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      <title>政策空間</title>
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      <description>『政策空間』は、政策に関するさまざまな論点や視点を提供する政策ジャーナルです。</description>
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         <title>小児治療危機を糺せ</title>
         <description><![CDATA[間中健介（特定非営利活動法人 政策過程研究機構　理事）

<strong>小児ガンは死因の第2位</strong>
　まずは下表を見ていただきたい。

年齢階層別死亡数（2006年）
<img alt="vol51manaka1.png" src="http://www.policyspace.com/vol51manaka1.png" width="480" height="227" />
厚生労働省人口動態統計より筆者作成

日本人の死因の第1位はガンであるが、15歳未満においても、ガンは死因の第2位である。もっとも、「不慮の事故」は病気ではないため、「病気」の死因でみればガンが1位である。

特定非営利活動法人小児がん治療開発サポート（SUCCESS）によると、小児ガンの年間診断登録数は2,998件で、治療中の患者数は「小児悪性腫瘍登録人数」から19,124人とされる（いずれも平成15年度値）。発症後の生存率はガンの種類によって異なるが、15歳-19歳未満までを含めると、毎日約800-900人の未成年者が、ガンによって命を終えているとされている（財団法人がんの子供を守る会より）。
日本全国のガン患者総数は140万人強なので、小児ガン患者はそのなかの1％強を占めるに過ぎないが、人間の成育に最も影響が大きい時期に闘病生活を送ること、（俗に“キャリーオーバー”と言われる）治癒後も体の変調に悩まされながら人生を送る人が少なくないことからも、“成人のガン対策の一部”として扱うことはできない。患者の両親も若くて働き盛りである場合が多く、両親自体のキャリア形成にも重大な影響をもたらすという側面も見逃せない。

病理的にみても、小児ガンは成人のガンと異なる。成人のガンの8割は胃ガンや肺ガンなど臓器のガンであるが、小児ガンの大半は「肉腫」である。小児や思春期のガンは白血病が全体の約30%と最も多く、次いで脳腫瘍や神経芽腫、リンパ腫が続く。

<img alt="vol51manaka2.png" src="http://www.policyspace.com/vol51manaka2.png" width="502" height="177" />

これだけ見ても、成人のガンとはまったく別のアプローチが必要なことがわかるが、治療開発、提供体制とも現状では十分でない。

<strong>小児ガンは治っていない！</strong>
小児ガン医療は、患者とその家族、支援者たちの努力もあって、緩やかながらも進歩しつつある。5年生存率も60〜70%と、不治の病とされた一昔前と比較して、改善に向かってはいる。

だからこそ、医学の進歩をさらに行き届かせ、より多くの子どもたちを救わなければならない。米国での5年生存率は80%とされていることからも、まだまだ助かるべき子どもの命が失われていると言わざるを得ない。
　
<strong>小児ガン専門医の不在</strong>
　周知のとおり小児医療の現場では医師不足が深刻だが、小児ガンではさらに深刻である。

　現在、国立高度専門医療センター（通称：ナショナルセンター）の国立がんセンターと国立成育医療センターに所属する小児ガン専門医は、レジデントを含めても合計7-8名程度。また、全国の公立医療機関に所属する小児がん専門医は、各地で小児がんを扱う診療科を閉鎖する動きもあり、わずか10名ほどというありさまだ。国立がんセンターについては、東京都中央区の中央病院には小児科があるが、千葉県柏市の東病院には小児科がない。

　現場では1人の医師が10人以上の小児・思春期がん入院患者を診ながら外来も担当するという激務を強いられており、これではすべての患者に対し機動的で充実した治療は提供され得ない。

　2006年に成立した「がん対策基本法」のもと、立ち遅れている放射線療法・化学療法の推進と専門医の育成に舵を切ったガン医療だが、小児ガン分野では大きな取り組みは見られていない。

<strong>単発的、限定的な臨床研究</strong>
部位によっては患者数が年間数人という小児ガンにおいては、製薬会社が俗に「10年200億円」ともいわれる負担を投じて新薬の治験を進める環境は望めない。小児ガンの治療開発においては、既存の薬や治療法を活用した臨床試験の推進が欠かせず、米国においても臨床試験の継続を通して治療成績が向上していった。

臨床試験を推進する上で、まず重要となる主体は厚生労働省、医師や医療機関の研究グループ、学会である。だが、ここでも米国との歴然とした差がある。

米国とカナダの医療機関が参加する小児ガン臨床研究グループChildren’s Oncology Group （COG）では、すべての小児ガン種をカバーし、包括的な治療開発体制を確立している。このための予算にはNational Childhood Cancer Foundation （NCCF）の年間予算5,400万USドル（Fiscal Year 2007）などが活用されている。NCCFの収入の約8割（約4,100万USドル）は連邦政府の拠出で、残り約2割（約1,000万USドル）は企業や個人からの寄付金や拠出金である。この予算を活用することで年間130の臨床研究が進められている。

一方、日本では、330億円ほどの厚生労働科学研究費のうち、小児ガン関連研究に当てられているのはわずか2億円ほど。これが毎年2つか3つの臨床研究班に投じられているに過ぎない。規模的に限定されていることに加え、1課題1研究という性質上、疾患をまたぐ横断的研究が進められない。

<strong>進まない症例蓄積とノウハウ共有</strong>
希少疾患だからこそ、全国規模で症例を蓄積し、EBM（Evidence Based Medicine: 最良の根拠に基づいた治療）を推進しなければならない。だが、学会、研究者グループが疾患の特徴ごとや、医師の属人的関係に基づいて別々に活動し、限られた資源の獲得合戦をしている現状では、研究資源と成果の共有には遠い状況だ。米国でCOGなどが中核となって症例データベースが整備され、IDとパスワードを入力すれば各地の医師が膨大なデータにアクセスできる状況とは雲泥の差がある。

<strong>10年後の治療危機を防ぐために</strong>
何人かの小児科医が「このままでは10年後には、日本で小児の難病を治療できなくなる」とコメントしている。医師不足はいつになったら解決するのか？　いつになったら患者に新しい治療法を提供できるのか？　突然、自分が診たことのない疾患の患者が現れたとき、アクセスし得るデータベースは整備されているか…。　

治療開発の局面では、関係主体ごとの縦割り構造が臨床試験推進、標準治療の確立を妨げており、有限なリソースを浪費させている。国による現状変革への取り組みも緩い。そうこうしているうちに、現場の医師と患者に苦労が押し付けられている。

縦割りは子どもたちには何の関係もない。治療の提供と開発に関わる主体の、一丸となった取り組みが求められる。

<strong>＜参考資料等＞</strong>
・厚生労働省　平成17年度患者調査
・「小児がん医療の問題点」麦島秀雄　2006年12月20日「がん対策の推進に関する意見交換会」資料
・CureSearch, National Childhood Cancer Foundation, Children’s Oncology Group,  Annual Report 2007


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         <link>http://www.policyspace.com/2008/06/post_701.php</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">MANAKA, Kensuke: 間中健介</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">volume 51</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">厚生労働</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 14 Jun 2008 14:55:59 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>学童保育のあり方を考える</title>
         <description><![CDATA[「小１の壁」解消に向けて
◎株式会社アセンディア　コンサルティング事業部　小島卓弥

<strong>はじめに</strong>
　「小１の壁」と言う言葉をご存じだろうか？働く女性の子育てにおいて、小学校入学前までは育児休暇や勤務時間の短縮、保育園の延長預かりなどのサポートにより比較的働きやすい環境が整えられつつあるものの、小学校に上がったとたんそれらのサポートが受けられなくなり、結果として仕事を辞めざるを得なくなるケースが社会問題となっている。

　これらを支援する為「学童保育」が自治体を中心に提供されているが、「小１の壁」を回避する為のニーズに充分対応できているとは言い難い。そこで、学童保育の現状を整理すると共に「小１の壁」を乗り越えるために必要な学童保育改革に関して考察していきたい。

<strong>学童保育とは何か？</strong>
　学童保育とは児童福祉法に基づき「保護者が労働等により昼間家庭にいない小学校に就学している概ね10歳未満の児童に対し、授業の終了後に児童館等を利用して適切な遊び及び生活の場を与えて、その健全な育成を図るもの」と定義されている（注1）。

　全国16,685か所（公営7,409か所、民営9,276か所）でサービスが提供されている。登録児童数は少子化の中、学童保育の登録児童数は一貫して増加傾向にあり、平成13年度の452,135名（注2）から平成18年度には749,478人に上っている（注3）。

　これは、女性の社会進出や核家族化の進展に伴い、所謂「カギっ子」が増加しつつある事の裏返しである。現状では既に「学童保育の待機児童」までが顕在化しつつあり、ニーズは今後更に高まることが予想される。

<strong>現状の学童保育の課題</strong>
　この様に、学童保育が小学校就学以降の児童の放課後をサポートしていながら何故「小１の壁」が問題化するのだろうか？その最大の要因は学童保育施設の提供終了時間だろう。学童保育施設は季節変動があるものの概ね14~15時にスタートするが、終了時間が17時〜18時と定められているケースが多い（厚生労働省調べ（注4））

<img alt="vol51kojima.png" src="http://www.policyspace.com/vol51kojima.png" width="967" height="162" />

これは学童保育が保育園などと異なり一定程度、生徒の自主性に任せている部分があり、「保護者が迎えに来られなくとも子供自身で帰宅できる時間に帰らせる」事が出来る時間設定をし、これを念頭に運営されているからだと言われている。

　しかしながら、9時〜17時の一般的な就業時間をベースとしても保護者が17時に帰宅、もしくは学童保育提供施設へ迎えに行くのは難しく、また残業などの発生可能性を含めれば19時くらいまでは最低でも開設していて欲しいものだが、現実には19時まで開設している児童館は全体の20%に満たない…これが「小１の壁」の大きな壁の一つとなっている。

<strong>「小１の壁」を越えるために</strong>
　以上の状況を踏まえ、「小１の壁」を越えるためには19時以上、可能であれば20時前後まで預かる事が出来る学童保育施設を増設していくことが望まれる。ただし、公設の場合にはコストの兼ね合いもあり、簡単には時間延長が実施出来ない部分もある。

　杉並区の事例を参考にすると学童保育でのコスト計算（ABCによる）では生徒1名当たり概ね2〜2.5万円/月のコストが発生している（注5）。通常の月額利用料が3000円＋おやつ代1800円で4800円が支払われているが、コストの3/4強を税金で負担している計算になる。

　そこで、現在17〜18時を目処に終了されている自治体が提供している学童保育をベースとし、例えばそれを越える18〜20時のみの分に関しては、減価償却費や施設の賃借料を除くランニングコストのほぼ全額に相当する金額を利用料として負担させる形でサービスの拡充を図ることは出来ないだろうか？
利用料の設定に当たっては１時間単位で設定し、毎日の利用を原則とする月額制と都度利用する場合の従量制を併用させ、後者に関しては30分単位の回数券的な物を発行し発行業務の低減に努める、などの方法が考えられる。

　時間延長に当たり既存の職員の対応が困難であれば、学童保育全体をアウトソーシングしたり、時間延長分のみを委託する「官設半民営的」な運営方法も考えられ、実現可能性は決して低くないのである。

<strong>まとめ</strong>
　我が国の少子化対策はまさに「喫緊の課題」である。他方で政府・自治体の対応は後手に廻っており、現状ひとまず保育園の拡充で手一杯、学童保育も重要性は認識されているものの、預けたい親のニーズに充分に応えられていないのが現状ではないだろうか？

　学童保育の時間延長の実現に関しては財源の裏付けが必要ではあるが、時間延長分のコスト負担を保護者の完全自己負担として実施するのであればその懸念もなく、実現可能性がぐっと近づくはずである。

　学童保育に関しては政府からの支援の拡充が必要なのはもちろんであるが、自治体サイドもより柔軟な発想でサービスの提供方法を見直し、学童保育を保護者にとって有用性が高いものとすることで、「小１の壁」を越えるためのキラーソリューションとすることが今まさに期待されている。

<strong>注</strong>
1．<a href="http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/houkago-jidou.html">http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/houkago-jidou.html</a>
2．<a href="http://www.gakuho-tokyo.jp/jyouhou_07/gakudou-zennkoku_070401.pdf">http://www.gakuho-tokyo.jp/jyouhou_07/gakudou-zennkoku_070401.pdf</a>
3．平成１９年５月１日現在：厚生労働省雇用均等・児童家庭局育成環境課調べ
4．<a href="http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/02/dl/s0207-4d19.pdf">http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/02/dl/s0207-4d19.pdf</a>
5．<a href="http://www2.city.suginami.tokyo.jp/library/file/zaisei_2006.pdf">http://www2.city.suginami.tokyo.jp/library/file/zaisei_2006.pdf</a>
]]></description>
         <link>http://www.policyspace.com/2008/06/post_702.php</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">KOJIMA, Takuya: 小島卓弥</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">volume 51</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">文教科学</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 14 Jun 2008 14:15:00 +0900</pubDate>
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         <title>「安心して絶望できる」社会と地域</title>
         <description><![CDATA[―北海道浦河町「べてるの家」の事例から考える―
◎中俣保志（所属：香川短期大学経営情報科准教授）

<strong>社会福祉法人｢浦河べてるの家｣との出会い</strong>
　大学院時代の知人から、｢べてるの家｣という実践を紹介された。すでにTBS系列のドキュメント番組でも同実践が紹介されており、知人によれば、「精神障害者の人たちが地域社会との共生を模索している興味深い実践」ということだった。現地に行って医療側のキーパーソンである医師の川村敏明氏（浦河赤十字病院精神科部長）と向谷地生良氏(当時同病院ソーシャルワーカー)とにインタビューしたのが、今から7年前のことである。　

　浦河町は北海道東南部日高管内の太平洋側に位置し近隣には歌謡曲で有名になった襟裳岬がある。漁業と競走馬飼育業が基幹産業で人口は1万5000人ほどの町である。札幌からバスで4時間あまり、JRを使うと在来線を乗り継いで5時間はかかる。

　インタビュー当日は前述した川村氏、向谷地氏の他に精神「障害」者である当事者の方々7名が対応して下さった。入退院を繰り返さざるを得ない当事者の苦悩を前提にしたとき表面的な「社会復帰」ではなく、「社会進出」という視点から当事者と地域との共生を模索せざるを得ない、という強い意志のようなものを感じた。このことから「この実践は本物である（何を持って「本物」かはさておいて）」と私は確信した。と同時に「かかわった以上は自分自身にも大きな影響を与える実践になる」というある種の困惑も感じた。自分の感受性のふり幅を自覚させるような実践に巡り合うことも少ないと思うが、私の場合は幸か不幸かそのような体験が数回あったのだが、｢べてるの家｣との「遭遇」でもそのようなことを感じることが出来た。

<strong>「武装放棄」と「べてるの家」のコミュニティ</strong>
　「べてるの家」では、上述した「社会進出」以外にも、「三度の飯よりミーティング」「手よりも口を動かせ」「安心してサボれる職場作り」「弱さの情報公開」等、今までの実践の「苦悩」が凝縮されたようなキーワードが大事にされている。インタビューの当日も、当事者の早坂潔氏や松本寛氏が、自身が「べてるの家」にたどり着くまでの成長過程―それは、差別、いじめ、家族との問題、自身の葛藤、まさに筆舌に尽くしがたい経験であるのだが―独特のユーモアで生き生きと語ってくれた（通常当事者の方は匿名化されるのだが、べてるの家では顕名化される）。そのときに松本氏が自身のエピソードとして「錦の旗を揚げず白旗揚げた」ということを語ってくれた。高校を卒業し上京、あることがきっかけで「発病」した松本氏は、「病気」とともに転がり込むように「べてるの家」にたどり着く。その松本氏も、過疎地域での生活に疲れ「べてるの家」から「逃走」をはかり、その後逃走先の札幌で発病、病院に担ぎ込まれた。そこで担当医から言われたのは「松本さんに紹介したいところがあるんです。浦河町の…べてるの家と言うところで先駆的な取り組みがあって…」。そのときに「べてるの家とともに生きる覚悟」が松本氏の中でかたまったという。「べてるの家」で生活していると自分の中にあるバリアみたいなものと向き合わざるを得ないという。そのバリアを自覚して「弱い自分」を認めたとき、自身の武装解除をして自分自身に白旗を揚げたとき、同じような境遇でもがき苦悩している「仲間」の存在が感じられるようになったという。「べてるの家」で語られるキーワードには、このような無数の「苦悩」の結晶のようなものがこめられている。

<strong>「弱さを絆に」実践化できた背景</strong>
　「社会福祉法人浦河べてるの家」は、組織的には、小規模通所授産施設・小規模授産施設・グループホームの三つの部門の総称である。関係する当事者は約160名ほどで、そのうち20名ほどがスタッフや施設長、評議員に就任している。母体となったのは1978年に設立された「どんぐりの会」という回復者グループで、1984年から「べてるの家」と名づけられるようになった。現在は精神障害だけでなくさまざまな「障害」を持つ人々が「べてるの家」の活動に参加している。

　同実践のキーパーソンである川村氏は「当時精神科の医療が『囲療』『管護』と呼ばれる中、病院の中で二次的な『病』を誘発するようなことはすべきでないと思った」と上述のインタビュー時に語ってくれた。向谷地氏はアルコール依存症者や統合失調症で苦しむ早坂潔氏（当事者側のキーパーソン）とのやり取りの中で、「社会から隔離して病院で『我慢』をさせて、一番ストレスのたまった状態で社会に『帰す』」矛盾を抱えた医療の現実や、社会的歴史的な差別、家族問題という患者を取り巻く出口の見えない課題の連鎖と当事者自身が「病」に困惑し苦悩していることを痛感したという。「べてるの家」の実践からうかがえるのは、｢病｣とともにある当事者の｢苦悩｣は彼ら彼女らにとっても捨てがたい人生の一部であって、その「苦悩」を取り去ることで彼らの｢苦悩」を先回りしても何も解決しないしまた取り去ることは出来ないという徹底した「当事者本位」の姿勢と理解できるのではないだろうか。

　ある種絶望するしかない自分の人生と向き合うことで、当事者の方々は消沈しているだろうか。｢べてるの家｣の実践を見る限り答えは否である。「三度の飯よりミーティング」というキーワードどおり、「病とのかかわり方」をめぐる生き生きとしたミーティングが日常化している。

「○○さんと△△さん（当事者同士のカップル）は別れたほうがいいです。いつも妄想や爆発がひどくなるから〜」。出口の見えない課題を前に、ぎょっとするような話題も笑顔で話せる仲間を見つけられるからこそ、生き生きとした実践なのかもしれない。

<strong>「安心して絶望できる社会」創りの新しい挑戦とその核になるもの</strong>
　「当事者の苦悩を先回りして取り除かない」、「当事者の苦悩を取り戻す」そういった支援姿勢を感じさせる「べてるの家」の実践がスタートして、30年近く経過している。その中で、いくつもの社会的実験とも言える新しい挑戦が生み出されてきた。

　現在は当事者の数が150人以上、全国各地から集ってきている。新しく集った層によって、新たな取り組みも行ってきた。浦河保健所主催の思春期相談事業では、不登校やAC（アダルト・チルドレン）と診断された経験のある若手当事者が地元高校生たちと交流や合宿を行うことで、大人に「相談」することの大切さをともに学んだ。

　またICT（Information Communication Technology）技術に強い若手当事者を中心に「べてるの家」オリジナルのテレビ会議システムによる相談事業のシステム化・地域SNSの活用なども取り組まれている。「べてるの家」がこれまで培ってきた「安心して絶望できる社会」をさまざまなツールによって実践していくという姿勢は今後もなお発展していくだろう。

　これら新しい取り組みの原動力とはなんだろうか。スタッフとして活躍する若手の当事者に自身が「べてるの家」で活躍できている理由をたずねると、「仲間」という答えが一番多かった。「べてるの家はぐちゃぐちゃしているけど結局仲間の大切さを感じる｣、「苦しいのは自分自身でないことを理解させてくれた仲間がいる」こういった「仲間」意識を感じさせてくれる要因としては、医療サイドだけでなく、当事者の先輩格である早坂潔氏の存在も大きい。「何か悩んだり苦しいときに早坂さんの存在が大きかった」「何かの（変わり目）のタイミングやきっかけには早坂さんの存在がある」。

　こうした声を聞く限り、「べてるの家」が取り組んできた「安心して絶望できる社会」の実践は、二つのコミュニケーションによって支えられているように思う。一つは最新のICTツールによるコミュニケーション。もう一つはそのツールの基盤とも言うべきアットホームな仲間の連帯感に支えられた「べてるの家」創立以来培ってきたコミュニケーション。これら二つの実践の基盤が、年間2000名以上訪れる研究者や医療関係者、地域社会の住民達をひきつけている。毎年行われる総会では好例の幻覚妄想大会が行われ町内外500名が集う。「安心して絶望できる社会創り」という実践が、地域外の研究者から、疲弊していく地域社会の他の住民から注目を集めている。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">Nakamata, Hoshi: 中俣保志</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">volume 51</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">厚生労働</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 14 Jun 2008 13:36:01 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>公立小・中学校教職員の増員に関する一考察</title>
         <description><![CDATA[◎金子　弘（郵便事業株式会社　期間雇用社員）

<strong>緒言</strong>
報道等［注１］によれば、2008年度に公立の小・中学校の教職員を増員する方向にあるが、教育再生会議の配布資料［注２］によると、加配教職員定数は既に54,427人に上っており、国による全国規模の更なる教職員の増員を図る必要があるのだろうかという疑問がある。

そこで、本稿では、公立小・中学校の教職員配置が現実どうなっているのかを明らかにすることを目的とした。

<strong>小・中学校の教職員定数と給与費負担の仕組</strong>
　公立の小・中学校の教職員定数は、義務教育の水準を維持向上することを目的として、学級編成及び教職員定数の全国的な標準が定められているとともに、義務教育費国庫負担法による国庫負担の基準という性格を有しているとされている［注３］。

　他方で、各都道府県が学校の実情に応じた弾力的な教職員配置を行うことができるようになっているといえる［注４］。

　それでは、教職員配置の実態はどうなっているであろうか。

<strong>教職員配置の実態</strong>
<strong>（１）学級規模等</strong>
前出の教育再生会議の配布資料によると、教員一人当たりの児童生徒数は、小学校で19.6人、中学校で15.3人となっている［注５］。

また、一学級当たりの児童生徒数は、小学校で28.5人、中学校で33.7人となっている［注６］ことから、多くの学校で30人学級に近い現状となっている一方で、今後、少子化の影響もあり、小・中学校の教員一人当たりの児童生徒数並びに一学級当たりの児童生徒数は、OECDの平均水準に達する［注７］ものと考えられる。

<strong>（２）教育財政</strong>
　前出の教育再生会議の配布資料［注８］によると、平成１９年度の公立小・中学校の教職員の給与総額等のうち、国の負担分は1兆6,659億円に上っており、文部科学広報［注９］によれば、文部科学省の予算の31.6％を占めている。また、国庫負担の対象となる非常勤講師の手当支給額は、平成17年度実績で287億円にも上っている。

教職員に対しては、上述のように多額の公費が投入されているが、教育再生会議の配布資料［注10］によると、公立の小・中学校の教職員人件費は、平成26年度にピークに達すると推計されている。

さらに、文部科学省の統計調査［注11］によれば、訓告等、諭旨免職まで含めた懲戒処分等を受けた教職員は4,531人に上り、このうち、わいせつ行為等で訓告等、諭旨免職まで含めた懲戒処分等を受けた教職員は190人にも上っていることから、今後、教職員に対する更なる多額の公費の投入には、教育財政の先行きを見通した計画性が一層必要であるとともに、教職員の質を確保することが必要であるといえる。

<strong>（３）教職員定数</strong>
　地方分権改革推進委員会会議資料［注12］によれば、平成18年度の公立の小・中学校の教員定数の充足状況は、平均で101.62％（未充足県は2県）となっている。

　一方で、文部科学省の統計調査［注13］によれば、公立小・中・高等学校の教員等の病気休職者数は7,655人［注14］となっているが、休職中の者は教職員定数に算定されていない。
しかし、休職中でも教員の身分は有していることから、休職者を含めた実際にいる教員は、前出の地方分権改革推進委員会会議資料の教員定数の充足率以上ということになろう。

<strong>（４）教職員の事務処理能力</strong>
　中央教育審議会答申［注15］において、「事務・報告書作成等の学校の運営にかかわる業務や（中略）に多くの時間が割かれている」と指摘されている。

　他方、文部科学省委託事業報告書［注16］によれば、「教員のコンピュータやネットワークに関する知識や技術の向上」が重要であるとしている割合は、学校で95.7％、教育委員会では95.9％に上っているが、知識・技術の向上を実施している割合は、学校で66％、教育委員会では58.1％に留まっている。

　また「教員のコンピュータやネットワークに関する知識や技術の向上のための研修体制の整備」が重要であるとしている割合は、学校で93.4％、教育委員会では94.4％に上っているが、研修体制の整備を実施している割合は、学校で51.2％、教育委員会では55.2％に留まっていることから、教職員の事務処理能力及びその向上のための研修体制整備には、問題があるといえる。

<strong>結言</strong>
　以上のことから、国は全国規模の教職員の増員を図るのではなく、地方教育行政が学校の実態に合わせて、独自に教職員を採用するなど弾力的な教職員配置を積極的に講じることができるよう、地方教育行政官の教育政策法務能力の向上方策を講じるべきであると考える。
また、教職員の事務処理能力の向上を図り、教職員の質を確保すべきであると考える。
　他方で、教職員配置に関する方策は、数年先を見通した計画的なものとするべきであると考える。

<strong>[注]</strong>
［１］@毎日新聞、2007年12月19日、A文部科学省「平成20年度における教職員定数改善等について」（平成19年12月18日）
［２］教育再生会議学校再生分科会「第10回学校再生分科会議事次第（配布資料）資料３「教育財政」関連資料」（平成19年4月9日）、4頁。
［３］第145回国会参議院予算委員会会議録第7号（平成11年3月1日）、15頁、当時の文部省教育助成局長の発言を参照。
［４］第147回国会参議院文教・科学委員会会議録第13号（平成12年4月25日）、6頁、当時の文部省教育助成局長の発言を参照。
［５］前掲［２］、11頁。
［６］前掲［２］、10頁。
［７］前掲［２］、10・11頁。
［８］教育再生会議学校再生分科会「第10回学校再生分科会議事次第（配布資料）資料3「教育財政」関連資料」（平成19年4月9日）、7頁。
［９］文部科学広報第86号、平成19年1月30日、1頁。
［10］教育再生会議学校再生分科会「第8回学校再生分科会議事次第（配布資料）資料4「教育財政」関連資料」（平成19年3月14日）、10頁。
［11］教育委員会月報平成19年12月号、49〜74頁。
［12］地方分権改革推進委員会会議室「第21回地方分権改革推進委員会［会議資料］資料2文部科学省提出資料」（平成19年10月3日）、15頁。
［13］教育委員会月報平成19年12月号、71頁、表12。
［14］在職者の0.83%に当たる。
［15］「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について」（平成20年1月17日）、20頁。
［16］社団法人日本教育工学振興会「平成18年度文部科学省委託事業　校務情報化の現状と今後の在り方に関する研究」（平成19年3月）、資料1−1、資料1−2。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">KANEKO, Hiroshi: 金子弘</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">volume 51</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">文教科学</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 14 Jun 2008 12:48:43 +0900</pubDate>
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         <title>行政（官庁）における内部統制の必要性</title>
         <description><![CDATA[−内部監査省（仮称）の創設の提言−
◎三上裕之（公認内部監査人）

<strong>論旨</strong>
今年度は内部統制元年といわれている。つまり、上場会社等は今年度から会社法、金融商品取引法により事業年度毎に従来の有価証券報告書に加え、「内部統制報告書」を内閣総理大臣に提出しなければならないのである。

会社の組織は、「株主総会」、「取締役会」、「監査役」から構成されるが、国の組織でいえば、それぞれ「国会（立法）」、「内閣（行政）」、「裁判所（司法）」に対応すると考えられる。なお、会社の「株主」に対応するのが、国における「国民」である。

内部統制とは、会社の「株主」をはじめとする対外的な信頼性の向上のための内部管理態勢の強化が目的であるが、国においても「国民」の信頼性の向上のために「行政（官庁）」において同様な統制が必要であると考える。そのためには、新たな内部監査省（仮称）の創設あるいは現在、三権から独立した組織である会計検査院に国の収入支出の決算の検査に加え、内部統制についても監査する機能をもたせることも選択肢の一つであると思われる。

なお、内部統制監査を行うためには、内部監査人協会の「倫理綱要」により、「誠実性」、「客観性」、「秘密の保持」、「専門的能力」が、また「内部監査の専門職的実施の国際基準」（人的基準、実施基準、実施準則から構成される。）、「実践要綱」の適用が必要であるが、詳細は次稿で述べることとする。

<strong>内部統制とは</strong>
内部統制とは、「業務の有効性及び効率性」、「財務報告の信頼性」、「事業活動に関わる法令等の遵守」、並びに「資産の保全」の４つの目的の達成のために、業務に組み込まれ、組織内のすべての者によって遂行されるプロセスで、以下の６つの基本的要素から構成される。

@「統制環境」
組織の気風を決定し、組織内のすべての者の統制に対する意識に影響を与えるとともに他の基本的要素の基礎となるものをいう。

A「リスクの評価と対応」
組織の目標の達成に影響を与えるすべてのリスクを識別、分析及び評価することによって、当該リスクへの対応を行う一連のプロセスをいう。

B「統制活動」
経営者の命令及び指示が適切に実行されることを確保するために定められる方針及び手続をいう。

C「情報と伝達」
必要な情報が組織や関係者相互間に、適切に伝えられることを確保することをいう。

D「モニタリング（監視活動）」
内部統制の有効性を継続的に監視及び評価するプロセスをいう。

E「IT（情報技術）の利用」
内部統制の他の基本的要素が有効かつ効率的に機能するために、業務に組み込まれている一連のITを活用することをいう。

これは内部統制の世界標準であるCOSO（The Committee of Sponsoring Organizations of the Treadway Commission）フレームワークの日本版といわれるものである。

<strong>行政における内部監査業務について</strong>
以下では内部監査業務について言及したい。内部監査業務は内部監査人協会の「専門職的実施のフレームワーク」に依っており、このフレームワークは「内部監査の定義」、「倫理綱要」、「内部監査の専門職的実施の国際基準」（人的基準、実施基準、実施準則から構成される。以下「基準」という。）、「実践要綱」、「その他のガイダンス」から成る。なお、「実践要綱」は「基準」をどのように適用するかに関わるガイダンスである。

以下では、内部監査実務のあるべき姿を示すことを目的とする「基準」のうちすべての内部監査業務に適用される、内部監査業務を実施する組織および関係者の特性を定めた「人的基準」と、内部監査活動の内容、またその業績を評価するための質的基準を定めた「実施基準」について大項目のみを紹介するが、「内部監査部門」を「内部監査省」（仮称）に、「取締役会」を「内閣」に、「経営管理者」を「主任の国務大臣あるいは内閣総理大臣」に、「経営者」を「主任の国務大臣」に読み替えることにより、両基準は行政の内部監査業務においても適用可能であると考えられる。

まず「内部監査の定義」であるが、「組織体の運営に関し価値を付加し、また改善するために行われる、独立にして、客観的なアシュアランスおよびコンサルティング活動である。内部監査は、組織体の目標の達成に役立つことにある。このために、リスク・マネジメント、コントロールおよび組織体のガバナンス・プロセスの有効性の評価、改善を、内部監査としての体系的手法と規律遵守の態度とをもって行う。」とされている。

以下読み替えを行うが、下線部が読み替え対象箇所で、カッコ内が読み替え後あるいは追加箇所である。

<strong>「人的基準」について</strong>
1000−目的、権限および責任
・内部監査<u>部門</u>（省）の目的、権限および責任は、この「基準」に適合し、かつ<u>取締役会</u>（内閣）によって承認された基本規程において正式に定義されるべきである。
1100−独立と客観性
・内部監査<u>部門</u>（省）は組織上独立していなければならず、かつまた内部監査人は内部監査業務の遂行にあたって客観的でなければならない。
1200−熟達した専門的能力および専門職としての正当な注意
・内部監査は、熟達した専門的能力と専門職としての正当な注意とをもって遂行されなければならない。
1300−品質の保証・改善プログラム
・内部監査<u>部門</u>（省の）長は、内部監査<u>部門</u>（省）にかかるすべての問題を網羅し、その有効性を継続的に監視する品質の保証・改善プログラムを作成、維持しなければならない。このプログラムは、定期的な、内部および外部の品質評価と、内部での持続的な監視を含まねばならない。それぞれのプログラムは、内部監査<u>部門</u>（省）が組織体の運営に価値を付加し、また改善することに役立ち、内部監査<u>部門</u>（省）が「基準」および「倫理綱要」を遵守していることの保証を与えるように設計されなければならない。

<strong>「実施基準」について</strong>
2000−内部監査<u>部門</u>（省）の管理
・内部監査<u>部門</u>（省の）長は、組織体に価値を付加することを確実にするように内部監査<u>部門</u>（省）を効果的に管理しなければならない。
2100−業務の内容
・内部監査<u>部門</u>（省）はリスク・マネジメント、コントロールおよびガバナンス・プロセスを体系的手法と規律遵守の態度とをもって評価し、その改善に貢献しなければならない。
2200−業務の計画
・内部監査人は、個々の内部監査業務について、範囲、目標、実施時期と資源の配分を内容とした計画を立案し、記録しなければならない。
2300−業務の実施
・内部監査人は、業務目標を達成するため、量的にも十分な情報を識別・分析・評価および記録しなければならない。
2400−結果の伝達
・内部監査人は、（内閣総理大臣に）業務の結果を伝達しなければならない。
2500−継続的な監視
・内部監査<u>部門</u>（省の）長は、<u>経営管理者</u>（主任の国務大臣あるいは内閣総理大臣）へ報告されたアシュアランス業務およびコンサルティング・サービスの結果についての対応状況を監視するシステムを確立し、維持しなければならない。
2600−<u>経営者</u>（主任の国務大臣）のリスク許容についての問題解決
・内部監査<u>部門</u>（省の）長は、組織体にとって受容できないのではないかとされる水準の残余リスクを高い階層のマネジメント（局長、事務次官等）が許容していると認められる場合、その問題を当該<u>経営者</u>（主任の国務大臣）と討議しなければならない。残余のリスクにかかわる決定が問題を解決することにならないときは、内部監査<u>部門</u>（省の）長および当該<u>経営者</u>（主任の国務大臣）は、問題の解決に向けて<u>取締役会</u>（内閣）にその事項を報告しなければならない。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">Mikami, Hiroyuki: 三上裕之</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">volume 51</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">公共経営</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 14 Jun 2008 11:54:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>遺伝子組み換え食品の表示から考える食料保障</title>
         <description>西澤真理子　（株式会社リテラシー リテラジャパン代表）

しょうゆ（大豆（遺伝子組み換え不分別））
	生協：　せんべいの表示
しょうゆ（大豆（遺伝子組み換えでない））
	メーカー：お菓子の表示
「分別流通とうもろこし使用」
	メーカー：スナック菓子の外箱

皆さんは遺伝子組み換えの表示をご覧になったときがあるだろうか．理解がとても難しい．遺伝子組み換えなの？そうじゃないの？混乱する．また，遺伝子組み換えではない原料を使った商品は穀物の自給率が低い日本でどこまで本当に可能なのだろうか．疑問が残る．

農薬を減らせる，土壌の流出が防げるという理由で，遺伝子組み換え作物は世界の農家に歓迎されている．作付けは年々増加し，2006年の遺伝子組み換え作物の生産は前年比較で1割り増しとなった．

日本の大豆の自給率は4%で，残りは輸入．輸入の7割がアメリカからで，そのアメリカの大豆の85%が遺伝子組み換えである．また，トウモロコシなど，動物の飼料などに使われる雑穀も日本ではほとんど作っておらず（自給率1％），9割がアメリカからの輸入である．今日ではアメリカコーンの約5割が遺伝子組み換えとなっている．

「遺伝子組み換えを使っていません」．この食品表示にはちょっとしたからくりがある．遺伝子組み換え作物は混入しているのだが，その混入が5%まで日本の法律で許されているので遺伝子組み換えが入っていても「No-GMO」になる．また，油やしょうゆには遺伝子組み換え表示の義務がないので表示がなされていない．ナタネなどの食用油は自給率3％であとはやはりすべて輸入だが，当然遺伝子組み換えが相当入っている．従って，われわれが「遺伝子組み換えでない」と思って買っている製品にも実際には遺伝子組み換え原料が入っていることが多々ある．

生協は，冒頭にあるように「遺伝子組み換え不分別」という独自の表示を行っている．不分別というのは，その文字のとおり，遺伝子組み換えとそうでないものを分別せず，どちらも原料に使っているということだ．分別（流通）は手間がかかり，厳密な分別はコンテナでの輸送の際には困難とされる．

近年の穀物原料の値上がりで，遺伝子組み換えでない作物を輸出相手国に求めることも現状では難しくなっている．この先，生産に手間のかかる 非遺伝子組み換えの作物をどこまで生産者が作ってくれるのか．先行き不透明である．

日本はコメ以外の穀物自給率が他国と比較して低く，2005年は28％だった．ちなみにフランスは173％，ドイツは101％．従って輸入相手国の経済や気候状況によって食品生産が大きく左右される．今後も，様々な商品に穀物価格の高騰の影響が出てくるだろう．食品の安全，安心議論が盛んだが，本質的な意味での「安全」である食料保障について，さらなる社会議論が必要である．身近な食品表示からも，われわれの社会のあり方を考えさせてくれるヒントを得ることができるだろう．


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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">NISHIZAWA, Mariko: 西澤真理子</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">volume 51</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">環境農水</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 14 Jun 2008 11:05:41 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>米国の通商政策の行方</title>
         <description><![CDATA[―ポスト大統領選挙の見通し―
田中伸昌（所属　ジェトロ海外調査部北米課）

<strong>今後の通商政策には不透明感も</strong>
米国の通商政策の今後には不透明感が強い。まず、新たな通商協定にためらいがちな民主党に追い風が吹く状況が続いている。そして、ブッシュ減税の期限切れが議会の通商問題の審議を圧迫する可能性がある。

<strong>厳しい政治環境</strong>
民主党のオバマ候補もクリントン候補も、現在、NAFTAの再交渉を求めると公言している。メキシコやカナダが再交渉に応じない場合は脱退も辞さない構えだ。両候補とも、新たな通商協定を結ぶのではなく、既存の通商協定のエンフォースメント（実行）を強化すべきだとの立場だ。具体的には、知的財産権の保護強化や、労働・環境基準の強化を求める。こうした見方は労働団体の主張に沿ったものと言える。両候補とも本指名されれば、これまでの保護主義色の強いトーンを落す可能性はあるが、前言を完全に翻すことはできないだろう。

議会は選挙を経ても、民主党が上下両院を維持する公算が高い。これは、引退する議員の数が共和党の方が多いことも影響する。選挙では現職が有利な場合が多く、引退する議員が多ければ、それだけ、対立する党に議席を譲る可能性が高くなる。また、2006年の中間選挙で躍進した民主党の若手議員には、保護主義的な傾向が強く、今回の選挙で当選する若手議員にもそうした傾向が強くでるとの見方もある。

このように、仮に、大統領・議会選挙後に民主党大統領が誕生し、議会の上下両院を民主党が維持した場合、米国の通商政策は大きな曲がり角を迎える可能性がある。

<strong>税制問題が通商問題に影響</strong>
米国では、下院歳入委員会と上院財政委員会が通商問題と税制問題の両方を審議する。問題はブッシュ減税の多くが2010年に失効することだ。税制問題は、2010年前後、大きな焦点となる可能性が高い。そうなった場合、両委員会は、通商問題に力を割くことが難しくなる。また、その場合、議会指導部は、税制問題の審議を優先させ、政治的にセンシティブな通商問題を遡上に載せることを避けるのではないか、との見方もある。税制問題が議会での審議を圧迫するとすれば、仮に共和党の大統領が誕生したとしても、通商問題の進展には不透明感が漂うことになる。

<strong>背景にはグローバル化に対する懸念</strong>
こうした状況の背景にあるのは、グローバル化に対する懸念の高まりだ。米国では中西部を中心に失業率が高まっており、その原因が不公正な貿易にあるとする見方が多い。そうした不満が保護主義的な機運を高めている。

今後、米国が保護主義に陥ることなく、引き続きグローバル化の旗振り役となるためには、グローバル化に対する「弱者」を、教育、訓練、補助など各種の政策を組み合わせて支援し、経済の自由化がもたらす恩恵を広く説明していく必要がある。

＊本寄稿は所属する組織を代表するのもではない。

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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">Tanaka, Nobumasa: 田中伸昌</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">volume 51</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">国際政治</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 14 Jun 2008 10:17:48 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「機能」で比較するマニフェスト―宮崎知事選挙・大阪府知事選挙を題材として―</title>
         <description><![CDATA[◎渡瀬裕哉（PRマネジメント株式会社　代表取締役）
 
<strong>実務家視点でのマニフェスト比較</strong>

2007年1月宮崎県知事選挙を皮切りに、地方自治体の首長選挙におけるマニフェストを活用した戦略的な選挙・行政運営の事例が地方自治体に生まれつつある。ただし、現在のところ、マニフェストの意義は抽象的な学術要素の強いものに留まっており、選挙や行政運営における実務家の視点からの機能分析が欠落しているように思われる。

そこで、本論考においては、一昨年の宮崎県知事選挙及び本年の大阪府知事選挙を題材として比較することで、マニフェストの持つ機能的側面について分析を実施する。なお、本論考は私の所属するNPO法人の見解ではなく、あくまで一個人の見解として述べることを事前に断わっておく。

<strong>マニフェストの3大機能</strong>

私はマニフェストには大きく分けて3つの機能があると考えている。3つの機能とは、(1)争点創出機能、(2)正統性付与機能、(3)行政運営機能である。(1)争点創出機能とは、候補者側から選挙戦の最中に「選挙の争点」を提示する機能である。この際、候補者が「選挙の争点」として提示した内容がメディアの設定した争点などの社会状況と一致した場合に、社会的ブームを生み出すなどの効果が期待できる。

(2)正統性付与機能とは、マニフェストに提示された政策内容への正統性を付与する機能である。選挙戦の過程を経て、マニフェストに提示された政策は有権者からの付託を受けたものに変質する。これは利害調整が厳しい政策を実施する場合に関係各位を説得するための必須の要素である。

(3)行政運営機能とは、行政運営の基本的な方向性を規定する機能である。最近では各有力候補者のマニフェストに合わせて職員が複数プランを事前に用意し、どの候補者が当選しても行政運営に支障が生じないように調整していることも多い。このような事前対応はマニフェストに具体的な方針やプランが明示されているからこそ可能となっている。マニフェストは上記3つの機能を意識して作成されていることが重要であり、1つでも欠落している場合は選挙中・選挙後のいずれかで問題が発生する可能性がある。

<strong>宮崎：成功、大阪：失敗</strong>

具体的な事例として、宮崎県の東国原知事・大阪府の橋下知事の事例を比較してみたい。最初に断わっておくが、私自身の見解として宮崎県は成功事例、大阪府は失敗事例として捉えている。大阪府はいまだ政権発足間もない状況であるため、今後の挽回への期待を込めて評価していきたい。

マニフェストの「争点創出機能」の観点からは、東国原氏は「産業・観光活性化」「入札制度改革」「財政改革」といった争点を作り上げた。これは、メディアが設定した争点である官製談合対策、財政改革への具体策を提示するとともに、産業・観光について「宮崎のセールスマン」としての知事の役割を最大限に発揮する政策を示した成功事例である[1]。この争点は有権者にも受け入れられて、その後昨年の宮崎ブームにつながるきっかけになった。

一方、大阪府知事選挙では、橋下氏の選挙戦は「子どもが笑う」というフレーズに焦点を絞ったものであり、候補者本人の「子だくさん」イメージも手伝って子育て支援という争点作りに焦点を集中していた[2]。候補者の全てのメッセージを子育てに集中させることで、まとまりのない対立候補のメッセージと比べて有利にメッセージ発信を行っており、若年世代からの高い支持を得ることに成功した[3]。ただし、メディアの設定した争点及び各種世論調査から導き出される争点は「景気対策」「財政再建」であり、特に注目されていた「財政再建」については橋下氏が一部数値目標や演説で触れたものの、具体的な方法論・プロセスが十分に示されなかったために橋下氏への爆発的な支持の醸成はつながらなかったと想定される[4]。結果として、東国原氏は橋下氏よりも効果的に「争点創出機能」を駆使したと言えるだろう。

<strong>マニフェストからブレた橋下氏</strong>

(2)正統性付与機能の観点からは、東国原氏は行財政改革、財政改革などの厳しい制度変更や数値目標について選挙戦を経てマニフェストの具体策に与えられた正統性を駆使し、巧みな行政運営を行うことで一定の成果を挙げつつある。東国原氏は著作や発言の中で、マニフェストの大切さを真摯に訴えられており、有権者との約束を果たそうとしているその姿勢に対する県民からの支持率は一年を経た現在でも高水準を維持している。

一方、橋下氏は選挙直後に「府債の発行ゼロ」発言を行ったが、そのような内容はマニフェストに盛り込まれておらず、職員や議会からの苦言を受けて修正。結果、早々に姿勢のブレを指摘される事態となった[5][6]。両者は置かれた状況に違いがあるものの、厳しい利害調整を有する政策は事前にマニフェストによって具体策レベルで有権者から信任を得ることが重要であることを示した一例である。

<strong>組織へ「落とし込める」マニフェストがワークする</strong>

(3)行政運営機能の観点からは、東国原氏は、「県民総力戦」のコンセプトのもと、自身の政策を体系だった政策集としての形式で整理しており、副知事マニフェスト以下、県庁の予算・計画への落とし込みが可能であった[7]。このように効率的な組織活動へ落としこむことが可能なマニフェストが、東国原氏の積極的なPR活動を裏で支える要因の一つとなった。

また、財政運営に関しても数値目標が明示されているため、行政側もプラン実現に向けた準備を整えることができ、スムーズな体制移行を実現させた。一方、橋下氏は事前に財政運営の具体的な内容が提示されていなかったため、行政側は上記の「府債の発行ゼロ」を織り込んだプランを立案していなかった。そのため、マニフェストに盛り込まれた新規事業の実施が６月補正予算まで半年間先送りにされる事態が発生している（ただし、盛り込まれた内容は財源の手当の目処がつけば達成可能なものであり、今後の挽回が期待される）[8]。今後、橋下氏は自身の政策をどのように行政運営に反映させていくのか、組織論の観点から捉え直す必要があるだろう。

<strong>3大機能を意識したマニフェストづくりを</strong>

以上のように、マニフェストのもつ3つの機能についての分析と事例検証を実施した。これらの機能を明確に意識した内容のマニフェストを作成できることが選挙に勝利するだけでなく、その後の行政運営において成果を挙げるためには重要である。個別の機能を最大限に活用するには更に実務的なノウハウを必要とするが、それは多くの事例を通して蓄積・共有されていくことになるだろう。今後、様々な人々がマニフェストを通して政治家の政策立案に携われる場が増えていくことで、多様な分野からの知識・知恵が日本の政治の場に生かされることを願っている。

<strong>脚注</strong>

[1]2007年1月4日宮崎日日新聞<a href="http://www.the-miyanichi.co.jp/feature/chijisen/index73.html">http://www.the-miyanichi.co.jp/feature/chijisen/index73.html</a>
[2]2007年12月12日読売新聞<a href="http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/o_chiji/op71212e.htm">http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/o_chiji/op71212e.htm</a>
[3]2008年1月28日読売新聞<a href="http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/o_chiji/op80128c.htm">http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/o_chiji/op80128c.htm</a>
[4]2008年1月21日毎日新聞<a href="http://mainichi.jp/kansai/osakaprefelection/news/20080121ddn003010013000c.html?inb=yt">http://mainichi.jp/kansai/osakaprefelection/news/20080121ddn003010013000c.html?inb=yt</a>
[5]2008年1月30日産経新聞<a href="http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/e20080130002.html?C=S">http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/e20080130002.html?C=S</a>
[6]2008年2月6日朝日新聞<a href="http://www.asahi.com/politics/update/0206/OSK200802060074.html">http://www.asahi.com/politics/update/0206/OSK200802060074.html</a>
[7]2007年5月28日宮崎日日新聞<a href="http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?catid=111&blogid=16">http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?catid=111&blogid=16</a>
[8]2008年2月6日
<a href="http://www.asahi.com/politics/update/0206/OSK200802060064.html">http://www.asahi.com/politics/update/0206/OSK200802060064.html</a>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">WATASE, Yuya: 渡瀬裕哉</category>
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         <pubDate>Wed, 27 Feb 2008 00:00:07 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>マニフェストは有権者との「契約」なのか―未履行・未達成の法的責任論―</title>
         <description><![CDATA[◎坂野博志（都道府県職員）
 
<strong>はじめに</strong>

「マニフェスト」なる語は、一般社会で認知されるようになってから日は浅いが、すでに市民権を得ているといえよう。また、マニフェストは「政策の卵」ともいうべきものである。

本稿ではマニフェストを活用した選挙を歓迎しつつも、マニフェストを論ずるに際し、その未履行・未達成の場合における法的責任をめぐる議論が欠落しているのではないか、との認識に立ち、裁判例を踏まえて今一度検討・確認することを目的としている。

<strong>問題の所在</strong>

従来から選挙のたびに候補者は、「選挙公約」なるものを掲げて選挙戦を繰り広げ、有権者は、それを投票に際しての判断材料の一つとして扱ってきた。

一方で、これまで選挙公約違反（未履行・未達成）がたまに社会問題化しても「政治的責任」として扱われ、「法的責任」について議論されることは皆無に等しかった。別言すると、選挙公約について法的責任が問われることはないということは、自明とされてきたように感じられるのである。実際、選挙「口約」と揶揄されることに象徴されるように、選挙公約の実現については、過大な期待はしておらず、諦めムードが漂っていたことが窺え、このことが、法的責任をめぐるマージナルな議論を避けてきた理由の背景にあると考えられる。

もっとも、マニフェストは、従来の選挙公約に比して抽象度が低減し、具体性が高まっているので、その分有権者の期待も高まり、マニフェストに掲げられた政策の実現度の客観的検証も可能になることから、今後、法的責任をめぐる争いが顕在化する可能性も高まるのではないかと推測されるのである。これも本稿においてこのテーマを扱う理由の一つである。

<strong>裁判例紹介</strong>

上記のように諦めムードを反映してか、わが国における選挙公約をめぐる裁判例は数えるほどしかない（マニフェストに関するものはまだないようである）。紙幅の関係上詳細な紹介は断念するが、以下、主なものを紹介したい。

<strong>ケース(1)</strong>

参議院議員選挙において無所属、愛知万博反対を公約としていた候補者が、当選後、公約に反して既成政党に鞍替えし、愛知万博推進の立場に転じたことの是非を問うた裁判においては、当選後、「選挙民の具体的・個別的な指図に対して法的に拘束されず、自由・独立に行動し得ること」、すなわち「自由委任」を根拠として法的責任は認められなかった（名古屋地判平成12年8月7日）。

<strong>ケース(2)</strong>

市長選挙の候補者が、支援団体関係者と約束した当選後1年以内の原発の是非を問う住民投票を実施しなかったことが争われた裁判では、「本件約束は、その性質上、市長候補者ないし市長としての本件選挙における公約の性格しか有しないものと解すべきであり、私法上の契約の性格を有するものではない」とされ法的責任は認められなかった（宮崎地判平成11年9月20日）。なお、同様の案件で東京高裁は「いわゆる公約は一種の宣言であつて合意ではない」とも指摘している（東京高判昭和47年6月9日）。

<strong>ケース(3)</strong>

衆議院議員選挙における候補者の選挙公報掲載文内容の妥当性が問われた裁判では、公選法169条2項が「都道府県の選挙管理委員会は、……、掲載文又はその写しを、原文のまま選挙公報に掲載しなければならない」と定めていることを踏まえ、「……候補者の申請に係る掲載文の内容が甚しく公序良俗に反し、一般通常人ならば何人といえども、その公表を許し得ないものと認めることが一見して明白であるような極端な場合は別格とし、しからざる限り選挙管理委員会は、候補者の提出した掲載文を原文のまま選挙公報に掲載すべく、みだりにその内容を審査検討してその掲載の許否を決することは許されない」として候補者の選挙公約内容の自由を広く認めた（東京高判昭和42年5月30日）。

<strong>おわりに</strong>

本稿においては「マニフェスト未履行・未達成の法的責任（の問責性）」という自明であり愚問との批判も予想される問題提起をして再確認を行ってきた。

結局、ケース(1)、(2)の裁判例は、候補者個人ともう少し密接な関係を有する原告との間の特殊なケースであったが、そのようなケースでさえも、選挙公約は私法上の契約ほど拘束力はなく、当選後の公人・公職としての首長・議員とは別人格である私人に対して履行を求めることはできない（筋違い）というロジックにより法的責任を認めなかった。つまり、候補者の選挙公約内容の自由を広く認める一方、その履行（法的）義務については消極的に解しているのである（なお、マニフェストの生まれ故郷であるイギリスにおいても同様に“Nor do manifestos have legal force”と表現されることがある）。

それゆえ、候補者とは個人的つながりのない多くの一般市民（一有権者）が、選挙公約あるいはマニフェストの未履行、未達成を捉えてその履行を求め、あるいはそれを不法行為や債務不履行として提訴しても勝算はないと解さざるを得ないと考えられるのである。

また、実際問題として秘密選挙の原則の下で、有権者がどの候補者に投票したか判然としないという制約も存在するし、原告となりうるのは当選した候補者に投票した者に限られるのか否かといった問題も残ろうし、マニフェストのパッケージ性に由来する制約、すなわち、たとえば100項目掲げたうちの特定の少数項目だけを取り出して未履行、未達成を論ずることの妥当性も問われよう。

現実に目を向けると、岩手県の増田寛也知事（当時）の語る「今回私は、『公共事業を三割削減する』と、はっきりと数字を挙げて選挙戦を戦った。登庁すると、早速、担当部署から、『三割削減するには、この事業とこの工事を止めなければなりません』というリストが上がってきた」という逸話が有名であるが、マニフェストを掲げ当選した首長の補助機関たる職員は、マニフェストの内容を十分念頭におき、その実現に向けて予算面、制度整備（条例案）で努力するものである。これはマニフェストの有する意識改革機能とされる。

このように行政としては首長の掲げるマニフェストの実現（政策化）に向けて最大限の努力をすると考えられるし、また、そうでなければならないのであるが、時として社会経済情勢の変化、政争などによりその実現が困難となることも想定される。しかしながら、既述のとおり一有権者の資格でその非違を法的責任という面から追及することは困難であると考える。もっとも、「道義的非難や政治的批判」、「政治的・道義的責任」については、当然問われるべきであるし、また、それが民主主義の下ではあるべき姿であろう。

結論として法的責任については、選挙公約やマニフェストが昇華した形である具体的な制度、計画に至った段階でそれらの未履行・未達成あるいは変更という事実を捉えて、いわゆる「計画担保責任」という構成で追及するほかないのではなかろうか。

なお、本稿は筆者の個人的見解を述べたものであり、所属する団体・組織とは関係ないことを申し添える。]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">SAKANO, Hiroshi: 坂野博志</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">volume 50</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">国内政治</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 27 Feb 2008 00:00:06 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>行政改革も選択と集中の時代へ</title>
         <description><![CDATA[◎小島卓弥（株式会社アセンディア　コンサルティング事業部）
 
<strong>はじめに</strong>

2000年前後からはじまったNPM理論に触発された各種行政改革は行政評価に始まり、アウトソーシング手法の多様化、電子政府や民間経営改革手法、ABCや公会計等会計面の新手法導入等、導入された行革手法の多様性にも特徴があると言える。

一方で実際の現場では各種行革手法を消化不良のまま導入し、充分な成果を得られないまま更に新しい手法を導入する状況に陥り、行革部門はもとよりそれに「付き合わされる形」となる現場の負担感の高まりが折角の行革手法が機能しない一因にすらなりつつある。

そこで、本稿ではその問題点を明らかにし、多くの経営改革手法で謳われる「選択と集中」の視点を行革手法過多の現状に持ち込み、再検証を試みたい。

<strong>「行革手法過多」の原因と課題</strong>

近年の行政改革手法は「行政独自の改革手法」のみならず「民間の経営改革手法」を積極的に取り入れている事、そして我が国のみならず全世界で生み出されている改革手法が流入していると言う点に特徴がある。その中で少数の自治体に導入され、効果があった手法に関しては論文や講演などを通じて広く公表されることにより、他の自治体/行政機関へと拡大し普遍的な手法として確立していくことになる。

折しも我が国はほぼ全ての自治体が財政難に苦しんでおり、溺れる者は藁をも掴む形で多くの行革手法が導入され、掴んだ効果の藁が不充分であれば更なる藁を掴む形で行革手法が多く流入することと相成った。

多くの種類の行革手法が導入される事で飛躍的に業務効率が上がると誤解される事もあるようだが、必ずしもそうではない。それは人間が複数の薬を他の薬の作用を考慮しない状態で複数摂取することで、体をこわすのに似ている。

そもそも論として行革手法は基本的に導入のタイミングで少なからず時間的な負担が発生し、純粋に本来業務だけの効率性を考慮すれば、その分業務は非効率化することになる。また行革手法を導入するに当たっては行革部門の職員のコストはもとより、上記現場サイドのコスト、我々コンサルタント等に支払う委託費なども発生する事になる。

加えて長年の予算/定員の削減や2007年問題等の要因により職員数は大幅に減少している。その中で更に新たな行革手法を導入することは本来業務の忙しさに拍車を掛けることに繋がる。それでも効果が上がれば良いが、充分な成果が得られないまま、更に行革手法が積み上がり、残業は増える様な状況では現場のモチベーションが低下して当然と言える。

<strong>行革手法の選択と集中を始める</strong>

とは言え、財政は逼迫しなんらかの形で改革を進めていかなければならない自治体にとって行革手法が経営再建のツールとして有効なケースが多いのは間違いない。従って、それらから何を選択していくかを絞り込んでいくことで現場の負担感を下げ、改革の効果を極大化させることが重要である。そのポイントとして以下のような視点が考えられる。

(1)他自治体が実施しているからと言って安易にかつ同じ形で導入しない

自治体によって、置かれている現状、財政的状況、組織文化は大きく異なるのに、他自治体で成功したからと言って安易に導入するのは失敗の元である。まず自己の自治体の弱点を見付け、改善の優先度が高い順番にそれに則した行革手法の導入が必要である。

同様に同じ手法を導入するにしても自治体の置かれている状況で導入に適した方法にも差がある。自己の自治体/職員が受け容れやすい方法は何か、必要な項目は何か、調整しながら導入していくことが必要である。

(2)１つの行革手法にあらゆる機能を求めない

行革手法といえど、手法によって当然得意不得意があるにも関わらず、「手法を導入したら全ての問題が解決する」と言う幻想を抱かれがちである。しかし、1つの手法に多くの機能を求めれば結果としてどの効果も得られず、手法の長所まで殺してしまう事がある。従って、各行革手法の長所と短所を明らかにして、問題の事象に則した手法の選択をし、「確実に得たい（得られる）効果」に重点を置いた導入方法の模索が必要である。

(3)全庁一斉導入に拘らない

日本の役所文化として行革は横並びで導入する性向が昔から存在する[1]。しかし既述のように行革手法自体に得意不得意がある以上、全庁に導入しても効果が得られないケースが多く発生する。この場合、効果がなかった部門にはより負担感を残す事となる。従って、導入対象も「選択と集中」が求められることになる。

(4)見直しの必要性〜縮小や廃止も考える

導入した行革手法が組織風土に合わなかったり、全庁導入したことにより失敗してしまうケースもある。この様な場合には、導入目的や対象に無理があるとすればそれらを絞り込むことで再生する可能性がある。また導入したことにより一定の成果を得たものの、手法自体が陳腐化する等の要因で効果が得られなくなるケースもある。この様な場合には実施し続ける事が非効率化する事すらあり、勇気を持って廃止することも必要となる。

<strong>まとめ</strong>

多くの行革手法が導入されたことにより、我が国の行政改革や情報公開、職員の意識改革が進んだのは間違いない。しかしながら、複数の行革手法を充分な活用戦略を持たないまま多用した結果、行革そのものが業務の効率化を妨げる結果にも陥っている。

自治体は、自己の弱点と問題点を再検証し、それに則した行革手法を選択していく事でその導入効果を向上させていく必要がある。その課程の中で役割を終えた行革手法は見直しを行い「選択と集中」を行っていく、それこそが行政改革の本義ではないだろうか？

また行革手法を紹介する我々コンサルタントや研究者も特性を明確に伝えると共に、導入に当たっては各自治体の特性に合わせ、その効果を極大化させる形で導入を支援することが更に重要になる事をこの職業に属する者の一人として自戒を込めて明記したい。

<strong>脚注</strong>

[1]増島俊之「行政改革の視点と展開」（ぎょうせい、2003）、等に詳しい]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">KOJIMA, Takuya: 小島卓弥</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">volume 50</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">地方自治</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 27 Feb 2008 00:00:05 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>自治体シンクタンク設置に向けた取組み―「設置に向けた取組み」連載開始にあたって―</title>
         <description><![CDATA[◎牧瀬　稔（財団法人地域開発研究所研究部　研究員）
 
<strong>自治体シンクタンクは多様である</strong>

『政策空間』vol.46からvol.48にかけて、既存の自治体シンクタンクに勤務する研究員からの寄稿があり、それぞれの立場から、当該自治体シンクタンクの現状と抱える問題について言及があった。

数年前までは、「自治体シンクタンク」という言葉は、ほとんど知られていなかった。しかし既存の自治体シンクタンクの躍動により、この言葉は少しずつ浸透しつつある。その中で筆者が危惧しているのは、「最近の傾向として『自治体シンクタンク』を一様に捉えてしまっているのではないか」と感じていることである。

中野区（vol.46）や宇都宮市（vol.47）、宗像市（vol.48）の論考を読むと、自治体シンクタンクは多様であることが理解できる。地域が抱える問題が多様であるように、その問題を解決するために登場した自治体シンクタンクも多様なのである。

いま一度「自治体シンクタンクは多様である」ということを認識しなくてはいけない。つまり、設置を検討している自治体は、既存の自治体シンクタンクにとらわれずに、地域性や地理的条件等を加味して、自由に自治体シンクタンクを設置してほしい。なお、自治体シンクタンクに関心のある読者は、三浦市（vol.3)、横須賀市（vol.6）、相模原市（vol.7）なども参照にしていただきたい。

<strong>自治体シンクタンクの必要性と不要性</strong>

わが国の人口は127,767,994人（2005年「国勢調査」）。これだけいると、自治体シンクタンクに関心を持つ者は少なくなく、しばしば筆者に自治体シンクタンクについて質問がよせられる（筆者は、2年前に海外で自治体シンクタンクについて報告した経験がある。それ以来、海外からも質問が届く。なお筆者の調査によれば、海外には自治体シンクタンクのような政策形成機関はない）。

質問する属性は自治体職員が多いが、首長、議員、シンクタンク研究員、大学教員、学生など多岐にわたっている。なかには一般人からの質問もある。筆者には、毎日のように自治体シンクタンクの質問が届く…というわけではないが、忘れた頃に、突如として、様々な立場の人から相談が届く。その質問や相談が、具体的な動きとなり、次年度に自治体シンクタンクを設置する自治体も少なくない。

その一方で、縮小・廃止される自治体シンクタンクも存在する。しかし全体的には、自治体シンクタンクの数は増加しつつあると思われる。

その最大の理由は、地方分権の流れが加速化しており、自治体シンクタンクのような政策形成機関が求められるからである。なお、使命を終えた自治体シンクタンクは縮小・廃止したほうがよい。最もいけないことは、役割を終えているのにもかかわらず、「ただ何となく」という感じで自治体シンクタンクを存続させていることである。

自治体シンクタンクのような政策形成機関は、大局的な視点で捉えれば、自治体の政策形成力を向上させることになる。ここで「ような」という部分に傍点をつけ強調している理由は、自治体の政策形成力を向上させるのは、自治体シンクタンクだけが手段ではないからである。

今日、自治体の政策形成力の向上は様々な手段がある。そして自治体シンクタンクは、その一つにすぎない。そのことを理解せず、安易な発想で自治体シンクタンクの設置に走ってしまう自治体が少なくないように思われる。

<strong>政策形成力と政策形成「能」力</strong>

自治体シンクタンクにとって、重要な意味を持つ語句（要素）がいくつかある。その一つが「政策形成」である。そこで、この言葉について考えたい。なお、ここでの見解は私見が入っており、読者に対しての問題提起という意味がある。

この「政策形成」という4文字を軸にして「政策形成力」と「政策形成能力」について考える。両者は同じような感じを受けるが、筆者は違うと捉えている。前者は5文字であり、後者は6文字である。つまり前者には「能」という1文字がないのである。

この言葉の違いについて、筆者は次のように考えている。それは、「自治体職員一人ひとりの『政策形成能力』が向上することにより、自治体総体としての『政策形成力』が増進する」。

つまり、主語が自治体職員（私人）ならば「政策形成能力」という言葉になり、一方で主語が自治体シンクタンクという組織・団体（法人）ならば「政策形成力」を用いることになる。

このことは、筆者が自治体シンクタンクを対象とした研究を進めていく過程で気がついたことである。そして数年くらい前から、意識的に「政策形成力」と「政策形成能力」を使い分けている。

読者に言わせれば、確かに、ここで記したことは、筆者がへりくつを並べているだけに映るかもしれない。しかし一番いけないことは、「政策形成力」と「政策形成能力」を混合し、意味不明のまま使用することである。大学教員の中にも、両者を明確にわけることなく、自由気ままに同一の論文内で使用していることが少なくない。このような大学教員の論文に接すると、知的水準を疑ってしまう（筆者も注意しなくてはいけない）。

なお、一般的に能力とは「物事を成し遂げることのできる力」という意味である。そして、力とは「そのものに本来備わっていて、発揮されることが期待できる働き」や「ほかに働きかけて影響を与えるもの」という意味がある。

ここで記した「政策形成力」と「政策形成能力」の違いに加え、自治体シンクタンクにとって重要な語句（要素）には、「政策形成（力）」と「政策立案（力）」がある。また「政策実現（性）」と「政策反映（性）」の意味の違いなどについても、本稿において言及したかった。しかし紙幅の都合上、次回に執筆の機会があるならば、その時に論じたい。なお、ここで記したことは、筆者のブログにおいても記しているため、興味のある読者は、ご訪問いただきたい。

<strong>設置を目指す自治体はどうなっているのか</strong>

この『政策空間』における「自治体シンクタンク」シリーズは、次回から、ますます佳境に入っていく（かもしれない）。

次回から数回は、自治体シンクタンクの設置を検討している自治体からの寄稿である。この「検討している」段階は、様々なレベルがある。首長が積極的に設置を臨んでいる場合や、議員に指摘されて、いやいや（？）設置を考えている自治体もある。

何れにしろ、設置を検討している（提案している）、自治体に「どのようなシンクタンクにするのか」「目指すところは何か」「設置過程の悩み」等について執筆してもらう。ただし、筆者が執筆を依頼している自治体は、現在、設置を検討している最中ため、担当の自治体職員は秘密保持などの理由から自由に書けないことも想定される。そこで、その場合は、自治体職員ではなく、首長や議員などに執筆してもらう予定である。

最後になるが、筆者が『政策空間』に寄稿する際は、いつも肩の力を抜いて執筆している。その結果、『政策空間』には馴染まない軟派な論考になってしまっている（ような気がする）。この点は、ご了承いただきたい。

自治体政策の現場に求められることは、「実際に使える政策」である。実際に使える政策を開発するためには、誰もが理解できる内容であり、かつ飽きさせない文章を作成しなくてはいけない。筆者は、少しでも、そのような文章を作成したく、若干の「おちゃらけ」的な雰囲気を入れつつ、いつも『政策空間』に寄稿する際は原稿を作成している。]]></description>
         <link>http://www.policyspace.com/2008/02/post_692.php</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">MAKISE, Minoru: 牧瀬稔</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">volume 50</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">公共経営</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 27 Feb 2008 00:00:04 +0900</pubDate>
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         <title>「協働」視点の自治体シンクタンク始動―せたがや自治政策研究所―</title>
         <description><![CDATA[◎渡邊裕司（世田谷区せたがや自治政策研究所　副所長）
 
<strong>平成19年4月始動</strong>

これまで平成の大合併の波に翻弄されることなく、自治権拡充における都区間のせめぎあいも、コップの中での嵐と揶揄されてきた感のある東京23区である。しかし今、区を取り巻く環境の変化と時代の流れを公共政策の背景として捉え、科学的実証に基づく政策立案と職員の政策形成能力の向上を図ることを、区政運営の機軸にすえなければならない時を迎えている。

平成19年4月1日、世田谷区は、これまで温めてきた構想を、自治体シンクタンクの設置及び運営に関する報告書の中に具体化し「せたがや自治政策研究所（以下、せた研）」を世田谷区役所内に設置した。地方分権の進展を見据えた自治体の自主・自立性の確保や少子高齢化や環境対策など区の主要課題を中長期的な視点から、区の政策に活かすことのできる調査研究を行う専任組織である。

<strong>研究活動は「協働」の視点にたって</strong>

自治体シンクタンクを設置したと同時に、区の事業所管の各部所が、行政内でその位置づけ・機能を共有し、活動をともに行うことはできるわけもなく、加えて地域の一員として、活動する手段も持ち合わせている状況にはない。しかし、公的に設置した研究所である以上、行政内部での連携・連帯は欠かせず、また行政運営の基盤である区民との協働を視点からはずして政策研究を行うことも設立の意義を失なわせてしまう。

そこでせた研では、当面の政策研究を「世田谷区における区民等との協働」の視点にたち、地域福祉や子育て支援、地域活性化をテーマにおき取り組むこととした。

<strong>「行政内協働」から</strong>

政策研究する所管と政策立案・遂行の所管が活動を共にすることは自治体シンクタンクだからこその手法である。しかし現状では、設置後にいくつかの自治体シンクタンクを視察したが「できているようでできない」「当初はうまくいっていたが・・」など研究活動の理解と事業所管課との良好な関係の維持に苦労する声を耳にした。

せた研では、研究テーマに区の施策や事業との関連性があり、成果の利用が可能である（事業課の本音としては、研究成果が今後の仕事にどう影響するのかの不安の方が大きい）という点を強調し、また事業所管課の利益になることの理解を得ながら、不安を抱えながらもプロジェクトチームを組んでスタートした。

その結果、これまでの活動を通じて事業所管課からは、自分たちの仕事に関連する調査を学術的な点も含めて、じっくりと考える機会になったなど評価された。また本務に直結しない作業にも関わらずPT会議などでの問題提起や参考になる意見が出され、町会など各種団体へのヒアリングの橋渡しや同行訪問など、研究を円滑に運営する点においても、事業所管課との関係の重要性が確認できた。今後は、事業課がともに関わる研究のメリットとして享受できるものを、どのような形で示していくことができるのか、せた研の力量が問われてくる。

<strong>区民との協働の模索</strong>

地域において行政内の協働のような基盤を持たないせた研が、区民や事業者・団体とともに活動するには、行政の考える「協働」という言葉を区民がどのように受け止めているのか、その意味や地域活動からうかがえる実態・実情といったものを把握し、区民と共有する必要がある。

区民との協働を考えるとともに地域のネットワークを広げるべく、昨年11月10日に、せた研開設記念のシンポジウムを開催した。特別講演には、早稲田大学の寄本勝美教授と東京農大の進士五十八教授を招き、また地域で活動している区民をパネリストに迎え、協働と自治をテーマに行った。

<strong>地域をフィールドに、Face to Faceで</strong>

区民との協働という抽象的・概念的な関係・行動を共有するには、例えばシンポジウムで報告された地域での様々な活動との接点を持ちつつ、さらにお互いの関係を密にしていくことから始まるものと考えられる。せた研の研究活動は、自治体シンクタンクといえども内向きではなく、地域をフィールドに、地域に出向き、区民とのFace to Faceの関係を重視しながら行うことが必要になる。

シンポジウムで提起された課題は、政策的に解決することが難しい性格のものではあるが、せた研の活動プロセスを通じて、区の職員や事業所管部所に伝えていかなければならないこともせた研の責務として捉えている。

<center><strong>【参考】せたがや自治政策研究所発足記念シンポジウム</strong></center>

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         <link>http://www.policyspace.com/2008/02/post_691.php</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">WATANABE, Yuji: 渡邊裕司</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">volume 50</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">地方自治</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 27 Feb 2008 00:00:03 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>教員採用試験は馴れ合いからの脱却を―公正性・質の確保の視点から―</title>
         <description><![CDATA[◎金子弘（郵便事業株式会社 期間雇用社員）
 
<strong>教員採用もコネ有利？</strong>

2006年に行なわれた福岡市の小・中学校教員採用選考試験の試験問題が、元福岡市の教育関係者によって、事前に漏洩されていたことが明らかとなっている[1]。このような教員採用選考試験に係る不祥事は、以前にも起きており[2]、「出身校閥、有力者のコネ、血縁・地縁などが一部に作用する有利不利の実態」があるとの指摘もある[3]。

そこで、本稿は、教員採用選考試験において、公正性が確保されているのかを明らかにすることを目的とした。

<strong>教員採用選考試験の基本原理と問題点</strong>

教員採用選考試験の基本原理について、予算委員会第１分科会議録[4]によれば、当時の文部大臣は公立学校の教員は「教育職員免許状を有する者の中から教育公務員として全体の奉仕者たるにふさわしい資質と能力を備えている者を各県の教育委員会が選考する」と述べている。

また教員採用は教育公務員特例法第13条第1項の規定に基づき、学科試験及び人物・教養・適性についての面接試験により、能力・適性等を総合的に判断しているとされている[5]。

ここで大きな問題点がある。それは、文部科学省は、教員としてふさわしい資質、能力を持った者を確保することが重要あるとしている[6]が、教員採用選考試験は競争試験ではなく「選ぶ試験」であり、その選ぶ基準を含め権限が全て各地方公共団体の教育委員会にあるということである。では、全権を握っている教育委員会は公正性を確保しているのであろうか。

<strong>教員採用選考試験の実態</strong>
<strong>(1)採用選考の公正性</strong>

内閣府の統計調査[7]によれば、採用時点で教員採用候補者の身内に教育委員会関係者等がいる場合に、教員は「有利に働く面があると思う」、「多少、有利に働くことがあると思う」が合わせて58.9％に上っている中、内閣府規制改革推進室の統計調査[8]によれば、教員採用選考試験の採用選考方法・基準を公表しているのは、7県のみで[9]、39都道府県では公表しておらず、教員採用選考試験の公正性が確保されていない。

これは、閣議決定[10]に逸脱した行為であり、閣議決定は「行政内部では法解釈と同じ意味」であるとされている[11]ことから、国家行政組織を構成する上での基本的なことが、多くの教育委員会で欠如しているといえる。

さらに、教育再生に関する特別委員会議録[12]によれば、当時の文部科学省初等中等教育局長は、教員採用選考試験で採用された者が採用されるまでの間に教員採用選考試験を何回受験したのかといったことのデータは無いと述べており、文部科学省は教員採用選考試験が厳正に行われているのかどうかということを的確に把握していないことから、教員採用が厳正に実施されていないのではないかという懸念も払拭することはできない状況にある。

<strong>(2)試験問題の質</strong>

他方、教員採用選考試験問題での出題ミス[13]や市販の大学入試問題集をほぼ丸写ししての出題[14]が明らかとなっている。

また、文教委員会議録[15]によれば、当時の文部省教育助成局長は、各県で実施されている教員採用選考試験の試験問題等に関する調査は行っておらず、具体的なことを把握していないと述べているとともに、文部科学省初等中等教育局教職員課が公表している「公立学校教員採用選考試験の実施方法について」及び「教員採用等の改善に係る取組事例」の中で、試験問題等については、触れられていないことから、筆記試験問題の質が問題を作成する各教育委員会によってまちまちとなっており、一部で質が低下傾向にあるのではないかといえる[16]。 

<strong>馴れ合いからの脱却を</strong>

以上のことから、多くの地方公共団体の教育委員会が実施する教員採用選考試験において、公正性が確保されていないといえるとともに、筆記試験は全国的な一定水準の質が担保されているわけではないといえる。

これらの背景には、大学等と教育委員会との間で(1)学卒者を教員として採用、(2)教員研修で協力、(3)学校運営改善で連携、(4)教員の大学院への受入れ、(5)退職教員等の大学教員としての再雇用、等といった持ちつ持たれつの馴れ合い関係にあることが要因であると考える。

よって、文部科学省は、閣議決定に逸脱している教育委員会に対して、地方自治法に基づく是正要求、是正指示を発動する[17]ことによって、適正な行政執行体制の実現を図るとともに、地方教育行政官の教育政策法務能力の向上方策[18]を講じるべきであると考える。

また、採用される教員の全国的な一定水準の質を担保するために、例えば、(1)教員として必要な能力の面にあたる筆記試験を国が実施することで、試験の質と採用される者の質を全国レベルで一定水準の確保を図る一方で、(2)教員としての資質の面を教育委員会が面接等を行い、その結果を総合的に判断して採用を決定するといった二層構造にすべきであると考える。

他方、東京都の現職校長が部下の教諭に教員採用選考試験を受けていた自分の子供の面接指導をさせていたとの報道[19]もあることから、教員採用候補者の関係者、例えば３親等内の親族が、当該教育委員会並びに地方公共団体にいる場合は、受験することができない規制を設けることが必要であると考える。

<strong>脚注</strong>

[１]福岡市教育委員会「試験問題漏えい疑惑調査委員会　最終報告」
[２]第120回国会衆議院文教委員会議録第5号（平成3年2月22日）、13頁、当時の文部省教育助成局長発言。
[３]毎日新聞、2007年1月14日
[４]第65回国会衆議院予算委員会第1分科会議録第4号（昭和46年2月23日）、11頁。
[５]第80回国会参議院予算委員会第4分科会会議録第1号（昭和52年4月13日）、25頁、当時の文部大臣発言。
[６]第126回国会衆議院予算委員会第3分科会議録第2号（平成5年3月5日）、12頁、当時の文部省教育助成局長発言。
[７]内閣府規制改革・民間開放推進会議「内閣府「教育委員会・学校法人アンケート及び教員アンケート調査結果」」（2005年12月5日）
[８]内閣府規制改革推進室「教育委員会アンケート回答結果集計表（抜粋）」（2007年2月15日）
[９]毎日新聞（2007年1月14日）において、採用選考基準を公表しているのは、14県・市にとどまっているとの指摘もある。
[10]内閣府規制改革・民間解放推進会議「規制改革・民間開放推進3か年計画（再改定）」（平成18年3月31日閣議決定）、252頁。
[11]内閣府規制改革・民間解放推進会議第33回教育ワーキンググループ議事概要（平成18年3月29日）、9頁。
[12]第166回国会衆議院教育再生に関する特別委員会議録第7号（平成19年5月7日）、2頁。
[13]読売新聞、2007年7月20日、8月6日、9月29日。
[14]読売新聞、2007年5月20日。
[15]第104回国会衆議院文教委員会議録第12号（昭和61年5月14日）、6頁。
[16]読売新聞（2007年5月8日）によれば、東京都では、筆記試験の一般教養が廃止。
[17]内閣府規制改革会議イノベーション・生産性向上ワーキンググループ 教育・研究タスクフォース議事概要（平成19年3月9日）参照。
[18]教育政策法務能力の育成を目的とした専門職大学院を設置するとともに､国家資格試験（弁護士や医師）のような仕組みを創設する等によって、教育政策法務能力に秀でた者を養成すること。
［19］毎日新聞、2007年12月1日]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">KANEKO, Hiroshi: 金子弘</category>
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         <pubDate>Wed, 27 Feb 2008 00:00:02 +0900</pubDate>
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         <title>米民主党政権を見据え人権外交戦略を見直せ</title>
         <description>◎木村優介（国際フリージャーナリスト） 
 
米国大統領選挙において、共和党・民主党ともに激しい指名候補者争いを繰り広げている。今年実施される大統領選挙本戦で、仮に民主党が勝利した場合、アジアにおける日本の立場は共和党政権よりも厳しい立場に置かれることは明白である。

共和党政権と民主党政権の最大の違いは人権に関する外交方針の相違である。ブッシュ政権の対外的な民主化を推進していたネオコン勢力は民主党から合流した新参者が多く、本来の共和党は民主党と比べて人権問題についてセンシティブな勢力ではない。そのため、民主党政権誕生を見越すならば、人権問題を巡る鍔迫り合いは激しくなると想定し、本格的な対応体制を整えることが重要である。

特に、昨年民主党支配下の米国議会下院で決議された日本に対する慰安婦問題の決議は、国際社会における日本のソフトパワーを著しく傷つけるものであり、人権問題に関する日本の発言力の低下、ひいては対中国のアジア地域におけるリーダーシップ争いに影響を与えうる重大な事態を招いた。しかし、日本側の慰安婦問題に関する外交戦略といえば、米国で日本の立場を伝える拙い広告を実施した程度のものであり、むしろ慰安婦問題を詳しく知らない米国民に日本に対する嫌悪感を抱かせる危険性が大きいものだった。

慰安婦問題は人道上・外交上極めて繊細な問題であり、日本の置かれている立場は非常に苦しい状況にある。自らの置かれた立場を逆転することは敗戦国にとって容易なことではなく、日本側の主張である軍関与の有無などの慰安所管理における技術的な論争は焼け石に水だろう。むしろ、正面からの自らの主張を展開することは、「慰安婦＝人権侵害」と考える一定以上の関心を持たない米国民・議員からは唾棄すべき対象として見なされる可能性が高い。

米国ではメディアポリティクスが発達しており、イラク戦争時の捕虜虐待の問題に見られるように、自らの過ちに関するきっかけはジャーナリズムを通してビジュアル的に伝えられる。日本が慰安婦問題で手を打つならば、専門家における人権に関する技術的な論争ではなく、米国や韓国が過去に設置した慰安所などの証拠を収集し、メディアを通して解決すべき同列の課題として提起し、米国民の有権者意識に変化を起す戦略を採用すべきである。その結果、アジアにおける日本への過去の戦争に関するバッシングに力を傾けることが難しくなるだろう。人権問題に繊細な民主党政権だからこそ、米国に自らの自己矛盾を抱えさせる戦略の有効性が増すと予想される。

インド洋での給油活動について日本の国会で攻防が行われて衆議院での再可決が実施されるなど、日本外交の進路について活発な議論がなされている。しかし、米国の状況変化を受けて、我々はより根本的なレベルにおいて、外交方針の転換が迫られていることを自覚すべきではないか。我々の新しい時代への備えは十分であろうか。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">外交防衛</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 27 Feb 2008 00:00:01 +0900</pubDate>
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         <title>安心婚</title>
         <description>◎西澤真理子（株式会社リテラシー　リテラジャパン代表） 
 
「やっぱりするなら、安心婚。」

ある女性誌の最近の特集である。安心婚？　初めて聞いた。さっそく新聞データベースで検索しても、「安心婚」でのヒットはゼロである。

安心婚って、なんだろうか。興味があるので早速読んでみた。 

まとめるとこうなる。結婚の相手は誠実で、生活力のある、きちんとした彼が重要。それをお付きあいしている時点で見極めよう、というものである。

でも、何か違和感が残った。このような相手は、将来の相手として普通、女の子が望むところでは？　浮気性でギャンブル好きでリスクの高い彼は、昔でも今でも、結婚の相手としては想定外、と思うが。
そもそもであるが、「安心」と「結婚」とがつながるのはどうなのだろうか。

「結婚して孫の顔を見せて安心させて頂戴ね。」しかし、結婚が期待通りの安定に必ずしもつながらないことは、日本での近年の離婚率がそれを物語っている。

英国経済誌のエコノミストによると、日本の結婚率は1000人あたり6人。離婚率は1000人あたり2人。アメリカの離婚率は1000人あたり5人であり、それと比べれば低い[1]。しかし、3組に1つのカップルが別れを選ぶというのも、なかなか多いのではないか。

離婚への選択には、それぞれの家族の抱える様々な背景がある。しかし、結婚を選択した時点で、リスクのあるパートナーを選んでいる人は、そんなに多くはないだろう。実際は、途中で病気になったり、会社が具合悪くなったり、子どもの問題があったり、などなどと。そうすると、安心婚、安心(peace of mind)と結婚（marriage）との造語だが、その関連がやや薄れてくるだろう。
ここ数年、日本では「安全安心」の議論が盛んだ。食べ物から防犯、そして住居まで、広い範囲で使われている。本来、安全（safety）と安心は全く別の概念である。安全はフィジカルなもの、安心は心の持ちよう。安全でも安心でない場合もあり、また逆もある。さらには、何をもって安心するかは、個人個人で違う。だから、消費者の安全と安心を事業者や行政が保証することは、本来不可能である。それにも関わらず、様々なところで安全安心という議論が盛んになるのはなぜか。
様々な事件がメディアによって報道され、大きなリスクが身の回りにあるかのように感じることもあろう。しかし、もっと根本的には、これまでの日本社会から、様々な価値やライフスタイルが混在する多様化社会へ向けての過渡期の「もがき」、そして、あたらしいものへの漠然とした不安をこの言葉が反映しているのではないだろうか。「安心婚」という言葉が生まれるのも、このような時代背景を感じる。

脚注
[1]結婚率・離婚率とは、人口全体（老人、子供、既婚者、独身者も含む全ての人口）に対する結婚・離婚した人の割合。
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         <pubDate>Wed, 27 Feb 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
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