえ問題意識を保ちつつ、継続的にその場を運営することは難しい。そこで“団地再編”の支援組織を作り、官民協働で継続的に運営可能な事務局を形成し、その組織を支える環境を整える必要がある。
　まずは、多摩市(行政)と東京都(都営住宅管理者)、そして都市機構(ＵＲ賃貸管理者)さらに分譲団地管理組合の団体を集合した“(仮)諏訪・永山地区住まい運営委員会”を結成して、地区内の課題の共有と改善手法の検討を重ねることになる。現在、諏訪・永山地区で顕在化している問題や課題は段階的に多摩ニュータウン全域に及んでいく問題でもあり、組織化の展開は多摩市のみならず、八王子市、稲城市、町田市を巻き込んだ組織として機能していくことが想定される。将来的にはこうした図式で展開されるものだと考えて進めることにはなるが、まずは諏訪・永山地区の問題解決の場として“(仮)諏訪・永山地区住まい運営委員会”の形成を目指すことになる。行政の役割として、それが初めの一歩である。

<a href="http://www.policyspace.com/akimoto5.php" onclick="window.open('http://www.policyspace.com/akimoto5.php','popup','width=622,height=379,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.policyspace.com/akimoto5-thumb.JPG" width="300" height="182" alt="" /></a>

<small><sup id="m1">(1)</sup>本稿の骨子はＣＥＬ88号（大阪ガス エネルギー・文化研究所、2009年）に掲載した内容を更新し精査したものである。</small>

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   <title>地域を滅ぼすシンクタンクの活動</title>
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   <published>2010-09-16T04:53:39Z</published>
   <updated>2010-09-27T04:34:45Z</updated>
   
   <summary>　Tweet 牧瀬稔（財団法人地域開発研究所研究部研究員　） ◇シンクタンクの存...</summary>
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      <![CDATA[<div align="right"><a href="http://www.policyspace.com/makise201009.pdf"><img alt="pdficon_small.gif" src="http://www.policyspace.com/pdficon_small.gif" width="17" height="17" /></a>　<a href="http://twitter.com/share" class="twitter-share-button" data-url="http://www.policyspace.com/2010/09/post_735.php" data-text="牧瀬稔『地域を滅ぼすシンクタンクの活動』を掲載しました。 #policyspace" data-count="horizontal" data-lang="ja">Tweet</a><script type="text/javascript" src="http://platform.twitter.com/widgets.js"></script></div>


牧瀬稔（財団法人地域開発研究所研究部研究員　）

◇シンクタンクの存在意義とは何だろうか

　今日では、様々な主体が地域再生に取り組みつつある。着実に成果を出している地域がある一方で、なかなか成功の軌道に乗らない地域もある。地域を活性化し、注目を集めている事例を抽出すると、小布施町（長野県）や大分県の由布市（湯布院町）、境港市（鳥取県）などが思い浮かぶが、少ない現状がある。あるいは、一定の成果が結実しても、それは一時的な成果に終始し、気がつくと再び地域が披露している状態に戻っていることが少なくない。つまり、持続可能な地域再生になっていないのである。
]]>
      <![CDATA[　地域再生を阻害する要因は、多方面から検討できる。その中で、シンクタンクの存在も地域の活力を抑圧する一つの要因となっているのではなかろうか。
　今日、地域再生におけるシンクタンクの功罪は多く語られる。その中で、「功」よりも「罪」のほうが多いような気がする。本稿において、シンクタンクを否定的な視点で捉えることにより、シンクタンクの存在意義を導出したい。自省も込めて、本稿では地域再生におけるシンクタンクの役割や機能について考えたい。

◇シンクタンクが地域再生をダメにする

　一般的にシンクタンクとは、「頭脳集団」と称される。またシンクタンクの活動は、社会や地域が抱える様々な問題を調査・研究し、具体的な解決策を提案することである。例えば『大辞泉』によると、「種々の分野の専門家を集め、国の政策決定や企業戦略の基礎研究、コンサルティングサービス、システム開発などを行う組織」と定義されている。そのほかにも、様々な学識者や報告書などが「シンクタンク」を定義している（詳細は、次の文献を参照されたい。<a href="http://amzn.to/9YDFZW">牧瀬稔『政策形成の戦略と展開〜自治体シンクタンク序説』（2009年）東京法令出版</a>。
　ここではシンクタンクの定義を簡単に、「地域振興や地域活性化など地域政策のための調査・研究などを行う機関」とする。有名な機関として、三菱UFJリサーチ＆コンサルティング株式会社や株式会社日本総合研究所などがある。
　1960年代頃から、シンクタンクは地域振興や地域再生を手掛ける機関として、存在意義を見出してきた。シンクタンクは、客観的に地域の実情を把握し、適切な方向性を提案してくれるなどのメリットがある。それなりの意義も見いだせるが、昨今では、全体的には地域再生においてはマイナス要因として働いているような気がしてならない。
　一般的に、既存の多くのシンクタンクは地域の課題や問題点を解決するための調査・研究をして、報告書をだすことに主眼が置かれている場合が多い。しかしながら、地域再生で重要なのは、報告書で提言した内容を実施し実現していくことである。ところが、ほとんどのシンクタンクは地域再生を推進していく主体となることはない。
　もちろん、シンクタンク側に立てば、事業の主体になれない事情もある。そもそもシンクタンクが提案した内容を行政において、首長や理事者などの政策決定者が取捨選択し、選ばれた提案を自治体職員が実施していくことが、普通に想定される姿である。つまり、しばしば指摘されることであるが、「本来、地域再生は、その地域の関係者が主体的になって進めていくべきもの」ということがあげられる。しかし、この発言は建前であり、本音では、シンクタンクが報告書で提案した事業の実施までを担当すると「割に合わない」のである。
　また、シンクタンクに勤務する研究員にとって、地域再生のための調査・研究だけではなく、事業まで実施することは、極めて体力のいることである。その地域に入り込まなくてはいけない。筆者は、半月以上を地域に入り込むことが少なくない。心身ともに疲れてしまうこともある。そして同時にお金（費用）もかかる。筆者が所属するシンクタンクにおいては、かつて何度か調査・研究に加え、そこで提案した事業の実施まで行ったが、結果的に経費率が８割強に達してしまったこともある。これは人件費を除いての経費率であるため、実質は赤字を意味する。
　このような理由から、多くのシンクタンクは調査・研究だけに終始し、提案した内容には責任を持たないことが少なくない（制度的に責任を持てないということもある）。そして責任を持たないということを前提として、シンクタンクが当該地域に入ることは、単に地域をかき乱しただけに終始してしまう。このようなシンクタンクの行動が地域再生を成功に導くとは思えない。結局は、シンクタンクは地域再生の一つの障害となっている現実がある。

◇画一的な地域再生に寄与するシンクタンク

　真贋は定かではないが、シンクタンク業界でしばしば指摘されていることがある。それはシンクタンクが提示する報告書は、地方自治体名を変えることにより、どの地方自治体でも流用できてしまうという噂である。例えば「相模原市における地域活性化に関する方向性に関する調査」という報告書があったとする。この報告書は相模原市に向けた内容であるが、この「相模原市」を「横須賀市」に置換するだけで、横須賀市を対象とした報告書を新たにつくりあげてしまうという事実である。このことは、シンクタンク業界においてまとこしやかに囁かれている。
　なお、このふざけた行為を許してしまう一つの原因は、地方自治体にも責任がある。それぞれの地方自治体が特徴的な行政運営を実施していれば、ここで指摘したシンクタンクのふざけた行為は防げるはずである。しかしながら、実際はどの地方自治体も画一的な行政運営をしている現状がある。一例として、地方自治体が掲げる基本構想の理念は、どの地方自治体でも当てはまるスローガンでまとめられている。もっと特徴的なスローガンがあってもよいと思う。このような事情が、シンクタンクのふざけた行為を許容させる一つの要因ともなっている。
　話は戻るが、確かにシンクタンクが上記の手法を採用する気持ちも分からないでもない。なぜならば、シンクタンクも民間企業であり、同じ報告書を少し変えて流用したほうが効率もよく、利益も拡大するからである。民間企業であるからには、利潤最大化を目的であるため、効率よく進めようというインセンティブが強く働く。しかしこの手法を採用すると、それはシンクタンクが意図的につくりあげた画一的な地域の誕生であり、地域再生を妨げる要因ともなる。
　本当に地域を活性化させていく気概があるのならば、シンクタンクの研究員は、その地域に入り込まなくてはいけない。そして単に表面的に調査・研究をするだけではなく、実際に現場に深く入り込み具体的な事業も実施していかなくてはいけないだろう。特に事業を実施していく過程では、地元住民との衝突も予測される。また研究員が第三者として、地方自治体と地元住民の間に入り合意形成していく役割も求められる。これは実に嫌な役回りである。心身ともに疲れてしまう。しかし実際に現場に入り込み、地域再生していく過程に重きをおいた調査・研究と実践の両輪を繰り広げていくことにより、その地域だけの独自性を備えた地域が創造されていくものである。これは筆者の経験から指摘できる史実である。
　地域に入り込み、地域とともに研究員も汗を流していく重要性は、シンクタンクに勤務する研究員は認識していると思われる。しかしこのような取組みは、民間企業であるシンクタンクにとっては、自らの首を絞めることにつながってしまう。研究員が地域に入り込めば入り込むほど、費用がかかるため、民間企業としてのシンクタンクの財政事情が逼迫しかねない。つまり、「地域は潤い、シンクタンクは倒産する」という状況になりかねない。

◇本当は地域に入り込みたい。けど・・・

　シンクタンクに勤務する個々の研究員は、地域の中に入り込み、地域再生に向けて全力を注ぎ込んでいく意向はある。しかしながら、シンクタンク研究員も民間企業の勤務する一人のサラリーマンである。サラリーマンという立場で考えると、身銭を切ってまで、地域の活性化に全力を注ぐという行動はなかなか出来ない。そして結果として、民間企業としてのシンクタンクの効率性や採算性を考えてしまう傾向がある。この後者の民間企業としてのシンクタンクの行動が結果として、地域再生を導出させることなく、単に地域をかき乱しただけに終始し、地域をダメにしてしまう原因と考えられる。
　本稿は、問題提起を込めて、地域再生におけるシンクタンクの罪について言及してみた。筆者はシンクタンクに勤務して10年以上が経過した。その経緯の中で、日ごろ抱いている感想を記してみた。なお、地域再生を阻害する要因として、お上から（国主導）の地域再生にも原因があると考える。また、ある意味、無責任とも言える地方自治体の地域再生の取り組みも指摘できる。これらの点については、機会ある時に言及したい。 <sup><a href="#m1">（1）</a></sup>。


<small><sup id="m1">(1)</sup>本稿は筆者が共著の一人に連ねている<a href="http://amzn.to/cfpYGT
">『地域再生のヒント』（日本経済評論社）</a>における原稿の一部を抜粋したものである。</small>


プロフィール
法政大学大学院博士課程人間社会研究科修了。博士（人間福祉）。横須賀市都市政策研究所、（財）日本都市センター研究室を経て（財）地域開発研究所研究部勤務。法政大学社会学部・現代福祉学部兼任講師、法政大学大学院政策科学研究科兼任講師、東京農業大学国際食料情報学部非常勤講師を兼ねる。主な著書に、<a href="http://amzn.to/aYW8GQ">『条例で学ぶ政策づくり入門』（2009年・単著）</a>、<a href="http://amzn.to/9YDFZW">『政策形成の戦略と展開〜自治体シンクタンク序説』（2009年・単著）</a>など多数。公的活動としては、内閣府「『家族・地域のきずな』の取り組みに関する研究会」委員、横須賀市「（仮称）市民安全条例検討委員会」委員（副委員長）、新宿自治創造研究所政策形成アドバイザー、戸田市政策研究所政策形成アドバイザー、（社）日本経営協会「自治体総合フェア企画委員会」委員など多数

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